鎌倉を歩き過ぎたのだ | 鈴木幸江スピリチュアルカウンセリング

GW前の平日に、ツアーを企画するために鎌倉を散策してきました。

 

テーマは「源頼朝」。

 

源頼朝(Wikipediaより転載)

 

この肖像画が大好きなんです。

武将としての決意が感じられる。

凛とした空気すら描かれている。

国宝ですが、頼朝ではないという説もあります。

私は肖像画の一大傑作だと思っています。

レンブラントより凄いかも。

なのに作者不明。

 

私の通った幼稚園が、源頼朝に縁がある神社神社の経営だったので、勝手に頼朝様にご縁を感じております。

源頼義・義家の父子が、前九年の役で勝利を治めた際に石清水八幡の分霊を勧請したのが始まりという神社です。

源頼朝もまた奥州征定の時に勝利を祈願したので、梶原景時に命じて社殿を造営したそうです。

梶原景時は、大河ドラマ「鎌倉殿の十三人」で中村獅童さんが演じましたね。

幼稚園では、お誕生日の日に、宮司の園長さんが本殿でお祓いをしてくれましたっけ。

この宮司さん、ひどく雨男でして傘

神社のお祭り祭も、幼稚園の遠足おにぎりも、

みんな雨悲しいあせる

 

話は戻って。

鶴岡八幡宮からお詣りしました。

 

 

以前、階段の左側のしめ縄で囲まれたところに大銀杏イチョウの大木がありました。

2008年にお詣りした際には、張り出した枝をちょっと触って、エネルギーをいただきましたお願い

この大銀杏は、源実朝が暗殺された時に刺客が隠れていたという伝説の大木です。

ところが、2020年の強風で大木が倒れてしまいましたアセアセ

口の悪い友人が「誰かさんがエネルギーもらいすぎたんじゃないの?」と指差し

今はそこから元気な若木が育っており、ちょっと安心ニヤリ

 

2008年のその時の大銀杏

 

この時、源頼朝様のお墓をお詣りして、霊視して、頼朝様ご本人にアクセスしてみたのです。

すると、とっても気さくないい方で、なんでも答えて下さいました。

 

歴史番組では、平家追討に大活躍した、異母兄弟の義経を、頼朝が成敗したのは、義経が頼朝の命令に従わず、勝手に後白河法皇から官位を授かってしまったからと伝えていました。

 

「本当でしょうかはてなマーク」と私。

「義経は、私の言う事も聞かなかったし、梶原景時の言う事も聞かなかったんだよプンプン 自分が盛り上がっちゃうと周りが見えなくなって、どんどん勝手に進んじゃうんだ。こちらの都合はお構いなし。それで困って成敗したんだ。放っておくと、義経を担ぎ上げる一派が出てくるからね。」と頼朝様。

「なるほど知らんぷり

「現代の人にわかりやすく言うと、長嶋茂雄が近い。運動神経が良くて、スゴイことをタイミングよく成し遂げるスーパースターなんだ。それなのに、球場に息子を忘れて自宅に帰ってしまう長嶋茂雄は、義経によく似ている。」

「長嶋茂雄野球をご存じでびっくり

「発達障害だと思うよ。」

「はぁ・・・びっくり

 

2008年ですから、発達障害の概念を知る人はまだまだ少ない頃。

私は、仕事柄知ってはいましたが、鎌倉時代の方が現代のことを、さらに発達障害まで知っているとは驚きでしたびっくり

 

その後、NHKの「偉人たちの健康診断」という番組で、「義経は発達障害だったのではないか」という精神科医の診断があり、さらに驚いてしまいましたびっくりあせる

 

源頼朝様、恐るべしガーン

 

話は戻って。

さて、鎌倉ツアーの下見の話。

 

 

鶴岡八幡宮から源頼朝墓から永福寺跡と回って。

小町通りを歩いて。

というより、ものすごい人混みにもまれながら、ひたすら前進して、鎌倉駅へ。

北鎌倉にも行き。

 

さて、皆さんをどこにお連れしようかと迷いながら、あっちもこっちも。

 

自宅に戻った時は、2人、いや3人とも、ヘトヘトで、ボロボロでした。

 

なんと!! 2万歩も歩いてました足足足

ひゃ~~~あんぐりあせる