武田家の滅亡の様子は
① 武田側の資料では 土屋惣蔵の「片手千人切り」のように 「立派な最期」として記録されていますが
② 徳川側や織田側の資料では 「(勝頼主従は)空腹と疲労のため ほぼ抵抗らしい抵抗もできずに 打ち取られてしまった」とされています
これはどちらが正解なのでしょうか 普通に考えれば ①の「片手千人切り」が本当にあったとは考えにくい(←ねこ子も「本当であってくれ!」と強烈に願う一人なのですが)のですが
これはどちらも「正解」なのです
なぜなら 「実態」を知っているはずの徳川家康は 後に 「土屋惣蔵」の息子(と名乗る人物)に 知行を与えているからです
そして その後 「惣蔵」の息子(と名乗る人物)は 手柄を立て 大名にまでなっているのです
歴史や文学に「答え」はあるようでないのでしょう
でも そこには 数学のように「方程式」はあると思うのです
天下を統一をめざす家康にとって 「武田家滅亡時の美談」は利用しなければならなかったのです
「滅亡する主人に従って 自分達もあっけなく滅亡」では 家来が主人のために忠節することがばかばかしくなります
「忠義を尽くしたことによって 報われる」というイデオロギーを確立しなくてはならないのです 江戸幕府の支配強化のためにです
どうでしょうか