ゆうゆうねこの感想ブログ -6ページ目

ゆうゆうねこの感想ブログ

「会計ねこ子の感想ブログ」から
ゆうゆうねこの感想ブログとなりました。
内容は、本などの感想です~~

ずっとズーム会議ばかりでしたが、

久しぶりに集会となり、

しばらくぶりに顔を合わせました。

 

なんともいえずにうれしく。

私にはこの場があるということが。

 

ボランティア活動とは何か。

 

今日、変更を知った。

 

もう、残念。

だけど、10万円助かったかも。

 

この10万円で、次のプランに行ってみよう。

 

とりあえず明日は、ステーキ宮で残念会をしよう。

私なんですけど、

ワクチンを2回接種出来ました。

 

けれど、その会社のワクチンでは、TBSの報道によると

 

 

157人中7「抗体」が全くできていない人がいたんですって。

(このときTBSははっきり「ファイザー」って言っていた気がするんですけど、)

私も副反応がとっても軽かったんでもしや???

 

考えると恐ろしい。

 

けれど、一説によると、副反応が強い人はすでにコロナに感染していた人

ということです。

 

ということは、私は、結構人混みにもいたけど、やはり感染してなかったのか!??

 

普段から葛根湯を毎日小量飲んでいたことがよかったのか??

(この方法は、職場の先輩からインフルエンザ予防対策として教えられていました)

 

それとも納豆?梅干しか?

 

(人間の世界とは、ウイルスだらけで、少しずつ自然免疫を獲得していくものだといいますね。)

 

 

 

 

招待されたんだから、来るのは仕方がないが、

隔離されないのはおかしい。

(そもそも隔離が3日だけなのもおかしいが)

 

(パラ開会式に出るのであれば「オリンピック閉会後帰国せず、パラ開会後に帰国」がコモンセンス的な行動だったのではないか。←宿泊費を日本で出すなら大変だが)

 

バッハ氏はワクチンを2回接種しているそうだが、

もしか、ブレイクスルー感染しても、「要人」だから

十分な手当てがされるでしょう。

 

だから自由だ。

銀座でもどこでも行くといいよね。

 

けれどそうした態度は、

「うえ~い」で感染したりさせたりしている人と変わらないのでは。

またもや、嫌な感じですよね、銀座を散歩したりして。

 

そして、「不要不急であるかは本人が判断すべきものだ」と丸川大臣。

「散歩」なんだったら、不要不急な要件そのものでしょう。

銀座である必要ないし。

 

ごまかそうとしているんですよね。

私たちの方ではなく、どこまでも、バッハ会長の方を向いているのです。

 

結局、広島見物も実現して、

その警備費は、広島市と広島県が負担することになったということです。

(一般人なんだから、警備なんかしなくていいのに。SPなんかつけるから勘違いしてしまうんだと思うよ)

 

無理して広島に行かなくても、8月6日に、ちゃんと黙とうしてほしかった。

競技の中断ができないというなら、競技の前でもよかったのに。

 

もともと、オリンピックにそう興味はなかったけど、

壮大な「無駄」「無駄遣い」をしてしまったなあ。

税金もあがるでしょうね。

 

でも、IOCにもバッハ会長にも、(丸川大臣にも?)そんなことは関係ないんだろうね。

またまた深夜に目が覚めて、

「サタ・シネ」を観てしまったのです。

 

ケイトブランシェット主演の「ギフト」。

 

霊能力を持つ主人公のもとに、

「話を聞いて」「カードを読んで」と現れる、

不安定な友人たち。

けれども追い払ったりせず、

誠実に対応して。

 

「友達よ」

と。

「貴方は、お父さんから何かを奪われたんじゃない」

と。

「暴力をふるう夫からは、離れなければいけない」

と。

 

主人公の霊能力も、とても不安定。

急に見えたり、見えなかったり。

 

人からは「未来が分かるなら、株を当てて大儲けだ!」

とか言われて。

 

あちこちへこんだ車。

豊かとはいえない生活。

 

「青いダイヤモンド」の意味。

 

「今は、もう自由です」

という「友達」。

 

最後に起こった奇跡。

「貴方は、皆の心の支えになってください」

と。

 

そして、

3人の子供たちと寄り添う姿。

 

涙がこぼれたのです。

Mさんについて。

 

Mさんはピアニストを目指していたのだけれど、

この本によれば、それはMさんのお母さんの希望だったということです。

Mさんの家には、グランドピアノがあって。

 

しかし、「ピアニストになるなら、ケンプぐらい弾けなければ駄目なの」

「私にはケンプのような才能がないの」

とMさんは言うのです。

 

それは一見悲劇的だけど。

いや~。しかし、それはお母さんの夢だからねえ。

 

本当のMさんは、手塚治虫先生に「キャプテンKen」の似顔絵を描いてもらうほどに、

マンガが好きな女の子だったのです。

 

でも「ジャングル大帝」でも「リボンの騎士」でもなく

どうして、「キャプテンKen」だったのでしょう。

案の定、手塚治虫先生は「キャプテンken」の服のデザインを忘れてしまい、

「ごめんね」と、半分だけしか描けなかったのです。

 

すると、次の年、Mさんは、「去年の続きをお願いします」と

「キャプテンKen」の本を持って行ったのだといいます。

「よく持ってたね~」と手塚先生。


それは熱意の表れ。そうかもしれません。

けれども、そんなダメ出しみたいなことをされて、

手塚先生はうれしかったでしょうか。

「お、こんなマイナーな作品まで知っていてくれている」

とうれしかったでしょうか。

 

世間に、ほとんど知られていない「キャプテンKen」。

それは手塚先生にとって、どのような位置にある作品だったのか。

そんな「キャプテンKen」が手塚作品の中で、Mさんは一番好きだったのか。

 

そこなんです。

 

「中学生にもなって、まだ漫画を読んでるの」

こんなようなことを誰でも親から言われるものです。

(今はあまり言われないけど)

けれども、本当に好きなら仕方がないのです。

いやな感じですよね。

 

オリンピック委員会のバッハ会長のことです。

 

でも。

そこらの一市長でさえ、勘違いして、

市長室の家具を全部オーダーメイドしたというのですから、

バッハ会長があんなでも、仕方がないのかもしれません。

 

日本と中国を言い間違えたということですが、

それはわざとかも知れない、と思いました。

「お前らなど眼中にない」

そう言いたかったのでしょう。

もしかすると。

 

バッハ会長にしてみれば、

日本で「最高のもてなし」があるものだと思っていたでしょうし。

 

「至高の存在」であるオリンピック・ゲーム。

その、オリンピックが中止なんてありえない。

「開催」一択しかないのに、延期したうえ、

開催するかどうか、最後までもめて。

そして、「一万人の観客」を「至高の存在」オリンピック委員が明言していたのに、

結局、無観客。

そして広島見物も出来なそう。

全てバッハ会長の意思に反していたのでしょうね。

 

歓迎ムード、あるわけがないと。

 

だけど、ばかに褒められるのは、ばか。