加茂前ゆきちゃん失踪事件⑦ | 全曜日の考察魔~引越し版

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さて、「アヤメ一ッパイの部ヤ(あやめいっぱいの部屋)」で何をしたのか、

ということについては、作者曰く、

コーヒーヲ飲ミナガラ、ユキチヲニギラセタ、
ニギッタノハ アサヤントオもう。

(コーヒーを飲みながら、ユキチを握らせた。握ったのは、アサヤンと思う)

 

なぜ突然コーヒーが出てくるのかは不明で、読者が首をかしげる箇所の一つとなっている。

とりあえずここはストレートに、「コーヒーを飲みながら」と解し、その上で直前の「アヤメ一ッパイの部ヤデ」と合わせ読むことにより、「菖蒲(アヤメ)がたくさん飾られた部屋(喫茶店かなにか)で、コーヒーを飲みながら」という風に解釈する見方が多いように思う。

一方で、「アヤメ」を「殺め(る人)」あるいは「アヤメのバッジを付けている暴力団」とする見方からは、この箇所は、「暴力団事務所で、コーヒーを飲みながら」という風に解されることが多い。

自分的に思うのは、この部分は、「白い粉」を暗示したかったのではないかと思う。

つまり、「コーヒーを飲む際に入れるのは何か?」ということで、それは例えば、砂糖、クリープ(森永乳業)、マリーム(味の素ゼネラルフーズ)、ブライト(ネスレ日本)などが考えられるが、これらはいずれも「白い粉」だ。

メロディアンミニ(メロディアン)、クレマトップ(ネスレ日本)、スジャータ(めいらく)など、液状タイプのクリーム、いわゆる「コーヒーフレッシュ」も考えられるが、恐らく怪文書の作者は、「コーヒーには白い粉」派だったのだと思われる。

 

では、「白い粉」によって何が暗示されるのか、というと言うまでもなくそれは「覚せい剤(シャブ)」だと思われる。

なので、原文はもともと

「白い粉(覚せい剤・シャブ)の受け渡しをしながら」

「白い粉(覚せい剤・シャブ)を体に入れながら」

となっていたのではないかと想像する。

そのことを直接的に表現するのを避けるため、作者は、「コーヒーを飲みながら」と言い換えたのではないかと思われ、その部屋で取り引きされたのが「覚せい剤(シャブ)」だからこそ、その見返りとして、「ユキチヲニギラセタ」となるのではないだろうか。「ユキチ」とは、言うまでもなく「福沢諭吉」つまり、「万札」のことだと思われる。

この万札は、「コーヒー」に対して支払われたのではなく、「白い粉(覚せい剤・シャブ)」の代金として支払われた。

この万札は、誰に対して支払われたのか?

作者によ=れば、「ニギッタノハ アサヤントオもう(握ったのは、アサヤンと思う)」となっている。

ここで「アサヤン」とは、「ヤアサン」のアナグラムだとする見方が多い。

「ヤアサン」とは「ヤクザ」の別称である。

「アサヤン」=「ヤアサン(ヤクザ)」という見方を前提にすると、この箇所は、「白い粉を受け取り、代金として相手に万札を握らせた。(万札を)握ったのはヤクザだと思う」という風に読み取れる。

「アサヤン」については他にも、「アサヤン」=「アサヤンというあだ名の人物(アサダさん、アサノさん、アサハラさんetc...)」と解するなど、様々の説がある。

また、ぴったりくるのは古い差別用語の「朝やん」という言葉があるそうで、意味は「朝鮮人」という意味です。

 

さて、「鈴鹿市算所あやめいっぱいの部屋」で、「白い粉(シャブ)」を買い、「ヤクザ」に「万札」を支払った。

その後、どうなったか?

