赤報隊事件③~犯人の手がかりと捜査~ | 全曜日の考察魔~引越し版

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赤報隊事件については前ブログで取り上げております。

犯人の手がかり

報道

以下に報道された事実を記す。

  • 犯行声明、脅迫状にどの事件も同じワープロ、用紙が使われ、用紙の折りたたみ方も同じで同一人物、又は同一グループの犯行と考えられる。
  • 3-4m の距離から散弾銃を一人で狙い撃ち、逃走時の危険が増すにもかかわらず更に編集室の奥に踏み込み、もう一人を撃ったやり方から、銃の扱いに手慣れ、大胆で冷静な行動ができる男。
  • 犯人は「反日」という言葉をよく使用する。
  • 靖国公式参拝問題での中曽根康弘首相への強い反発がある。
  • 在日韓国人の指紋押捺廃止への反発がある。
  • 戦後民主主義に挑戦する中曽根首相も生ぬるく、優柔不断としていら立つ狂信的な国粋主義者。

NHKニュースおはよう日本(2017年5月2日放送)は、次の事実を伝えている。警察は、朝日新聞の報道で対立関係にあった新興宗教団体や東京裁判、靖国神社参拝報道に異論を主張するグループの犯行を疑い、10人程度に容疑者を絞った。
一水会元最高顧問の鈴木邦男も犯人が動きを止めたのは、憲法改正をしやすくするため思想的に世の中を変えるという目的を達したからと指摘している(犯人像)。「犯人から、犯人とおぼしき人からの接触」を認めている(NHKスペシャル未解決事件 File.06「赤報隊事件」2018年1月28日)。
政界にも犯人の影がある(朝日新聞2001年8月3日付朝刊)。
犯人の思想(戦後体制否定、戦前回帰)は、安倍晋三元首相が唱えていた「戦後レジームからの脱却」と直結している事が指摘されている。

捜査

1987年5月7日、仁平圀雄警察庁刑事局長は「極めて反社会性の強い事件なので、地元兵庫県警のみならず、全国警察の組織を結集して犯人を検挙し、動機や背後関係を解明する」と決意を表明した。 警察は、事件との関連性が疑われる阪神支局における取材上のトラブルの有無など、関連性が疑われる他の事件(1988年5月のYP体制打倒同盟脅迫状事件、1986年 - 1988年の亜細亜独立義勇軍関西部隊脅迫状事件、1991年12月8日に起きた米軍横須賀基地の車両放火事件など)、犯人との関連が疑われる組織・団体、物証などについての捜査を進めた。
また、捜査当局は犯行声明の分析を言語学者ら(複数)に依頼した。それによると、犯行声明の筆者は「ある程度知的な三〇代以上の人物」という分析結果が多数を占めた。「反日」という言葉(「反日分子」「反日マスコミ」「反日企業」など19か所ある)にも注目して捜査した。
事件で「赤報隊」を名乗る犯人が出した8通の犯行声明文、脅迫状は、1人の同一人物が作成した可能性が極めて高いという解析結果が出た(NHKスペシャル未解決事件 File.06「赤報隊事件」2018年1月28日)。
一連の事件では複数の男が目撃され、兵庫、愛知、静岡県警、警視庁は似顔絵や服装写真を作り、犯人を追った[74]。延べ50万人が捜査対象になった。

「疑惑の中心地」とされた人物

山下征士元兵庫県警捜査一課長は、捜査で「疑惑の中心地」とされた人物について記している。捜査当局がマークしていたチャート図中央の人物がいた。刑事・公安両方が注目したが、警察庁が示した右翼関係者のリストの人物はほとんどがこの人物周辺、接点があった。兵庫県警は3回この人物に事情聴取した。名古屋本社寮襲撃事件の犯行声明文にある「反日朝日は五十年前にかえれ」は、「昭和12年12月から昭和13年1月までの南京攻略を言っている」と答えている。 この人物は旧日本陸軍連隊機関誌に「中曽根総理にもの申す」を寄稿した。内容は靖国神社参拝、教科書問題、朝日新聞批判で、「赤報隊」の犯行声明と似ていた。朝日新聞は1984年8月4日付記事で南京事件について報道し、1985年11月24日付でこの人物を批判した。山下元兵庫県警捜査一課長は、この人物の「キャリアや思想、朝日新聞への敵意」から、「ここまで公然と朝日新聞社と、中曽根政権に「もの言い」をつけていた著名人」はおらず、この人物が「真っ先にマークされるのはどう見ても自然」であり、実行犯ではないとしても「影響下にある人物を操縦して犯行を指示することは可能である」とした。山下元兵庫県警捜査一課長は、未解決事件に時効はないと話している。

時効後の捜査

2021年12月13日、朝日新聞静岡支局爆破未遂事件の現場付近で採取された指紋が、関東地方の別の事件に関わり逮捕されていた50代の男の指紋と一致したことが警察関係者への取材で分かった。

右翼・新右翼

捜査対象には、右翼団体、新右翼などが含まれる。1996年5月、朝日新聞の取材に対し國松孝次警察庁長官(当時)は、犯人について新右翼の捜査をしていることを認めた。しかし、「それだけではない」として他の視野での捜査を行っているとした。犯行について「実行犯の補助者」の存在なしでは困難との見方を示した。犯行声明を書く指令部の存在に言及した。
1998年1月、警察庁で警視庁、兵庫県警、愛知県警、静岡県警の合同捜査会議が開かれ、動機から思想犯として右翼関係者9人(後に1人追加され10人)のリストが示された。10人は全員事件との関わりを否定し、一部の人間は任意でポリグラフを受けたが結果は「シロ」だった。捜査幹部の一人は「彼らの周辺に容疑者がいる可能性は、今も否定できない」と話した。
犯人らは自らを「日本民族独立義勇軍」の関係者であるかのように示唆していたが、この名称を名乗る団体は、1981年から1983年にかけて朝日新聞や米ソ領事館にテロ攻撃をしかけている。この犯行声明が一水会に送られ、同会の幹部らが同調的な動きを示していたこともわかっており、警察は同会周辺を徹底的に捜査した。

宗教団体

宗教団体も捜査対象となった。朝日新聞社の発行する『朝日ジャーナル』などが統一教会の「霊感商法」批判を展開していたことに対し統一教会側からの反発が強かったことや、上記の統一教会の名を使った脅迫状(事件直後に「とういつきょうかいの わるくちをいうやつは みなごろしだ」という脅迫状が事件で使われた銃弾と同一の薬莢2個と同封されて届いた)、『朝日ジャーナル』の編集長をしていた筑紫哲也氏宛に脅迫状が届いていたことなどから、統一教会の関係者の関与も疑われ、捜査の対象になった。