そうです、こんな時間ですが。
久喜市郷土資料館には神楽、カスリーン台風のほかにもう1つ大きな展示があったのです。それは、旧国宝で現国指定重要文化財の太刀です。(本物は東京国立博物館に)
「武州太田庄鷲山大明神」と刀身に刻まれています。
これは鷲宮神社を再興した小山義政さまが奉納した太刀です。
ここでねこ子は啓蒙されました。
武州ってなっているけれど、鷲宮神社、ここは下野栃木なのだと。
小山義政さまは、下野守護なのですから。
太田庄は、関東最大の武士団小山氏の出身地だったのです。小山氏から結城氏も出ています。
そうです。太田庄の太田氏は、道灌さまの太田氏とは違う家系だったのです。(戦国時代には、太田庄が岩付太田領だったこともあると思うのですけれども…)
紛らわしいのです。
こうした紛らわしさも道灌さまの家系図を混乱させている原因の1つなのかもしれません。謎の人太田永厳もこうした紛らわしさから生まれてきたのかもしれないのと思いますが、どうでしょうか。
いつも思う謎なのですが、道灌さまに資康さまという立派な嫡子がいるならなぜ、甥っ子の資家さまを養子にとらなければならなかったのでしょう。お家騒動のもとになるだけなのに。
少し頭を冷やして本とか、研究をなさっている方のご意見とかを学んでいきたいと思います。