当時、就職したい企業ランキング1位だった
東京海上を辞めてまで歩み始めた役者の道だったのに。
そんな大きな決断をしたんでしょ?
それがなんで整体指導者なの?
全く理解できないんだけど~
身近な人たちからよく聞かれた質問。
まぁ本当は
うっせえー
俺がやりたいからだよ
以上。
って答えてもよかったんだよね。
やりたいことが全然別のものに変わったっていいんだから。
自分の内側から湧き起こる衝動に整合性などない。
衝動に理屈なんてないからね。
たまたまぼくの場合は、
自分の中では明確につながっていたので
説明してみようって気になって答えていた。
役を演じていて一番の醍醐味は、
役の核心、琴線を自分のカラダで感じられたときなんです。
だから役をジャッジしてしまうと演ずることはできない。
共感できない役を演じることはできない。
こんな人殺し野郎は死んだほうがいい。
うわぁ気持ち悪い。
それでは演じられないんです。
なぜ人を殺さざるえない心理になってしまったのか。
彼に何が起こったのか。
彼の姿というのは
彼と同じ環境に生まれていたら
あり得たかもしれない自分なんです。
それをエチュードや稽古を通して、
彼の感受性を自分のカラダに落とし込んでいく。
頭でこの人の気持ち分かる~
かわいそう~程度じゃあ演じられない。
頭でなくカラダにまで落とし込まないとダメなんです。
演じるって
役をカラダで理解していくという濃密なコミニケーションなの。
舞台で『罪と罰』の主人公ラスコーリニコフを演じたときに、
彼の崩壊寸前のアイデンティティに2回だけ触れることができた。
残念ながらそれは本番じゃなくって稽古の時だったのだけど。
役者としては極上の時間だった。
しかし、その絶望感たるや演じた後に
何十分も嗚咽と震えが止まらないほどのものだった。
人間は亡くなる直前に生存欲求が希薄になってエゴがなくなり、
自然と本来備わっていた超能力が発現する。
そして未来、過去、地球の裏側でも
自分が行きたい場所に行くことができる。
それが虫の知らせが発生する原理。
野口晴哉(のぐちはるちか)先生に整体指導を受けていたひとで
亡くなる前に先生に逢いに来たという話がいっぱいある。
霊体としてね。
先生と結婚した奥さんは
当初、先生が急に倒れて5分ほど意識を失い
意識が戻ると今〇〇さんが亡くなった
送別会をしようと言い出すってことをしょっちゅう経験された。
なぜ先生に逢いに来るひとが多かったのか?
ぼくたちは生きているあいだ
自分のことを他者が100%理解してくれることはない。
自分の恋人であっても、
夫であっても、
親であってもです。
ところが100%でないにしても、
この人は分かってくれている、
そう感じられていた他者が野口晴哉先生だったんじゃないかと。
気やカラダを丁寧にふれて読み取っていくことで
ココロや潜在意識まで理解してくれていたと
整体指導を受けたひとが感じていたから。
もっとも濃密なコミニケーションを他者と行っていたのが
野口晴哉だったんじゃないかって。
生きてきた人生の中で自分のことをもっとも理解してくれていると感じられた他者。
だから亡くなる前に一番会いたい人だったんじゃないかって。
愉気という温もりを伴った濃密なコミケーション。
知れば知るほど
野口晴哉よりも他者と濃密なコミケーションをとっていた人間を
ぼくは知らない。
だからぼくは役者の先輩を仰ぎ見るように野口先生を見たわけです。
うわぁ、
こんなコミニケーションが出来たら素敵だなぁってね。
カラダで他者を感じていくという演技の先に
ふれて他者のココロまで感じとっていくという愉気による整体指導があったわけです。
愉気をしているときって
自分と目の前の人との境界線がないからね。
※映画のシーンと共に記憶に残っていく
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