小学生の頃は、誰でも「研究者」だったのです。
例えば、図書館に通い、または今ならインターネットで調べて、夏休みには、模造紙に大きく「岩槻城築城の謎」とか書いて、「研究発表」する子どもはたくさんいます。
そんなことが苦手でも、川を自転車でどこまでも遡ったり、石を集めたり、カードを集めたり、「ジュースのビンを振ると甘くなる」ことに気づいたり…。いろいろな発見をしながら、どんどん成長していきます。
いつからそれをやめてしまったのでしょう。
いや、やめることはできないです。これからAIなんかが発達して、人知を軽く超えていくのかもしれませんが、それでも「研究」をやめることはできないのが人間というものです。
それはなぜなのでしょう。そこは、哲学や心理学の先生にお任せしますけれども。
そういう「研究」の世界が平凡な私たちの前にも大きく開かれているのではないか。そう思えたのが「史学」の世界でした。「専門家」も「一般人」も同じように同じ問題を討論できるような世界なのかもしれないと思ったのです。
そういう世界であると思ってきたのは、岩宿遺跡を発見した「相沢忠洋」という人の存在を知っていたからです。またそれは、相沢忠洋を単なる協力者としか見ない大学の権威者から離れてまで、彼の研究成果を正当に評価した「芹沢長介」という専門家の存在があったということを知っていたから。
しかし、「あの事件」で、「相沢忠洋」と「芹沢長介」が発見した麗しい世界は、台無しになってしまいました。とても残念なことですが。
今は、25年以上この岩槻城築城について誰も何も言わなかった「史学」の世界もやはり、「大きく開けている世界」などではなかったな、と思うようになりました。
この間、まともに「成田氏築城」説に疑問を言えたのは、小宮勝男氏と地形から異を唱えた「はみ唐」さんのブログだけでした。
(追記:Wifujishinさんのノートもありましたが)
どうして誰も何も言わなかったのでしょう。
そこには何かがあるのではないでしょうか。
どんなつまらない、取るに足りないと思える人間にも「表現の自由」というものがあって、「研究発表」する自由があるのです。フランス革命があって、「人権宣言」があって、やっと勝ち得た権利です。
「権威者が言っていることだから、正しいのだ」と、思考を停止させてはいけないのです。
研究して、思ったことを話しましょう。伝えましょう。歴史じゃなくてもいいのです。子どもの病気を治したくて、薬品の研究をして新薬を自力で開発した人もいるのです。映画にもなりましたけれども。
誰のどんな議論があってもいいのではないですか。アマチュアが「おかしいよ」とガンガン発信できる、今のようなネット社会だったら「あの事件」の悲劇は防げたのかもしれないのです。