抑鬱亭日乗 -16ページ目

抑鬱亭日乗

複数の精神疾患を抱える者の独言を忌憚なく収録する
傾いた視線からこの世はどのように見えるのか

 先週、新型コロナウィルスの2度目のワクチン接種を終えた。

 現在、体内で抗体ができつつあるのだろう。

 あと1週間で十分な量の抗体を保有することとなる。

 

 接種を終えて気付いた。

 小生は精神疾患は基礎疾患ではないと思っていた。

 薬を服用しているだけで、身体には問題ない。

 なぜか精神疾患の薬を服用し始めてから風邪をひいていない。

 

 ワクチンの説明書をよく読んでみた。

 小さな文字で「障害者自立支援法を受け、重症かつ継続に該当する」御仁は基礎疾患を有すると明記されている。

 え、ということは小生は基礎疾患があるということか。

 

 自分が基礎疾患を有するという意識は全くなかった。

 基礎疾患があるということは、重症化しやすいということか。

 

 

 新型コロナウィルスのワクチンを昨日終えた。

 一度目は7月下旬で、二度目は昨日である。

 職域接種で接種してもらえた。

 詳細はわからないが、ファイザーのワクチンである。

 職域接種はモデルナと聞いていたのだが。

 

 小生の親族は二度目の接種で全身の関節が痛んだ。

 別の御仁は39度を超える発熱があった。

 他には発熱、微熱、頭痛、倦怠感、関節、筋肉の痛みが多い。

 

 今朝の目覚めに怯えていた。

 「39度も出たらどうしよう」、「頭痛はイヤだ」とビビっていた。

 マスコミ諸君は挙って副反応に関する情報を垂れ流した。

 垂れ流した不確かな情報は今も放置されたままである。

 「20代の御仁、ビビらずにワクチンを接種しろ」と言ってやりたい。

 

 起床すると、接種部位付近の筋肉が少し痛い。

 一度目の接種と同じ副反応である。

 「何や、こんなもんか」というのが正直な感想である。

 

 根拠はなく、個人的な感想だが、副反応が大きい人の特徴は優秀な人間であるという点である。

 どうやらアホには副作用があまりないようだ。

 

 およそ1ヵ月間、精神と肉体に大きな負荷をかけ続けた。

 慢性的な疲労感が残る。

 

 帰ってきた。

 

 嗚呼、疲れた。

 

 自分は何をするためにこの世に来たのか、まだわからない。

 西武ライオンズの松坂大輔投手が今季限りで引退することを表明した。

 

 小生は松坂が嫌いである。

 話は1998年に遡る。

 1998年、第80回夏の甲子園。

 当時小生が在籍していた京都成章が決勝まで勝ち進んだ。

 

 その決勝前夜。

 アナウンサーの質問に松坂は「京都成章?PLより格下でしょ」と答えた。

 悪気はないだろうが、腹が立った。

 対戦校に対し無礼な発言である。

 「横浜の監督の指導はこの程度か」と思った。

 

 1998年8月22日。

 京都成章は松坂にノーヒットノーランで負けた。

 その後のインタビューで松坂は「いつもより軽めに投げた」と答えた。

 対戦校に無礼である。

 この日から小生は松坂をいけ好かない御仁であると認識するようになった。

 

 1998年、ドラフト会議。

 松坂は西武ライオンズに入団することが決まった。

 「プロでボコボコに打たれて、さっさと辞めろ」と小生はほくそ笑んでいた。

 

 1999年。

 松坂は16勝をマークし最多勝、新人王に輝いた。

 2000年は最多勝と最多奪三振を達成した。

 いけ好かないヤツである。

 

 その後、メジャーリーグに挑戦し、再び日本球界に帰ってきた。

 日本に帰ってからは以前のような活躍はできなかった。

 数年前から小生は「松坂、たまには1軍で投げんかい」と応援するようになった。

 小生はあの憎い選手を応援するようになってしまった。

 

 小生が応援し始める頃には松坂の選手生命は絶たれていた。

 憎い選手を応援するようになるとその選手はもう終わりである。

 そして今、思う。

 「ごくろうさん」と。

 

 大学院で世話になった先生が誕生日を迎えた。

 1945年生まれ、御年76歳。

 小生は先生が現役で大学の研究者だった時の最後の指導した院生だった。

 

 現在小生、30代。

 精神疾患を抱えつつ、何とか生きている。

 自分が76歳を迎えることを想像できない。

 還暦を迎えることも想像できない。

 それまでに死んでいるのではなかろうか。

 

 自分が何をするためにこの世に来たのかもわからない。

 何のために生きているのかもわからない。

 

 こんな感じで人は生まれて死ぬのだろうか。

 これは小生だけだろう。