今日疲れたからご飯自分で作ってね。
えっ?なんで?作ってよ。
今日疲れたから休むね。
えっ?なんで?休まれたら困る。出社して来てね。
朝起きても全然疲れが取れないから旅行キャンセルするね。
えっ?なんで?キャンセル料かかるから絶対来てね。
朝吐血したから今日は休みます。
えっ?なんで?人員ギリギリなんだから来てよ。
そんな事を言い返された日には
はぁ~あ!?
ちょっと待て、と売り言葉に買い言葉となって言い返してしまう。
実際にパートナーからそんな事言われたら喧嘩になるでしょ。
それなのに自分にとって
最高のパートナーであり
生きているあいだじゅうずっと
自分の味方で在り続けてくれるカラダが
苦しいよと伝えてきているのに
頑張って、会社に出社したりしていないだろうか
動悸がして苦しいのに
頑張って、会社に居続けたりしていないだろうか
働いているときにベタベタした汗をかくようになったのに
頑張って、会社で働いたりしていないだろうか
表情が動かなくなってきているのに
頑張って、働き続けていないだろうか
だとしたら
あなたは「いのち」より会社を大切にしている。
だとしたら
あなたは「いのち」より仕事を大切にしている。
だとしたら
あなたは「いのち」よりお金を大切にしている。
だとしたら
あなたは「いのち」より他人からどう思われるかを大切にしている。
だとしたら
あなたは「いのち」よりお金が無くなったらどうしようという恐怖(思考という名の仮想現実)を大切に扱っている。
今、整体指導者として心身を観る立場になっているけれど
全部、かつての自分の身に起きたことでもある。
パートナーにそんな風に扱われたら許せないような応対を
自分のカラダに対して行っているひとがいかに多いか。
最高のコンサルタントでもあるカラダが伝えてきてくれたメッセージは
チャネリングみたいに言葉で降ってくるわけじゃない。
既に誰しもが感じているように
なんとなく怠い
なんとなく足が向かない
なんとなく違和感を感じる。
「感じる」を通じてメッセージは語られる。
なんとなくのメッセージをスルーしていると
胃が痛くなる
汗が臭くなる
表情が動かなくなる
動悸がする
もう「なんとなく」じゃなくって実際の異常として感じられるようになる。
それでも頑張って会社に行っていると
今度は強制終了が訪れる。
ぼくの場合はコールセンター勤務で声が出なくなるという強制終了を経験した。
働いていた職場で突然死や自死という死で強制終了した人もいた。
なんとくなくという小さなメッセージと対話を重ねていたら
突然死や強制終了にならずに済んでいただろう。
カラダからのメッセージに気づいたら
いちど立ち止まって
いったい何のために自分が頑張っているんだろうかって
自己対話をしてみたほうがいい。
幸せというのは100%主観。
自分が感じること純度100%。
幸せというのはカラダ言葉に翻訳するのなら
いい気分を感じているってこと。
お金を稼ぐことも
彼氏を作ることも
子供をもうけることも
その達成によっていい気分を得たいからでしょ。
頑張っているカラダは硬張っている。
硬張っているカラダからはいい気分は創造されない。
いい気分、深い呼吸、ポカーンとした安心感は
いつだって緩んだカラダから生まれてくる。
幸せを感じながら人生を歩んでいくために
自分のカラダという
自分にとって最高のコンサルタントの意見に耳を傾けてみてください。
※神さまが嫌いな言葉は「あきらめない」と「頑張る」
※感じている気分というガイド機能
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