ぼくは田総先生に出逢ってなければ

 

整体指導者の道に踏み込んでいなかっただろう。

 

当時、役者としての将来に行き詰まりを感じていて

 

方向転換の選択肢の一つが野口整体、すなわち野口晴哉の道だった。

 

その頃は古武術の黒田鉄山先生の下で稽古させていただいていた。

 

江戸時代でも達人と呼ばれる武術的身体の方は現代に2人しか現存していないのだが、そのうちのおひとり。

 

絶対に力を入れてはいけないという武術の稽古。

 

力という見えないものを扱う稽古。

 

見えないものを扱う場合

 

特に身体操作の学びにおいては直伝が必須ということを思い知らされていた。

 

 

 

 

 

 

気の達人である野口晴哉が感じていた世界を感じとるためには、

 

彼の直弟子から学ぶしかない。

 

行きつけの神社に野口晴哉の後継者に出逢わせてくださいと願掛けに通い

 

国会図書館で彼の資料に目を通した。

 

その中でこの人だなと直感した方が長野県の松本市にいらっしゃった田総先生だった。

 

すると直後に整体指導をしていた友人から田総先生の話が出たり

 

都内で松本ナンバーの車を頻繁に目にするようになった。

 

 

やはり松本の先生だな。

 

 

行くしかないなと。

 

 

 

 

 

 

 

そして乗り込んだ松本で

 

先生が目の前にうつ伏せになっている方の背骨を観察している姿を見たときに

 

感動してしまった。

 

先生は宝物に触れるかのようにひとにふれる。

 

野口晴哉が説いていたいのちへの礼を、

 

在り方で先生はそのまま示されていた。

 

 

 

 

 

 

 

整体指導者がふれる時

 

相手より息が長いということが必須なんだけど

 

先生の息がぼくより短いことが気になっていた。

 

先生ダイジョウブなんだろうか

 

そのように感じだしてから何年か経ったとき

 

月一回泊まりで松本に通っている稽古においては

 

先生はラフな服装に着替えて稽古に出てこられるのに、

 


その日はなぜか紋付袴の正装だった。

 

2週間後、田総先生は亡くなられた。

 

3日間整体指導を休みますとおっしゃられて。

 

自分の死くらい分かるさとおっしゃっていた先生らしい最期だった。

 

 

 

 

 

 

訃報を聞いた数日後の活元運動の会では

 

活元運動中に主催の先生に運動をやめて仰向けになりなさいと声をかけられ

 

先生はぼくのお腹に愉気をしだした。

 

その先生はぼくが田総先生が大好きなのを知っておられた。

 

途中からしゃくり上げるように涙がとめどなくあふれ出した。

 

大勢が活元運動をしている中でひとり

 

 

ひと目もはばからずに泣きじゃくっていた えーんえーんえーん

 

 

 

 

 

15分ほどは泣いていただろうか。

 

仰向けになっていた畳には大きな水たまりができていた あせるあせるあせる

 

 

 

 

 

 

 

 

野口整体を学び始めて、

 

整体指導を受けて、

 

活元運動を訓練するようになってカラダが花粉症を表現しなくなった。

 

それまでは1月からGWまでの期間は花粉症

 

微熱

 

水のような鼻水

 

マスクと点鼻薬が欠かせない。

 

3月に舞台公演があるときなどは強い薬を使い舞台に出るという状態。

 

花粉症が出るようになってから桜の季節が憂鬱なものになっていた。

 

 

 

 

 

花粉症はカラダが冬から春にスムースに移行できないカラダの表現。

 

後頭骨がひらいて

 

肩甲骨がひらいて

 

骨盤がひらいて

 

カラダは春を迎える。

 

その春を迎えられないカラダの表現であって病気ではない。

 

 

 

 

 

悲しみに暮れているひとのカラダのどこに手がひきつけられ愉気をしたくなるか。

 

肩甲骨に手がいくと聞いたことがある。

 

色盲などは肩甲骨の可動性がなくなったカラダの表現。

 

実際に色盲になったという方を2人知っているが

 

ひとりは子供を亡くした方

 

もうひとりは生まれた子が先天性異常だった方。

 

 

 

 

 

田総先生が亡くなったのは3月頭。

 

野口整体の稽古を始めてからはなくなっていた水のような鼻水がツツッートとたれてきた。

 

それは3月末に大阪での講習会に参加するために夜行バスを下りた早朝の梅田での出来事。

 

 

久しぶりじゃん

 

花粉症の鼻水 (>_<)

 

 

 

 

その夜、大阪の定宿である親友宅のベッドで39℃の発熱。

 

親友に申し訳ないと思いつつ、ベッドで大汗をかいた。

 

講習会の休み時間に仲間に整体指導をしてもらい

 

そして平熱に戻るころには水のような鼻水は止まっていた。

 

 

 

 

 

悲しみにより動きが止まり、

 

春へ移行できなくなってしまった肩甲骨が

 

発熱によって弾力を取り戻した。

 

結局、先生が亡くなってからひと月ほどのあいだに5回発熱を繰り返した。

 

 

 

 

 

そうやって先生がいなくなった世界で

 

時間とともにカラダは回復要求にしたがって

変動を起こしてくれていた。

 

 

 

 

ぼくの知らないところで

 

カラダはたくましく

 

ふたたび歩み始めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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