木村俊介氏は「インタビュアー」です。
大学在学中から、20年間。いろいろな形で、インタビューを続けてこられたのです。
これは本当に大変な実践です。
人間対人間なので、本当に少しのことで崩れてしまったりもするのでしょう。
ある意味、綱渡りです。
そしてその割に、あまりその大変さについて理解もされていないと思うのです。
「インタビュアーは、良くも悪くも、戦場における歩兵くらいの立場で取材の前線に立つことになる。」
と、木村俊介氏は書いています。
そして、その立場は「守られておらず、退場させられやすい、『弱い』存在」だと。
こうした「インタビュー」に比べれば、
図書館で、司書の力によって分類されている本を探してくるくらいは容易だと思うのです。
けれでも、そういう文献派は多産なせいもあるのか、強力です。
「私自身は、ほんとうはそのぐらいの『弱さ』からものごとを見なければ、
すでに理解されたと思いこまれている現実に対しての異議申し立てなどできない
と捉えているので、インタビューをめぐる『弱さ』がきらいではない」
と続けます。
このデリケートな方法。
そして。
「この『弱さ』という特徴があるからこそ、なんというか、
『えらい立場から自分が見たいように現実を見るためのデータを探す』
とかいうのではなく、むしろ、『いやおうなく見せられてしまったものごと』から、
現実をどう理解するのかを考える機会をもらえるところがあるのではないだろうか」
と、彼の文章は続きます。引用が多くて申し訳ないと思いますが、
「えらい立場から自分が見たいように現実を見るためのデータを探す」
というやり方が、今も昔も溢れているのではないでしょうか。
大体それは、行政の人とか権威ある人なので、皆、盲目的にそれに従いやすいのではないでしょうか。
「ちょっと待って。本当は違うの。こうなのよ」
と、いう異議申し立てを拾ってくれる人がインタビュアーなのでしょうか。