ヒル間カラ テルホニハイッテ 股を大きくワッテ 
家ノ裏口ヲ忘レテ シガミツイタ。
モウ股割レハ人ヲコえて 一匹のメスにナッテイタ。

(昼間からホテルに入って股を割って、家の裏口を忘れてしがみついた。もう股割れは人を超えて一匹のメスになっていた)

 

「テルホ」とは、「ホテル」のアナグラムだとする見方が多い。

また、ここにも「裏口」という言葉が登場しているが、これを通説どおり、

「裏口」=「売春」

と解し、また股割れが「しがみついて」いるのが「シャブをくれるヤクザ」だとすれば、この箇所の意味は、「昼間からホテルに入って、裏仕事(売春)のことも忘れて、ヤクザとのシャブセックスに溺れた。もう股割れは、人を超えて一匹のメスになっていた」という風に読み取れる。

あるいはこの「裏口」という言葉を、以前記述したように、

  • 「浦口姓」
  • 「浦口XX店(店名)」
  • 「伊勢市の浦口(地名)」

などと解すれば、この箇所の意味は、例えば、「昼間からホテルに入って、(家族の)浦口のことも忘れて、ヤクザとのシャブセックスに溺れた。もう股割れは、人を超えて一匹のメスになっていた」

「昼間からホテルに入って、(自分の店である)浦口XX店の店番のことも忘れて、ヤクザとのシャブセックスに溺れた。もう股割れは、人を超えて一匹のメスになっていた」

「昼間からホテルに入って、伊勢市浦口にある我が家のことも忘れて、ヤクザとのシャブセックスに溺れた。もう股割れは、人を超えて一匹のメスになっていた」

などと読めるかもしれない。

作者によると、シャブセックスの強烈な快感に、股割れは、

感激ノアマリアサヤンノイフトオリニ動いタ。
(感激のあまり、アサヤンのいうとおりに動いた)

 

シャブセックスによって飼い慣らされ、唯々諾々とヤクザの指示に従う・・・

そんな股割れの姿が浮かんでくるが、ここで忘れてはならないのは、この

「シャブに溺れて、真っ昼間からホテルに入り浸り、ヤクザに股を開き・・・」

という物語は、「股割れ」というワードから着想した作者の「虚構」である可能性があるということで、作者としては、その「虚構」の物語の中に特定の人物の「名前」や「住所」その他を暗示する言葉を散りばめただけであり、それで十分・・・というか、むしろ精一杯だった可能性もある。

シャブ欲しさにヤクザの指示に従った結果、どうなったか。

ソレガ大きな事件トハシラズニ、
又カムチャッカノハクセツノ冷タサモシラズニ、
ケッカハ ミユキヲハッカンジゴクニオトシタノデアル

(それが大きな事件とは知らずに、またカムチャッカのハクセツの冷たさも知らずに、結果はみゆきを八寒地獄に落としたのである)

 

作者によると、股割れは、「大きな事件とは知らずに」ヤクザに手を貸したのだという。

「大きな事件」にも色々あるが、例えば、「巨大な組織の思惑が背景にある事件」「国家による犯罪」なども、それに当たるかも知れない。

また、「カムチャッカ」という言葉が出ているが、これはカムチャッカ半島を指していると思われ、他の候補、例えば「カムチャッカ地方(2007~)」「カムチャッカ州(1932~2007)」などといった極東ロシアの管区もあるにはあるが、このあたりはどう解釈しても差し支えないと思う。

カムチャッカ半島は、自然豊かな美しい半島として名高い。

位置的には、北海道の北、千島列島のさらに向こう側。

オホーツク海とベーリング海とに挟まれた、極東ロシアの極寒の地だった。

この半島の「ハクセツ(白雪)の冷たさも知らずに」ということは、例えば

「ゆきちゃんを極寒の地へ送ることになるとも知らずに」

「ゆきちゃんが送られることになる土地の、辛く厳しい寒さも知らずに」

「ゆきちゃんが極寒の地のような辛い境遇に落とされることも知らずに」

というくらいの意味になるだろうか。
あるいは、「その後に股割れ自身がはまり込む、シャブ中毒の恐ろしさも知らずに」とも解釈できるかもしれない。

この部分を文字通りに解釈して、「怪文書の作者は、女児がカムチャッカ半島に送られたと考えている」という風に読み取ることもできなくはないが、実際はそういうことではなく、恐らく作者は、この「カムチャッカ」という言葉によって

「寒い地」

「北の地」

ということを表現したかったのではないかと想像している。

「シベリア」などとは言わず、わざわざ「カムチャッカ」と表現しているところを見ると、作者の意識の中には、例えば、「半島」とかのワードも浮かんでいたのかもしれない。(カムチャッカ「半島」)

