巨星列伝~“誠心会館館長・青柳政司”~ | 全日本武道具 空手道『道場訪問記』

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全日本武道具空手道~巨星列伝~、今回は、空手家でありながら果敢にプロレスの世界に飛び込み、数々の名勝負を繰り広げた誠心会館館長・青柳政司氏です。




はじめて青柳館長の試合を見た(毎度毎度で申し訳ないですけどライブじゃなくビデオですけど)のは、『梶原一騎追悼格闘技の祭典』。様々な格闘技の試合が組まれたこの大会のメインは空手リアルチャンピオントーナメントと題し、正道会館の佐竹選手や士道館の村上選手らが出場する空手のトーナメントに、この青柳館長もエントリーされていました。




その時、2回戦で佐竹選手と対戦し、残念ながら敗北してしまいますが、極真会館主催の第10回全日本選手権大会では他流派ながらベスト16という好成績を残されております。


しかし、そんな青柳館長の名前を一躍格闘技ファン、その中でもプロレスファンに轟かすきっかけとなったのが、1988年に開催された『格闘技の祭典』でのプロレスラー大仁田厚選手との異種格闘技戦でした。




当時、異種格闘技戦と言えばアントニオ猪木氏の代名詞でもありましたが、“日本人対日本人”の試合は組まれておらず、そういった意味でも非常に注目を浴びた試合でした。


一度引退をし、ブランクがあった大仁田選手にとっても今後の方向性に大きなポイントとなるこの試合は、互いに意地と意地がぶつかり合い、凄く盛り上がりを見せました。試合結果は大仁田選手の反則負けになってしまいますが、この試合で生まれた遺恨から再戦も決定。第2戦は初戦をはるかに上回る好勝負となり、空手家とプロレスラーといった互いの持ち味が如何なく発揮された名勝負となりました。


“プロレスのリング”といえども、私が見たこれまでの異種格闘技戦の中でもベスト3に挙げたい程、本当に熱く激しく、感動すら覚える名勝負だったと思っています。



その後大仁田選手が旗揚げしたプロレス団体FMWに参加し、過激なデスマッチ等にも柔軟に対応する器用さとタフさを見せていましたが、突然剛竜馬率いる『パイオニア戦志』に参戦…しかし同団体はその後崩壊してしまいました。




これで誠心会館としての空手活動に専念するかと思いきや、今度はメジャー団体である新日本プロレスのジュニアヘビー級チャンピオンである獣神サンダーライガー選手をターゲットにロックオン。福岡国際センターにてライガー選手のマスクを引きちぎり、もの凄い流血喧嘩マッチを展開しました。



その後は新日本プロレスに参戦し続け、弟子の斎藤選手らと共に越中選手や小林選手と抗争を展開。その戦いの中で生まれた友情の元に、反選手会同盟として平成維新軍を結成し、メンバーとなります。



平成維新軍としての活動後、自らの団体を旗揚げしたり、WWFのジャパンツアーに参加したり、東京プロレスはレッスル夢ファクトリー、ノア等にも参加し続けました。



先月5月9日、ハーレーダビッドソンでツーリング中に事故に遭われ、重傷を負われた結果無念の引退をご決断なされた青柳館長。長年の激戦により今現在館長の左目は網膜剥離により完全に失明状態となっているそうですが、それでも引退の二文字を口にされなかった事からして、ご本人が一番無念だと思います。


しかし、これまでの常に挑戦を忘れなかったチャレンジスピリッツ、そして数々の激闘は、人々の記憶にくっきりと残るに違いないと思います。