巨星列伝“小さな巨人”大沢昇氏 | 全日本武道具 空手道『道場訪問記』

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全日本武道具空手道“巨星列伝”、今回は極真空手を経てキックボクシングの世界でも活躍された“小さな巨人”大沢昇氏をご紹介させて頂きます。




本名・藤平昭雄氏は、1958年に極真会館の前身である『大山道場』に入門。当時は今の様なフルコンタクト系流派の様な安全面を考慮したものではない過激な稽古で有名な大山道場で、身長155cm、体重60kgという小柄な体格でもメキメキと頭角を現されたそうです。




それはなにより“ハンパ無い稽古”の賜物と言えるでしょう。当時大山道場が間借りされていたバレエ教室の電気が消える時間になってもサンドバッグを叩き続け蹴りつづけ、それはヘトヘトになってもう動けない…というレベルまで達し、そのまま眠り込んでしまうまで続けられたと言います。



当時は、後に時流を起こし、空手界でも有名になられる強靭な道場生が多く存在していた中、1964年ルンピニースタジアムでムエタイ選手との対抗戦に出場する選手として、黒﨑健時氏、中村忠氏と共に抜擢。ムエタイルールでタイの強豪であるハイファイ・ルークコンタイと対戦されました。




今でもその映像を見る事は出来ますが、体格が違う相手の懐に潜り込み、素早い打撃とフォローの投技でしのぎ、粘った挙句に技かなチャンスを逃さす見事KO勝ちを収められております。


さらに、極真会館在籍のまま、ボクシングのヨネクラジムに入会。大沢昇というリングネームで国際式ボクシングにも参戦されております。




極真会館成増支部長であった黒﨑健時氏が海外へ出張している間、同支部の責任者として道場を支えられていた頃、オランダから空手修行に来たヤン・カレンバッハ氏との対戦も伝説になっていますね。


当時カレンバッハ氏は総本部でも黒帯をバッタバッタと倒し、その実力を知らしめておられましたが、ストップ・ザ・カレンバッハ最後の砦として大沢氏との組手は壮絶な死闘となった様です。


絶望的な慎重さも、巧みなヒットアンドアウェイで翻弄し、禁じ手以外なんでもありの様な過激なルールをフルに利用し、カレンバッハに参ったを言わしめました。

1968年からは本格的にキックボクサーとしてデビューされ、3度のタイ遠征なども体験された後、極真時代の恩師である黒崎健時氏の目白ジムへ移籍と同時に極真会館を離れられました。ムエタイの王者やランカーとも善戦し、1973年に全日本王者を保持されたまま引退されました。




引退後も極真出身のキックボクサー竹山選手を指導されたりしましたが、本業である『大沢食堂』を経営され、名物である激辛カレーは、食堂閉店まで長い間に渡り、格闘家や武道家に親しまれました。