そのK川(←鴨川って書きなよ)を下っていくと、さいたま市北区奈良町という所に道灌さまゆかりの「三貫清水緑地」という所があります。
この間手に入れた新編武蔵風土記稿によると、ここはかつて「奈良瀬戸村」という村だったのだそうです。
「天水の場にして早損あり、また久霖の時は加茂川より悪水を入て、水腐せることもあり」
とあって、やはり水害がひどかったことを伺わせます。
また「往古は岩槻太田氏の領地なりし由を傳う」
とあって、岩槻太田家の領地のようです。
そこに「三貫清水」の記述もあります。
ここは、伝説では「狩りの途中の道灌さまが、この地の湧水でたてたお茶がおいしかったので、村人に三貫(約50万円だという)のお金をくれた」という場所ですが、この本の中ではその伝説には触れられていません。
江戸時代、この本が書かれたころには、もう湧水は枯れていたようです。
50万円くれたという道灌さまのお話は、なにか、うれしくなってしまいます。これは、たぶんですけれども、水害にあいがちな村人への見舞金のようなものでもあったのではないでしょうか。これは単なる想像ですけれども。
しかし、似たような道灌伝説は東京にも、神奈川にも残っています。
ふと思うのですが、道灌さまの伝説、多すぎませんか。
この中に、実は三楽さまや資頼、資家さまのエピソードが混同していたりはしないのでしょうか。