禅密気功を嗜むようになり、各功法、瞑想の源流が、仏教、禅、密教に有る事を知ります。

そして、それらを完成させた、過去の宗教家であったり、元の経典の名前、元の修行法の名前(チベットだとカタカナ)を、知ることとなります。

 

元々、好奇心旺盛な私は、そういった関係の宗教家の本、または完成に至るまでの経緯本、入手できる経典などを入手し、読み漁る事になっていきます。

 

宗教家の本などは、伝記でもあり、あーそんな人だったんだとか、そんなエピソードがあったのか、など、面白く読むことができました。

しかし、実際の練習方法に結び付く事は無く、ただ少し雑学的な知識が、身に付いたに過ぎませんでした。

 

仏教の歴史ににも、興味が出てしまったので、そういった本も読みました。

日本の仏教から読み始めましたが、どんどん遡り、中国、そしてインド、そしてヨガ、そしてゾロアスター教、アーリア人へと、もう気功とは、ほぼ関係ないところまで行ってしまいました。

 

アーリア人まで遡ってしまうと、西洋の宗教とも関係性が出てしまい、さすがに、この辺でおかしな本を買い漁るのは止めました。

 

チベット仏教なども、普通に入手できる本は結構買って読みました。

マンダラに関する本であったり、ニンマ派以前のチベットの宗教や、チベットからインドに遡り、チベットのタントラの本、ゾクチェン、マハームドラ関係の本も読みました。

 

あまり、系統的には読みませんでしたが、通勤電車の読書時間は、非常に充実してました。

 

しかし、こんな事に興味を持っているオッサンは、世の中にいるはずも無く、得た知識の話を誰にする事もありませんでしたし、こんな話を日常生活で普通にしたら、怪しさ満点のレッテルを貼られるぐらいの、常識的な感覚は持ち合わせてはいましたので、一人でコッソリ楽しんでいました。

 

雑学的な好奇心は、収まることも無く、その後はキリスト教、イスラム教、神道、修験道、天台宗関係、日本の密教関係の本を読み漁る事となります。

 

あれだけ仏教、宗教嫌いだった私が、まさか、宗教関係の本を読み漁るとは思いませんでした。

 

 

続く

 

仏教、宗教が大嫌いになった私は、葬式の時にしか関係性が発生しない、葬式仏教バンザイという気持ちでした。

 

その後は宗教とは全く関りは無くなりましたし、正直、臭いが漂うと先に逃げてました。

 

しかし、武術を嗜んでいた私は 禅と気功 には興味を持っていましたし、仏教は嫌いでしたが 禅は仏教の括りではなく 禅は禅だと思っていました。

 

ですが、気功に関しては宗教と同質のにおいを感じており、興味は持っていましたが相当警戒はしており、自分から出向いて気功を習うことはありませんでした。

 

しかし、身体の使い方に定評がある、禅密気功には格別な思いがありました。

 

よって、勇気を出して禅密気功に参加する事になります。

しかし、相当警戒していたのは事実で、入り口に大きな壺があったら帰ろうと思ってましたし、変な薬やグッズの話が出たらベランダ伝いでも、逃げ出そうと思っていました。

 

しかし、教室の扉を開けた瞬間に、警戒心は全くなりました。

朱剛先生がニッコリ笑い出てこられました。

 

何の根拠もありませんでしたが あー大丈夫だ と思ったのと 一日講習が終わった時点で、ここには探していた物が、あるかもしれないと直感的に思った自分がいました。

気功をすると 普通の中の普通になります この一言も、禅密気功を続ける原動力になりました。

 

そもそも気功は、道教由来の物だと思っていましたので、仏教系の気功があることを初めて知りました。

 

動功でなく、神髄は瞑想と言われた事にも驚きましたし、禅も瞑想も根本は同じだと言う事にも驚きました。

それほど、気功に関する知識は欠如していました。

 

あれほど毛嫌いしていた仏教ですが、やはり禅密気功の練習方法を聞くうちに、仏教に興味が出てきたことは間違いありませんでした。

 

禅、天台宗、日本の密教、チベットの密教の本を、また読むきっかけがまた出来ました。

 

続く

若い頃の仏教徒の関りと言えば、前回で書いたように基本的に本を通してでした。

 

その後は、そういった類の本を読むこともありませんでしたが、出張でホテルに泊まった時などは、机の引き出しの中に ブッダの教え 的な本が置いてあり、それを摘まんで読むぐらいでした。

 

読書が好きな私は、置いてある本は、とりあえず片っ端から見る癖があり、ブッダの本も いい事書いてあるじゃん とえらく上から目線で読みました。

 

そんな雑学程度の知識ではありましたが、新興宗教にはまっている先輩と話をして、反論するぐらいの弁はたちました。

 

すると、先輩から今度、集まりがあるので一度でいいからお前も来いと、言われましたが、自分は入信するつもりなどサラサラ無いと言いました。

しかし、先輩は一度来て話を聞き、それでも興味を持てなかったら、二度と誘う事は無いので一度は来い と言う話になり もし私が行って、それでも興味が持てないようなら、二度と誘わないと言う約束の元、集会に参加する事になりました。

 

集会に参加し、先生と呼ばれる方の法話を聴きましたが、正直何の興味も持てませんでした。

 

今思うと、何度かお名前を聞く先生でしたので、それほど怪しい宗教では無かったと思います。

 

説法を聞き終わった後、グループ討議のような状態になりました。

 

私は信者の方7、8人に囲まれ、輪廻転生の話をクドクドと話され 今生は人間に生まれる事が出来ましたが、来世はミジンコになるかもしれません、来世人間に生まれ変わる確率は、太平洋に浮かべた浮き輪の中に、ウミガメが顔を出すぐらいの確立だ と言われました。

人間に生まれ変わる為には入信して、徳を積まなければいけない、だから、あなたも入信しなさい と、延々と囲まれたまま言われました。

 

正直、何のこっちゃと思いました。

 

一人を多人数で取り囲み、クドクドクドクドと人が囲みから出れないようにして、入ると言うまで圧力を掛けて、説得するのが手口のようです。

 

だんだん腹が立ってきて、私も口を開きました 私は来世ミジンコでも構いません、だから入信はしません、ミジンコでも良い私はどうすればいいですか?そもそもミジンコはそれほど悪い生き物ですか?一生懸命生きているじゃないですか?

