と言う壮年と、お話ししました。覚えていますか、獅子舞の件です。
お話しできるようになるまで、スモールステップなので時間がかかりました。
この壮年の住んでいる、上尾畔吉・藤波地域はかつて岩付太田領でした。
系図には太田道灌公の弟とされる淑悦禅師のところに藤波密厳院と書かれているのです。胸にじんと来ました。
養竹院でもなく、さらには円覚寺でもなくなぜ密厳院なのでしょう。
今は無住寺ですが、ご本尊の体内には太田道灌公のかけ守りが入っているという由緒あるお寺です。
(上尾市HPより)
みんな、知らないですけど。
県立博物館に行ったとき、この淑悦禅師が書写したという法華経が展示されていました。
養竹院もそうですが、もったいないなと思うのです。
こんな言い方良くないのかもしれませんが、こういう歴史は行政にとっても「資源」だと思うのです。もっといろいろな人が知ってもいいと思うのです。どうでしょうか。行政も秘密にしているわけではないでしょうけれども。
ともあれ、壮年の話では、かつては獅子舞のほかに神楽もやっていたそうです。神楽をやる人が絶えたため、今は餅つき踊りをやっているとのことでした。
鷲宮でも神楽と獅子舞は並立してやっています。かつてはこの地域も神楽と獅子舞を並立してやっていたのでした。