「自耕斎詩軸并序」には
それまで太田道真道灌父子が築城したとされていた岩槻城の築城主が
「岩付左衛門丞顕泰の父故金吾法諱正等」
と記されています。
この「岩付左衛門丞顕泰の父故金吾法諱正等」
が同時代の武将「成田顕泰」の父であるとして
「岩槻城の築城主は成田氏である」ということに一時なりました。
それはおかしいと。
当初、それに反論したのは岩槻に生まれ育ちその歴史を学び本を出版した「小宮勝男」氏と
地形から疑問をブログに書いた岩槻在住の「はみ唐さん」だけでした。
そして今、「はみ唐さん」がまたもすごい勢いで「自耕斎詩軸并序」の解説をしておられます。
とても分かりやすい。
誰もがこのような解説を求めていたのではないでしょうか。
しかし、この解説を読み、そしてまた、前々から何となく感じてはいたのですが、
築城主家の「一家の基軸 百畝郷田」という詩句から、
私はある言葉を連想をするのです。
それは
「開発」の二字です。
開発領主だった「太田(大田)氏」。
岩槻平林寺の檀越だったという「大田公」。
彼らが岩槻を築城したという記録は何もありません。
けれども、彼らは本当に道真道灌と無関係だったのでしょうか。