 

さすがに水を打ったようにシーンとなりました。

ここにいる人たちは、浮き輪の中に顔を出したいと思っている人たちです、さすがにミジンコでもいい、と言った私に反論する人はいませんでしたが、イタチの最後っ屁で 魚に食べられちゃうよ と言われました。

 

カメだって浮き輪にたどり着く前に、サメに食われるかもしれないじゃないか、と言おうと思いましたが、多少は大人ですのでもう止めておきました。

 

そして、来世ミジンコの私は胸を張って正面入り口から、お天道様の下を歩き、堂々と帰りました。

 

そして、先輩に決別宣言です、二度と誘わないでほしい、ああやって人を囲んで圧力を掛けるのが、あなたたちのやり方か、卑怯じゃないか。

その後も先輩は誘ってきましたが、自分は全く動じませんでしたので、これは終わりとなりました。

 

それは仏教でも〇〇系の宗派でしたが、そんな事に関係なく、仏教が大嫌いになり、宗教が大嫌いになりました。

 

続く

 

小学生ぐらいまでは、好むか好まないかは別にして、社会的、教育的に仏教に関わりました。

正直、関わったと言うより、日本人である以上、嫌でも触れるしかなかったと言ってよいかと思います。

 

よって、自分の意志がより尊重される中学生からは、仏教とのかかわりは、ほぼ皆無になっていきます。

 

正直、学研ムーのような雑誌も中学生の頃は立ち読みしてました。

キングオブオカルト雑誌ですが、突拍子もない内容ばかりで、中学生には、ワクワク感が止まりませんでしたし、当時はノストラダムスの大予言なんかが大いに流行り、クラス中で、どうやって生き残ろうなどと、真剣にクラスメイトと話をしてました。

ムーには、訳の分からない、修験道の修行法などが書いてあったっリ、自分の友人などは、毎晩UFOを呪文を唱え呼ぼうとしてました。

結構な中二病だったと思います。

 

しかし、何の縁だったかは分かりませんでしたが、中学生の時みた禅寺の写真集の庭の美しさに惹かれ、その本は何度も見返すことになり、その風景や、世界観は自分の記憶に深く刻み込まれました。

 

この景色は今でのぼんやり、自分の記憶にあります。

 

その後、仏教的に記憶にあるのが、チベットの鳥葬をテレビで見た事です。

 

ボカシは掛かっていたと思いますが、人間の死体を打ち砕き、鳥に食べさせると言う、日本人には考えられない行為に、度肝を抜かれました。

死んでしまえば、それはただの肉片と言う考え方に、恐怖すら覚え、盆に帰って来られないじゃんと思い、忘れられない記憶になりました。

 

その後、記憶に残っているのは チベット死者の書 をテレビで見た事です。

死者が死んだ後、どのような道を歩むのかが、事細かに説明され驚きました。

 

あー 49日 とはそういった解釈だったんだな、など関心した覚えがありますが、だからと言って、それを信じるのは、やはり難しかったです。

 

しかし、チベットの生き仏など、前世の記憶を持っている事については、とても不思議に思ってましたし、TVでみたチベットの砂曼荼羅の美しさに心惹かれました。

(この砂曼荼羅の美しさは、相当で、後年、砂曼荼羅をどうしても見たい、と言う希望は、ひょんな事から満たされる事となります)

 

チベット死者の書は、なんだか面白く、興味があったので、その後、NHKの本を買い読んだ記憶があります。

 

その本を読んだ事で、その後、チベット仏教関係の本は、いくつか読むことになりますが、全然意味の分からない境地や、修行法がカタカナで書いてあり、正直何のことやらサッパリ分かりませんでしたが、それでも何故か面白く、本を読んでいました。

 

チベット仏教の本を読んだ事により、ヨガ関係の本もいくつか読みました、欧米人の著作だと思いますが、物語風に書いてありとても面白かった記憶があります。

 

その中で、当時ヒッピーだった西洋人がヨガの行者の弟子になった話、自分の死期を悟り、その時間通りに死んでいったヨガ行者の話が記憶に残っています。

 

読んだチベット関係の本では チベット魔法の書 が抜群に面白かったです。

欧米人の女性が身分を隠し、チベットの宗教的な物に触れていく旅行記ですが、当時のチベットの世俗的な事や、非科学的な物に出会った事が、具体的に書いてあり、好奇心的にも読み物としても抜群に面白かったです。

 

その後、オームの歴史に残る事件が起こり、チベット仏教の本や、ヨガの本を読んでいた自分自身が怖くなりました。

 

その後、武術を趣味で行うようになり、禅に興味が出ました。

体験的に禅やヨガの瞑想に参加したのはこのころです。

 

この、禅や瞑想に参加したことは、正直ガッカリの記憶しか残っていません。

しかし、今思うとこの経験が、気功に繋がるキッカケだったんだと思います。

 

続く