全日本武道具空手道~巨星列伝~今回は、現国際空手道連盟極真会館関西地区本部長・兵庫大阪南支部長の中村誠氏をご紹介させて頂きます。
高校卒業後に上京され、激画『空手バカ一代』の影響で憧れを抱いておられた大山倍達極真会館総裁に会いたいという思いで極真会館に入門されます。
学生時代よりプロパンガスの配達等を経験され、体格も大きかったにも関わらず、入門当初は『身体の大きな人は続かない』というジンクスから、あまり期待されていなかった様です。
その後、地道に稽古を続けられ、初の公式試合として1977年にハワイで行われた日本代表vsハワイ代表の対抗戦に出場。この大会は当時、俳優の千葉真一氏が参戦する事でも話題になりました。
中村氏はこの試合でメガトン級のパンチで勝利し、同年開催された第9回全日本選手権にも出場。堂々3位入賞を果たされます。
しかし、大山倍達総裁はハワイでの試合からすれば、全日本の3位にも満足されず、更なるスキルアップを要求しアメリカで指導されていた最高師範の大山茂氏の元へ武者修行に行く事を指示されました。
帰国後、1979年に開催された第11回全日本選手権、準決勝で東孝選手、決勝で三瓶啓二選手を破り、見事初優勝されました。この優勝で世界選手権代表にも選出され、全日本選手権同様、決勝を三瓶啓二選手を破り、世界王者となりました。
その後大山倍達総裁の命を受け、兵庫支部長に就かれ、その一方で1980年第12回全日本選手権に出場。ここでもまた決勝で三瓶啓二選手と延長3回まで戦うも、惜しくも体重と試割の差で準優勝となりました。
1982年の第14回全日本選手権、4回戦でアデミール・ダ・コスタ選手に敗れたのを最後に、試合から離れられますが、1984年の第3回全世界空手道選手権に推薦で出場。イギリスの黒豹マイケル・トンプソン選手や、一度敗れたアデミール・ダコスタ選手とも対戦するも勝ち進み、再び宿命のライバルとも言える三瓶啓二選手と決勝で激突。延長1回で三瓶選手を下し、前人未到の世界選手権連覇を成し遂げられました。
DVDなので指導者としての様子も拝見する事が出来ますが、まさに熱血指導!実際にも多くの強豪選手を育てられており、2003年には日本代表選手団監督にも就任されました。
試合を見ているだけでその痛みやダメージが伝わってくる程のパワフルな突きの連打。そして中段回し蹴りをを軸に、膝や前蹴りといった多彩な蹴り技も友好的に活用され、体が大きな外交人選手にもフィジカルですら上回り、尚且つ回転のスピードも速かった全盛時は、本当に“KING OF KYOKUSHIN”の称号がふさわしかった名選手であったと思います。