ぼくらは生まれてから死ぬまで
ひと時たりとも、今を離れることはない。
捉えることのできない、今の様子(リアル)が常にあるだけ。
過去や未来というのは
頭の中、思考の中、認識の中にあるだけ。
あなたが今、家にいてスマホでこの文章を読んでいるなら
自分の世界には会社もないし、駅もない。
スマホがあるだけなんです。
会社も、駅も
あなたの認識の中にあるマトリックス(仮想現実)なんです。
悩みというものの正体は
頭の中にある。
正確には頭の中にしかない。
高熱で意識がもうろうとして死んだらどうしよう。
お金がなくて、明日からどうしよう。
今日、職場で上司に叱責された。
パートナーから別れたいと言われた。
そういった悩みがあったときの
苦しさや実際にカラダに生じる異常も
ぼくも体験したから知っている。
だからマトリックス(仮想現実)が生み出したものだとは、
すぐにはとても納得できるものではないことも分かる。
ずいぶん前のことだけど気の訓練として参加していた
炎が3Mある行者・池口恵観さんの護摩行では
炎の近くの池口さんやお弟子さんの顔の皮膚は
火傷で真っ赤になってしまう。
病気だったり
会社経営で行き詰まって
死を想い詰めるような状態の方が
護摩行の炎で手や顔の皮膚が焼ければ
当然、頭の中で思い描いている悩み(仮想現実)は
一瞬で吹っ飛んでしまう。
カラダが焼ける痛みはリアルだからね。
リアルは必ずマトリックス(仮想現実)に勝つ。
祈祷する方の能力という要素もあるだろうが
心身の構造上、
一瞬でも頭がポカーンとする状態を作り出せれば
カラダの弾力を回復させようとする
ホメオスタシスが働きだす。
護摩行の炎にはそういった役割がある。
(あくまでも火傷するような熱さの炎の場合限定ね)
初めて交通事故でヤクザと示談交渉する時、怖くて震えが出た。
お昼すぎのファミレスは満席
スーツのぼくが相席しているのは怒鳴っているヤクザ。
満席のファミレスで私語をする客はひとりもなく、
シーンとしている店内。
正確にはぼくの声とヤクザの怒鳴り声だけが店内に響く。
おい、おい、店員も注意くらいしに来いよ~
の願いもむなしく、震えが出ちゃう。
怯えていてはヤクザの思うつぼ
相手は怖がらせるのがお仕事。
山でクマに遭遇しているわけじゃない。
サバンナでライオンに遭遇しているわけじゃない。
食われてしまうような状況じゃない。
怒鳴ったりしてあたかも実際に危害を加えるかの如く、演出してくる。
ぼくが未知のものとして、怖ーいと
受け取ったことによって生じたマトリックス。
震えをどうやって止めたらいい?
交渉時にテーブルの下にある手で
親指の爪のきわを他の指の爪でギューっと押さえる。
めちゃくちゃ痛い
すると痛みはリアルなのでマトリックスが生み出した震えが止まる。
頭の中ってマトリックスなんだと感じた最初の体験。
大好きなじいちゃんが危篤となり京都にかけつけたとき
ちょうど役者活動にピリオドを打つべきなのか悩んでいた時期だった。
東京海上を脱サラして飛び込んだ役者の世界だった。
かなり悩んでいたんだけど
病室でじいちゃんに触れているときに
悩みは一瞬たりとも
頭に思い浮かばなかった。
手のひらから伝わってくる温もりは
死を前にしつつも、
まだじいちゃんが生きていることを教えてくれていた。
じいちゃんの温もりだけを感じていた時間。
どんなに悩んでいたとしても
一瞬でなくなるということは
マトリックスだったということ。
2011年3月11日14時46分
あのとき、自分がどこにいたかを覚えているひとは多いよね。
いつもと同じ日常の中で
悩みを抱えていた人もいたはず。
その悩みは14時47分には跡形もなくなっていた
という経験をされた方がいると思う。
津波被災の地域の方だったとしたらなおさらだよね。
正確には逃げるのに必死で
悩みなど消失してしまっていた。
頭の中にある悩み(マトリックス)は
実際に襲い掛かる災害(リアル)を目の前にしては雲散霧消してしまう。
カラダの調整においても
息を吐かせきってショックしたり、
痛みを伴うものは、
マトリックスを手放させるために用いる。
頭の中で握っているマトリックスを
手放してポカーンを誘導させえれば
カラダは回復へ再び歩み始めることができる。
ちなみに映画『マトリックス』は文字通り
心身のこのあたりのテーマを
とっても素敵に表現した寓話です。
般若心経では『空』と説明している内容ね。
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