決断 | 抑鬱亭日乗

抑鬱亭日乗

複数の精神疾患を抱える者の独言を忌憚なく収録する
傾いた視線からこの世はどのように見えるのか

 親しくしている御仁から電話で「堕胎の費用、10万円を貸してくれ」と言われた。

 決して小生の子ではないことを申し添えておく。

 成育歴等を鑑みると、その御仁には子育ては難しい。

 本人は生み、育てる意思が一切ない。

 相手とは一切、連絡が取れなくなったという。

 「堕胎の金を貸してくれ」と何度もせがまれた。

 

 小生は胎児も人だと考えている。

 医学上、胎児はヒトではないかもしれないが、小生にとっては人である。

 人を殺す手助けは絶対にしたくない。

 ここで融資すると、一生後悔し続けるかもしれない。

 人を殺める手助けをしてしまったという罪悪感に苛まれるだろう。

 

 だが、「お腹の中にいるのは、人間ではない。不幸な子供を産んでよいのか」とまくしたてる。

 「頼む、堕胎させてほしい。お願いだから堕胎させてくれ」と連呼する。

 小生はここで貸すべきかもしれないと考え始めた。

 同時にこの御仁と宿った生命が哀れに思え、悲しくなり、咽び泣いた。

 30分以上、泣き続けたように思う。魂の奥底から涙が出てくる。

 ここで、融資すればこの御仁は通常の生活に戻り、不幸な子供は生まれない。

 この選択肢がベストかもしれない。

 

 少しの猶予をもらい、風呂に入った。

 血行が良くなったのだろうか、小生の脳内で「絶対に貸すな」という声がした。

 ここで融資すると、同じことを繰り返す可能性が高い。

 小生の決断は本人には受け入れ難いに違いない。

 堕胎の費用は貸さない旨の連絡をした。

 

 先方から「いい人ぶって、困ったときは助けてくれないのか」等、罵声を浴びせられる。

 小生は「お腹に宿っている生命を殺すことに手助けはできない」と突っぱねる。

 「困っている人間を助けてくれないのか」と食い下がる。

 小生は個人的な考えから、堕胎の手助けは絶対にしない。

 

 融資しないという小生の決断は正しいのだろうか。

 小生には宿った生命を殺める手助けはできない。