正義は一つではない | ゆうゆうねこの感想ブログ

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内容は、本などの感想です~~

豪雨災害、被災された皆様に心からお見舞い申し上げます。

ご不明の方の一時も早い救助、被災地の復旧をお祈りいたしております。

 

話を少し元に戻します。

 

 

幕府旗本稲葉家の姫お鑛さま。「ご瓦解」。明治維新の混乱ですべてを失います。

 

しかし、その260年前には、関東の旧主北条氏が滅び、徳川家が関東の主となったのですよね。

そして、徳川家康が江戸に開府します。

江戸幕府の誕生です。

 

そんな中、北条残党の娘、お六は「天下を取ろう」と徳川家康を狙っていました。

(↓この小説では)

 

 

14歳のお六は、無事に69歳の側室となります。

その後のお話は、小説を読んでいただくとして‥。

 

お六が無事家康最後の側室となったその65年前には、

関東に「河越夜戦(かわごえよいくさ)」が起こりました。

 

この「河越夜戦」(河越合戦ともいう)によって、

小田原北条家が旧勢力を駆逐、関東での実権を握るのです。

 

そうです。権威権力というものは、永遠ではありません。

 

けれど、北条の関東統治はせいぜい60年くらいなのではないですか。

 

 

小田原合戦が1590年ですので、河越合戦から小田原北条氏滅亡までが統治と考えると

わずか44年です。

 

そしてその間に、「関東管領」上杉謙信に何度も討伐を受けています。

(実態はどうであれ、上杉側から見れば討伐です)

越山は10回以上です。2000メートル級の高山を超えての「討伐」なのです。

 

こう書くと、「北条氏康も古河公方から関東管領の任命を受けていた」という人がいますが、

関東管領家は世襲で、任命権は室町幕府にあったのではないですか。

 

「伊勢であるにもかかわらずその名を捨て、急に鎌倉執権家の「北条」を名乗り、

関東管領まで詐称する」

太田資正や反北条の武将はそう思っていたと思います。

 

そこには「正義」が確かにあったのでは。