股割れのシャブ欲しさの軽率な行動は、その結果として、ゆきちゃんを

「八寒地獄(ハッカンジゴク)に落としたのである」

 

というのだった。

「八寒地獄」とは、仏教に説かれる地獄の諸相の一つで、人はそこで極限の寒さによって責め苛まれるのだという。

八寒地獄という言葉を検索すると某仏教系の新興宗教のページも出てきますが、ひょっとしたら信者だったのかもしれません。

「大きな事件とも知らずに、またカムチャッカの白雪(ハクセツ)の冷たさも知らずに、一人の少女を八寒地獄に落としてしまった」・・・

叱責とも後悔とも取れる述懐の後、あたかも、遠い地にあるゆきちゃんに思いを馳せるかのように、作者は次のように呟くのだった。

モウ春、三回迎エタコトニナル
サカイノ クスリヤの居たトコロデハナイカ トオモウ。

(もう春、三回迎えたことになる。サカイの薬屋の居たところではないかと思う)

 

ゆきちゃんが行方不明になったのは、1991年3月で怪文書が投函されたのは、その3年後の1994年春のことであり、「モウ春、三回迎エタコトニナル」とは、「ゆきちゃんが行方不明になってから、もう3度目の春を迎えてしまった」ということで間違いはないと思うが、気になるのは、この述懐にはなにか呆然とした響きがあるということで、そこには、

「あれからこうして我々には春という季節が3度巡ってきた。しかしゆきちゃんには、未だに春が訪れてはいない」

という現実を前に愕然とする、作者の思いが込められていたのかもしれない。

問題は、次の一節だった。

サカイノ クスリヤの居たトコロデハナイカトオモウ。

 

「堺の薬屋の居たところではないかと思う」

この表記で、おそらく間違いない。

意味深な一言だった。

「堺の薬屋」とは何か?

これについては、

「薬(クスリ)」=「シャブ(覚せい剤)」

「薬屋(クスリヤ)」=「暴力団またはシャブの売人」

と解し、そこから「堺の薬屋」を、「大阪府堺市に本拠を置く暴力団」や「堺市をベースに活動しているシャブの売人」として、推理を展開する説もある。

また「堺の薬屋」は「小西行長」と解する説もある。

日本史、特に戦国~安土桃山期に興味のある人なら、「堺の薬屋」と聞けば真っ先に「小西行長」の名を思い浮かべる人も多いのではないだろうか?

大河ドラマ「軍師官兵衛」に登場したこともあり、その名を聞いたことのある人も多いのではないかと思う。

小西行長(1558~1600)は、堺の薬問屋の息子という身分から武士となり、秀吉の家臣として功を上げ、大名にまで成り上がった人物だ。

同時代のライバルだった加藤清正をはじめとする武将たちは行長の出自を揶揄しつつ「あの堺の薬屋めが」「薬問屋の小倅(こせがれ)めが」と陰口を叩いたという。

その様子は、歴史小説などにも描かれている。

「薬屋で、何が悪い?」

そんな反発心もあってか、行長は、「文禄・慶長の役」で先鋒として出陣した際、薬袋(紙袋)に朱の丸を描いたものを、自軍の軍旗として使用したという。

この役(えき)における行長の転戦の様子は、ウィキペディアにも詳しい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E7%A6%84%E3%83%BB%E6%85%B6%E9%95%B7%E3%81%AE%E5%BD%B9

文禄元年(1592年)6月15日、行長の部隊がどこの国の、なんという場所を制圧したかを知る事が重要かと思う。

いずれにしても、「堺の薬屋(サカイノクスリヤ)」は小西行長だとすれば、この怪文書の作者は、失踪したゆきちゃんについて、「小西行長が居たところに、移送されたのだ」と考えていると見ることができる。

では、「小西行長が居たところ」とは、どこを指すのか?

