初体験でしか感じられないもの。

 

いつもあるのが当たり前になっていってしまうと

 

そこに驚きはなくなっていく。

 

それは適応であり、致し方ない変化でもある。

 

 

 

 

痛くて歩行困難だった方が走れるようになると

 

痛みなく歩けることの感動はなくなってしまう。

 

 

 

 

耳が聞こえなかった方が耳が聞こえるようになると

 

聞こえることが当たり前になっていく。

 

 

 

 

今ではふれるときに相手に気を通していくことが

 

当たり前になってしまっているけれど

 

初めて気のカラダを感じたときは自分も感動していたことを思い出した。

 

 

 

 

 

舞台の最終日

 

昼公演と夜公演を終えてから

 

舞台セットのばらしをみんなでやって撤収して

 

それから徹夜での打ち上げ。

 

翌朝いちど帰宅してシャワーを浴びてから

 

当時アルバイトで働いていた銀座の酒屋へ出勤した。

 

午前中は大口の客先にトラックで配達をして

 

午後は銀座の客先に自転車で配達をしていく。

 

ふつうの徹夜明けでも眠いのに

 

前日に舞台2公演やってからの徹夜なもんだから

 

眠さが尋常じゃないレベル。

 

横になったら一瞬で寝落ちしちゃう。

 

意識が朦朧としてかろうじて立っている状態のときにビックリした。びっくり

 

 

 

 

自分の両腕から何かが噴き出していた。

 

 

 

 

それは肩から指先に向けてものすごい勢いで噴き出していた。

 

 

 

 

 

あまりに朦朧として物理的な肉体感覚がなくなってしまって

 

気のカラダを知覚してしまった出来事だった。

 

なんだかよく分からないけど

 

なにこれ、すご~い

 

へえ~

 

ぼくらのカラダってこうなってるんだあ。

 

 

 

 

 

銀座の路上にたたずみながら

 

今まで見ていた外界の現実世界を忘れて

 

今まで感じられなかった自分のカラダの見えない部分

 

内的宇宙といってもいいカラダを

 

人生において初めて強烈に感じとって味わっていた。音譜

 

 

 

 

 

 

 

野口整体の整体指導者として活動しているので

 

ひとに触れる=愉気をする

 

になっちゃっていて

 

いつもの日常の風景になってしまっている。

 

 

 

 

初めて愉気を受けられた方が

 

すごく安心しますって

 

感想を漏らされて

 

笑顔を向けられたときに

 

あ~この方にとっては

 

「気」を感じたり

 

「気」を味わったのが

 

今日が初めてだったのだなと気づかされる。

 

 

 

 

不思議な瞬間だなあって思う。

 

だって生まれてからずっと供に歩んできた道具が

 

自分のカラダなんだよね。

 

あなたが人間として社会生活を営めているのなら

 

必ずひとに触れられた体験があるし

 

自分がひとに触れた体験もあるはず。

 

外から見た動作自体は同じ「ふれる」なんだけど

 

愉気をしながら触れていくって

 

やっぱり違うんだなあって

 

再確認させてくれる瞬間でもある。

 

 

 

 

でもホントはね。

 

カラダって

 

死が訪れて

 

カラダを脱ぎ捨てるまでは

 

ずっと自分と一緒なんだよ。

 

目を閉じて

 

ちゃんと意識を向けて

 

こころ静かに

 

丁寧に感じ取ってあげれば

 

自分に安心をもたらしてくれる。

 

 

 

 

 

 

 

 

春と秋のお彼岸の時期だけ行っている整体指導がある。

 

頭の穴追いの愉気。

 

ふだん整体指導を行っているときには

 

室内にクラシック音楽を流しているんだけど

 

頭の穴追いの愉気のときだけは音楽をかけない。

 

 

 

 

一番鈍っている頭の調律点に愉気をしていく。

 

すると、じょじょに頭骨上に穴が開いてくる。

 

その穴のふちが破れて

 

頭骨上に溝が出来ていく。

 

その溝をひたすら愉気をしながら追っていく。

 

頭骨上の穴、目の穴だったり、耳の穴に

 

溝が入っていくまで

 

ただただひたすら追いかけて愉気をしていく。

 

 

 

 

溝を開いているのは

 

カラダの無意識運動が行なってくれるので

 

受けている方の意識に手伝ってもらうことは何もない。

 

受けていても何をされているかよく分からないはず。

 

ただただ頭に愉気をされ続けているってことだけを感じながら

 

受けている状態。

 

無言で他者にふれられているって体験だって

 

人生においてあまりないでしょ。

 

しかも頭に愉気をされながら無音でって。

 

人によっては1時間ほどかかるときもある。

 

 

 

 

ほとんどの方は目を閉じて受けておられるので

 

その時間は強制的に自分の内的宇宙を感じる時間となっていく。

 

ある程度の年月を重ねて生きていれば

 

頭骨上に鈍りや異常がない人はいないので

 

押さえられている場所によっては

 

ものすごい痛みを感じる。

 

 

 

 

 

無音で他者にふれられている不思議な

 

人生初の出来事になっちゃう。

 

しかも何をされているのか理解できないなんて

 

ちょっとレアな体験だよね。びっくり

 

カラダの無意識運動の邪魔をしているのが

 

大脳緊張であることが多いので

 

頭の穴追いの愉気で

 

頭が緩むと

 

弛緩反応が強烈におこって怠くなる。

 

休息をとりたい、眠りたいって欲求しかなくなってしまうほどに。

 

 

 

 

ふだんぼくらの目は外向きになっている。

 

外界の現実を見て

 

現実に反応しちゃっていると

 

ますます自分のカラダやこころの状態を

 

置き去りにして生きていく。

 

本当はこころの状態を自分が選択して

 

創造主として外の現実創造をしたいもんね。

 

 

 

 

その初めの一歩として

 

頭の穴追いの愉気が

 

自分のカラダの感覚、内的感覚に目を向けて

 

自分を丁寧に感じる初体験になってくれたら

 

なんだか素敵だなって思う。

 

その初体験は記憶に残って芽を出していくから。ラブラブ

 

 

 

 

 

 

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