加茂前ゆきちゃん失踪事件⑧ | 全曜日の考察魔~引越し版

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作者は続ける。

確証ヲ?ムマデ捜査機官に言フナ
キナガニ、トオマワシニカンサツスルコト
事件ガ大キイノデ、決シテ イソグテバナイトオモウ。

(確証をつかむまで捜査機関に言うな。気長に、遠まわしに観察すること。事件が大きいので、決して急ぐ手はないと思う)

 

「確証を?むまで」となっているが、ここはほとんどのサイトで、「確証を掴むまで」と表記されているので、それに倣わせていただく。

「確証を掴むまで捜査機関に言うな」「気長に、遠まわしに観察せよ」と助言している。

だが、逆に言えばこれは、「気長に、遠まわしに観察すれば、確証をつかみうる人物だ」「犯人は、あなた方から観察可能な人物だ」と言っているとも読み取れる。

ゆきちゃんは、飲みかけのまだ温かいココアを残して失踪した。

その状況下で彼女を連れ出し得た人物とすれば、当然、彼女の周辺人物(遠まわしに観察可能な人物?)も、候補にはなるのかなと。

そしてここでも作者は、「事件が大きい」と言っている。

「だから決して、急ぐ手はない」と言うのだった。

この助言を、「親切心から出たもの」とすれば、この箇所は「事件が大きいので解決は難しいが、ゆきちゃんは連れ去られはしたものの、殺されてはいない。だから、まずは落ち着いて、腰をすえてかかれ」と言っているようにも見える。

逆にこの助言(?)を「悪意から出たもの」だとすれば、それは「ゆきちゃんの両親に諦めの気持ちを生じさせるための(真犯人による)陽動作戦だ」と見ることもできる。

どちらにとるかは、解釈の分かれるところかと。

最後に作者は、股割れへの怒りをぶちまけて見せた。

 ヤツザキニモシテヤリタイ股割レ。ダ。ミユキガカアイソウ
(八つ裂きにもしてやりたい股割れだ。ミユキが可哀そう)

 

行頭にが付いているのは、強調の意味かどうかはよくわからない、原文ママ。

いずれにしても、股割れを「八つ裂きにもしてやりたい」というのであり、それほどまでにゆきちゃんのことが「カアイソウ」なのだと言っている。

ならば例えば、「ゆきちゃんを助けてやりたい」「それができないのが、辛い」「早く見つけてやってください」等の言葉で文書を締めくくるのかと思いきや、話は最後に、突拍子もない方向に飛躍した。

 我ガ股ヲ割ルトキハ命ガケ
コレガ人ダ コノトキガ女ノ一番トホトイトキダ

(我が股を割るときは命がけ。これが人だ。この時が女の一番尊い時だ)

 

あろうことか作者は、女性の性的モラルに対する個人の理想を叫んで、文章を締め括った。

ここにきて、ゆきちゃんのことは作者の頭から忘れ去られたかのようだった。

ここに、「我が股を割るときは」という表現が出ているが、これを、

  1. 「私が股を割るときは」
  2. 「私の股を割るときは」
  3. 「自分の股を割るときは」

そのいずれと解するかによって、文章のニュアンスは、微妙に変わってくると思う。

 

1.2と解すれば、この部分は「作者自身が股を割る時のことを述べたもの」となり、つまり「作者は女性である」もしくは「作者は女性を装っている(実際は男性だ)」ということが考えられる。

③と解すれば、この部分は「一般論として女性が股を割る時のことを述べたもの」と見ることができ、その場合は、「作者は女性、男性、両方の可能性がある」ということになるかと思う。

どちらに解することもできるが、私は③ではないかと思う。

また、ここでいう「股を割る」は、出産のことと解釈できなくもない。(だからこそ「命ガケ」で「トホトイ(尊い)」)。

しかし、作者はここまで一貫して「股を割る」=「男に股を開く」という意味で用いており、このラストの「股を割る」も、「男に股を開く」「男に身をゆだねる」

の意味に解するのが、他の部分とは整合する。

「女が男に股を開くときは命がけでやれよ。それが人ってものだ!」
「命がけで男に身をゆだねる。そのときが女の一番尊い時だと思うんだ!」

文書の最後で、作者はそう叫んだ。

その主張の是非はともかくとして、それを不明女児の親に向かって叫んでみせることに、なんの意味があったのか?

しょせん、作者にとって女児の失踪は些事に過ぎず、ただ股割れの貞操観念の薄さに対する不満をぶちまけることにのみ、文書の目的があったのだろうか?

結局のところそれが真相だったかもしれないが、このラストの部分には、股割れが女であることをことさらに強調するかのような、言い換えれば「私(怪文書の作者)は、犯人を女だと考えています」「私は決して、犯人を男だとは思っていません」ということを、誰かに向かって念押しするかのような、不自然な響きがなくもない。

仮にその不自然さがあるとすれば、そこに隠された作者の意図は何か?

その点を考えてみると、もしかすると作者は、この文書が直ちに警察に渡され、やがてそれが公開されて、作者の恐れる「誰か」の目に触れる可能性を考えていたのかもしれない。

その「誰か」の目に触れるということが、すなわち、その「誰か」から作者の素性を悟られ、報復される可能性があることを意味したとすれば、作者としては、その危険を防止するため、「作者の素性につながりかねないセリフ」を文中から排除すると同時に、作者の素性をミスリードするような、事実とは正反対のセリフを作中で叫んでみせる必要もあり、その意図の下に、作者は最後に自分が恐れるその「誰か」に向かってダメ押しをするかのように

「犯人(股割れ)は、女だ!」「あいつは、女失格だ!」という意味のこと、すなわち、「股割れの貞操観念の薄さに対する不満」を、ことさらに叫んで見せた・・・

ということが、想像されるかもしれない。

この想像を前提とすれば、作者のその叫び(股割れ=女)の反対側にこそ真実がある、ということが考えられるのであり、それはつまり、作中の「股割れ」は男であった、という可能性を示しているのかもしれない。