これについては、行長の誕生から死に至るまでの足跡を辿れば、様々な解釈が可能だと思う。

解釈するに当たっては、「ソレガ大きな事件トハシラズニ(それが大きな事件とは知らずに)」という作者の言葉も、参考になるかもしれない。

ふと海の向こう側に視線を移すかのように、作者はこう続けていく。

 ダッタン海キョウヲ、テフがコエタ、コンナ平和希求トハチガウ
ミユキノハ丶ガカ弱イハネヲ バタバタ ヒラヒラ サシテ
ワガ子ヲサガシテ、広いダッタンノ海ヲワタッテイルノデアル

(ダッタン海峡を、てふが超えた。こんな平和希求とは違う。みゆきの母が、か弱い羽をバタバタヒラヒラさして、我が子を捜して、広い韃靼の海を渡っているのである)

「ダッタン海キョウ」とは、「韃靼海峡(つまり間宮海峡)」のことで、間宮海峡とは、北海道の北、樺太島(サハリン島)の北部とロシア・ハバロフスク地方との間にまたがる海峡のことだ。

この海峡を、「テフがコエタ」というのだが、「テフ」とは「蝶(ちょう)」の旧仮名遣いであり、すなわち、「テフがコエタ」とは「蝶が超えた」となる。

これは、明治31年生まれの詩人・安西冬衛の「春」という一行詩、「てふてふが一匹韃靼海峡を渡つて行つた。」から引用した表現と思われる。

(一行詩「春」は、安西が昭和4年に刊行した詩集「軍艦茉莉」に収録されている)

安西冬衛は、奈良県生まれの大阪府堺市育ち。
1919年から約15年間、満州(大連)で過ごした後、昭和9年に帰国、それ以降は1965年に67歳で死去するまで、堺市に定住した。

ひょっとすると、「春」から引用したのは安西冬衛の経歴を示したかったのかもしれない。

一行詩「春」は、堺市の戎公園(ザビエル公園)にも、その詩碑が建立されている。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E8%A5%BF%E5%86%AC%E8%A1%9B

 

「てふてふ」という言葉からは、丸さ、柔らかさ、軽やかさ、小ささなどが連想され、一方で「韃靼海峡」からは、垂れ込める暗雲の下、猛り狂う極北の黒い海が連想され、二つの語句の音的、視覚的コントラストも鮮やかと評されるこの一行詩だが、怪文書の作者は、

「コンナ 平和希求トハチガウ」

 

ゆきちゃんの件は、そんな詩のような、悠長な話ではないのだという。

ではどんな話かというと、

「ミユキノハ丶ガカ弱イハネヲ バタバタヒラヒラ サシテ ワガ子ヲサガシテ、広いダッタンノ海ヲワタッテイル」

(みゆきの母が、か弱い羽をバタバタヒラヒラさして、我が子を捜して、広い韃靼の海を渡っている)

 

のだという。

その意味するところは、「ゆきちゃんの母が、光明の無い中を必死にもがきながら、我が子を求めて、絶望的な探索を続けている」ということかと思われる。

ここで、「平和希求」とは聞きなれない言葉だが、昭和20年代ごろには、よく使われたらしい。

「平和を求める」くらいの意味だろうか。

怪文書の作者は、この「てふてふ」の詩を、「平和希求の詩」として習ったのかもしれない。

女児やその家族をこれほどまでの生き地獄に落としておきながら、

股割れは平気なそぶり
時ニハ 駅のカンバンニ眼ヲナガスコトモアル。
一片の良心ガアル、罪悪ヲカンズルニヂカイナイ
ソレヲ忘レタイタメニ股を割ってクレルオスヲ探しツヅケルマイニチ

(股割れは平気なそぶりでいる。時には駅の看板に目を流すこともある。股割れにも一片の良心はあろうから、罪悪感を覚えているに違いない。それを忘れたいがために、股を割ってくれる男を捜し続ける毎日だ。)

 

ここにいう「駅のカンバン(駅の看板)」とは、失踪した加茂前ゆきちゃんの情報を求める、駅の立て看板のことだと思われるが、これに続く自問自答は、やや唐突な感があった。

股ワレワ ダレカ、ソレハ富田で生レタコトハマチガイナイ
(股割れは、誰か? それは富田で生まれたことは間違いない)

 

この微妙に間の抜けた自問自答に不自然さを見てとるなら、もしかすると作者は、「股ワレワ ダレカ」の直後に、具体的な個人名を暗示するワードを忍び込ませているということも考えられる。(ここはすでに論じたので割愛します)