日々の練習が多少なりとも成果を出し始めました。
心の揺れが少なくなり、瞑想と呼んでも良い状態になったと思います。
しかし、ここでも自分の思うようにはいきません。
心は静かになりました、しかし何も起きないのです。
心が静かになれば何かが起こると期待しましたが、何も起きません。
えーそんな事あるの?
正直ガッカリしました。
止めてしまおうか、そんな気持ちになったのはこの時期でした。
だが、日々の練習と言うものは大したものです。
気が乗っている、乗っていないに関わらず、毎朝練習する習慣は、おいそれとは変わりませんでした。
それが、変化へと繋がっていきます。
瞑想に於いて私の基本となる感覚が、このころ強化されていったと思います。
静かな感覚の中に重みが出てきます。
血液が鉛になったのではないかと思うほど、身体には重量感があります。
そして誰かが、お尻の穴から空気を入れているのではないかと思うような全身の充実感があります。
この感覚は毎日の物ではありませんでした。
体調の悪い時、雑念が湧いてしまった時には、この感覚は現れませんでした。
しかし、この重厚で充実感のある感覚が現れる事が日々増えていきます。
このような感覚が出始めると、感覚を眺める事ができるようになり、さらに雑念減っていきました。
この感覚が現れると、手の指先が温かく、シャウエッセンのようにパンパンになり色も赤みが差しました。
この重厚で充実感のある、心地良い感覚は、以前、東京で参加した瞑想会での感覚と、遜色ない感覚でした。
やっとこさ気功らしくなってきた、やっと瞑想らしくなってきた。
そんな時期でした。