『悟り』という言葉ほど不思議な言葉はない。

 

使っている者も、読んでいる者もまったく知らないのに使用している。

 

こんな言葉って他にあるだろうか。

 

 

 

 

 

 

書いている者が悟っているのならまだいい。

 

ところが丸善本店の禅コーナにある本の中に

 

悟るための参考になる本は1冊もない

 

と言ったら信じるだろうか。

 

どこぞの老師や禅坊主が書いている悟り入門

 

その本を読んで悟ることはできない。

 

 

 

 

 

 

理由は簡単で

 

書いている人間が悟っていないから。

 

 

 

 

 

 

まさか老師と呼ばれているひとの

 

ほとんどが悟っていないなんて思う?

 

少なくとも素人である自分にとっては驚きだった。

 

 

 

 

 

 

そのことが指摘すらされないというのは

 

誰も本当の『悟り』について知らないから。

 

このことに気づいたときに驚いた。

 

自分ができてないことの入門書なんて書いたら

 

ふつうそれは詐欺と呼ばれる。

 

書いている人間が人格的に立派だと認識されているから

 

非難も受けないという面もあるだろうし

 

読むほうも知らないんだから指摘だってできない。

 

また禅問答といわれるように

 

知的理解できない回答をもらうのがなんとなく

 

当たり前のような空気もあるものだからなおさらツッコメない。

 

鈴木大拙や澤木興道の本はまったく参考にならない。

 

 

 

 

 

 

 

またヨガやその他のものが言っている悟りは

 

少なくともお釈迦さんが発見した悟りとはまったく別物だということも

 

明記しておきます。

 

宇宙と一体になるとか

 

至高体験とか

 

そんなことは釈迦先輩は伝えていない。

 

釈迦先輩が伝えてくれた「悟り」は目覚めという言葉で説明されているものとも違う。

 

 

 

 

 

 

同じ『悟り』って言葉だから、混乱に拍車がかかり

 

なにが本当なのかも分からない。

 

20代のころに人生に悩んで

 

自己啓発書や宗教関係の本はおそらく1000冊は呼んだと思うが

 

こんなことを知るのに20年かかってしまった ガーン

 

 

 

 

 

 

 

 

こんなこと書いているおまえは何様なんだ。

 

誰なんだよという指摘もあるだろうから。

 

 

 

 

 

 

 

自己紹介をすると

 

気を通すことを用いて、相手の中の勢いを誘導していく

 

野口整体の伝承者として活動しています。

 

 

 

 

 

 

 

人生に悩み初めてから

 

参考になるかなと思って

 

身体技法の一流の方々や

 

気功の老師以外にも

 

人を治癒させると評判の宗教家に会いに行っていたこともある。

 

祈りで病気を治す牧師や

 

加持祈祷で病気を治す行者や

 

もちろん禅の老師も含めて。

 

 

 

 

 

実際にそういうことがお出来になるんだろうなということは感じたけど

 

師匠にすべき人物と感じたことは一度もなかった。

 

ただ一人の例外が野口晴哉に後継指名された

 

師匠の田総先生だった。

 

 

 

 

 

そんな風に20年ほど過ごしてきたのだけれど

 

はじめてこのYouTubeを見たときに

 

わあ~、この人は本物だと直感した。

 

 

 

 

 

 

すぐに老師の坐禅会に参加。

 

井上貫道老師に会って坐禅をはじめ、

 

老師のもとで在家で悟って、

 

悟るためのガイドをされている松本自證さんのもとで

 

坐禅・独参をかさねて今に至ってます。

 

 

 

 

 

 

まだ悟ってはいないけれど

 

悟りがどういうものなのかという最低限必要な理解はできた。

 

と、いうのが今の自分です

 

松本さんは、就労支援のコーチングをされている方で

 

悟りについては松本さんのHPに書いてある内容だけ

 

知っていれば足ります。

 

 

松本さんのHP

https://www.muishinso.com/

 

 

個人的には禅史上最高のガイドさんなのではと思っている方です。

 

 

 

 

 

 

 

ぼくらは生まれてから、死ぬまで

 

ずーっと『今』だけにいます。

 

過去や未来というのは

 

自分の認知の中にしかないんです。

 

昨日、上司に叱責されたことや

 

1ヵ月前に恋人から別れ話をされて失恋した。

 

なんてことは『今』には跡形もない。

 

あるように感じるのは

 

脳内で再生しているマトリックス(仮想現実)なわけ。

 

 

 

 

 

 

ぼくにとって嬉しいことに

 

あなたは今ぼくが書いた文章を

 

スマホやPC画面で見てくれています。

 

あなたの心身(このもの)にはこの画面が映っている

 

景色だけが現成しています。

 

だから最寄り駅だとか、勤務先や学校などは

 

ないんです。

 

これを読んでいるあなたの今にはない。

 

最寄り駅や勤務先はマトリックスなんです。

 

 

 

 

 

 

 

坐禅で座っていると

 

いろんな思いが脳内に出てきます。

 

出てきたものは、出てきちゃったものとして

 

それを放っとく。

 

出てきた考えをころがして

 

意識的に展開しているのに気づいたら、

 

考え事をしているのに気づいたら

 

 

止める。

 

 

 

 

 

 

坐禅で大事なことはこれだけなんです。

 

本1冊もかけて書く内容じゃない。

 

 

 

 

 

この世に生まれ出てきて

 

社会生活を営めるように

 

この世界を認識していく。

 

その最初の出発点が

 

「わたし」なんです。

 

世界があって、私があって。

 

世界から「わたし」が分離されて

 

わたしが世界を認識するOSが起動する。

 

 

 

 

 

 

 

このこと自体が悪いわけではない。

 

このOSが起動しなければ社会生活は営めないんだから。

 

OS起動と同時に

 

マトリックスが生まれる。

 

マトリックスがあまりない時代には

 

さっきまで泣いていた子が

 

あっという間に笑いだしたりする。

 

小さな子たちはそのまま『今』にいて

 

マトリックスに支配されていないから。

 

 

 

 

 

 

「わたし」が見ている

 

「わたし」が味わっている。

 

「わたし」が聞いている。

 

 

 

 

 

 

ところが事実がどうなっているかというと

 

いきなり見えている。

 

いきなり味がする。

 

いきなり聞こえている。

 

顔を右に向けたら、いきなり右側の景色が映っている。

 

「わたし」が見ているなんて気配すらなく

 

いきなり

 

そうなっている。

 

左を見たら、右側の景色は跡形もなく

 

左側の景色が映っている。

 

そこには「目」で見ているなんてことすらない。

 

だから目がないことを

 

それを般若心経では

 

「無眼耳鼻舌身意」と書いている。

 

これは思想ではなくって

 

 

確認すると、そうなっている事実の話をしているだけ。

 

 

 

 

 

偉い人だけが、悟っている人だけが

 

そうなっているわけじゃなくって。

 

みんなそうなっている当たり前のことが

 

書かれている。

 

このもの(心身)の働きがそうなってるからね。

 

 

 

 

※井上貫道老師の無我についての説明

 

 

 

その2に続きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

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