赤報隊事件④~犯人説の推測~ | 全曜日の考察魔~引越し版

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犯人説の推測

新右翼「一水会」説

犯行声明文から疑われたのが右翼・新右翼であり、なかでも真っ先に疑われたのは新右翼団体「一水会」であった。その根拠となったのは最初の東京本社事件の犯行声明文で「日本民族独立義勇軍」と書かれていたことにあった。というのも、この事件から6年前の81年12月から83年8月にかけて、「民族独立義勇軍」を名乗って示威的なテロ攻撃を朝日新聞および米ソ両領事館に対して行った正体不明の組織が存在したのだが、その犯行声明がなぜか「一水会」に送付され、機関紙「レコンキスタ」に掲載されていたことがあったからだ。こうしたことから一水会周辺は警察に徹底的に捜査された。一水会の創設者である鈴木邦男氏は容疑者扱いをれるがシロ、その後赤報隊関連で最も広く深く発言する人物となった。
 

野村秋介周辺説

野村秋介氏は朝日新聞糾弾の急先鋒として知られていた。野村氏は「週刊朝日」の1ページで、自身の「風の会」を「虱の会」と揶揄され激怒、93年10月20日、朝日新聞社に乗りこみ中江社長に謝罪をさせている。その後、そこで拳銃自殺を遂げた。そんな野村氏の周辺にいた人物が朝日新聞を狙ったのではないかとも推測された。野村氏は生前から「右翼にそんな度胸のある奴はいない」と公言し、自らの関与も否定していた。

愛知在住右翼説

過去に「赤報隊」と名乗っていた団体が愛知に存在した。その団体は県内在住の某右翼が地元の暴走族出身者ら約30人を集めて結成していたものだった。その右翼幹部は朝日新聞の取材に対し、事件への関与を全面否定しているが、メンバーの動向については回答を拒否した。

東京在住インテリ系右翼説

犯行声明文によると、愛知事件を「中京方面」、阪神事件を「関西」としているが、江副宅の事件では「都内南麻布」と書いている。また、静岡事件の声明文では関西では販売されていない東京新聞を朝日ととも批判する一文がある。このため都内で活動する中高年のインテリ系右翼だと捜査本部は推測していた。

関西在住右翼・暴力団説

赤報隊関連で初の大規模捜索(82ヶ所)が大阪府警によって行われた。この時は関西に拠点を置く暴力団と、その組織との関係が深い右翼団体の事務所が徹底的に捜索された。ジャーナリスト一橋文哉氏によると、その理由は前年に大阪府内の暴力団員が、銃身を短く切った散弾銃を借金の担保として右翼関係者に渡しており、その右翼関係者から『赤報隊に入らないか』との情報を得たかららしい。しかし、散弾銃は発見されず、そのままうやむやとなった。

統一協会説

阪神支局の事件の2日後、朝日新聞東京本社に散弾銃の空楽きょうを同封した脅迫状が送付された。文面は「とういつきょうかいの わるくちをいうやつは みなごろしだ」というものだった。

ジャーナリストで元参議院議員の有田芳生氏は”赤報隊=統一協会説”を「週刊文春 97年5月15日号」で展開している。それによると86年12月から「朝日ジャーナル」は霊感商法批判キャンペーンを始め、当時まだタブー視されていた統一教会批判に乗り出したことへの報復らしい。また、殺害された小尻記者も統一協会の霊感商法を取材していたようだとも報じられた。有田氏が特に指摘したのは教団関連企業の「統一産業」が韓国から大量狩猟用散弾銃を輸入したことがあり、信者の多くが全国各地で鉄砲店で経営しているという点だった。

極右過激派説

前出の一水会説で疑われた鈴木邦男氏は「週刊SPA」の連載で、「赤報隊とおぼしき人物に会った事がある」と告白した。それによると83年ごろ、鈴木氏は「日本民族独立義勇軍」を名乗る男から接触を受け、「今後は朝日をやります。何人かは死んでもらいます」と語ったという。さらに86年ごろにその男と再会し、「中曾根康弘を殺す」という宣言も聞いたという。

自衛隊・元自衛官説

自衛隊には少数ながら極右とされるグループが存在するらしい。実際に右翼団体と交流したり、憂国思想を語る自衛官はいる。右翼団体ではなくても、犯行声明文に書かれているようなことを嘆いている人物のいる組織ということで自衛隊員説もひとつの可能性として語られた。

新左翼説

広範囲に行われた警察の捜査も右翼とは真逆の新左翼関係者にも向けられた。一部の新左翼には”反米独立”路線で新右翼と急速に接近している人脈もあり、無関係だとは断定できなかった。赤報隊といえば右翼的心情が浮かぶと上で書いたが、幕末の赤報隊という組織を民衆運動の観点から見なおそうとする左翼系グループもあったという。

また、「赤報隊の関係者ではないか」と名指しされた人物もいた。「週刊SPA 00年6月7日号」の中で一水会の鈴木邦男氏が書かれた、西宮市の左翼系出版社である「エスエル出版会」の松岡利康社長である。松岡氏は以前、「赤報派」と名乗っていたこともある関西のブント系過激派「共産主義同盟」のメンバーで、しかも赤報隊が犯行声明分作成に使った物と同タイプのワープロを鈴木氏に贈ったことがあり、その事実を口止めしたというのだ。

関西闇人脈ヒットマン説

阪神支局の大島支局長は過去に新聞労連委員長を務めており、在阪夕刊紙の労働争議で指導力を発揮したこともあるため、関西右翼・暴力団筋から狙われていてもおかしくない位置にいた。ちなみに当時小尻記者とともに撃たれた犬飼記者の座っていた席は大島氏がよく座っていた席だったのだが、これは怪しい。大島氏を狙うなら何も職場でなくてもいいし、朝日新聞社にショックを与えるためにあえて阪神支局を狙うなら最低でも大島氏の在社を確認してから襲撃するはずだ。個人的にはあまり支持しません。
 

外国人ヒットマン説

阪神事件の犯人は終始無言だった。おまけに改造して軽量化した散弾銃の扱いにも手慣れていた。このため何者かが雇ったプロの外国人ヒットマンという見方があった。ただ、目撃された人物たちに外国系の人間はいない(ただし、中国・韓国系等であればあまり見た目は変わらないかも)。

ジャーナリスト・一橋文哉氏の説

一橋氏は「赤報隊の正体」(新潮社刊)の中で、阪神支局で殺害された小尻記者は人権問題に熱心であり、同和問題の取材で被差別部落出身のある男(著書では仮名として「真田」と記されている)に接触し、さらにその男が出入りしていた大阪の右翼団体にも接近した形跡があるということを指摘した。そして、その人脈がたまたま平和相銀事件の背後に暗躍した関西闇社会の核心に位置していたため、図らずも命を狙われることになった可能性が高いと書いている。その裏づけとして一橋氏は次のようなことを挙げている
・男は特徴が目撃情報と酷似していること。
・男が滋賀県の赤報隊発祥の地で生まれ、自身も赤報隊を信奉して育ったこと。
・事件当時、仕事の関係で兵庫県内に頻繁に出かけており、現場周辺に土地勘があったこと。
・若いときから武器や空手の訓練を受けた形跡があること。
・散弾銃の改造能力を持っていたこと。
・犯行声明文の封筒の中から検出された特殊繊維片が、男の神道系宗教の儀式に使う衣服のものに近いこと。


また、私も前ブログで取り上げたグリコ・森永事件に関わる一連の捜査で、最後の最後に「B作戦」という作戦が展開されたが、あの「B元組長」が、ここで再び接点として登場する。B元組長は元々は山口組系の組織でしたが或る時期から廃業した人物にして、グリコ森永事件に於ける黒幕なのではないかと疑われた続けた人物。右翼団体や同和団体が乱立する中で、B元組長とも面識のあるる右翼団体の会長が浮かび上がる(野村秋介氏では無い)。

ちなみにこの男はすでに亡くなっている。病死ということであり、一橋氏のレポートは闇に葬られたという形でレポートを終えている。

一方、朝日新聞社116号事件取材班の「新聞社襲撃 テロリズムと対峙した15年」(岩波書店)という本では完全に一橋説を否定している。第一にそうした男は存在していないし、小尻記者もそんな男と会った形跡はなかった。そして、男が小尻記者に渡したとされる土地取引をめぐる資料も存在していないということである。