1930年 9月1日 関東大震災に被災し 火の海から 陸軍被服廠跡の公園に避難していた人々に 火災旋風が襲い掛かりました
東京市(当時)の被害者の半数以上の3万8千人がそこで亡くなられたのです
その 被服廠跡の公園には 身元不明の遺骨(約5万8千柱)と霊を祀り 震災祈念堂が建ち その後 東京大空襲の犠牲者の遺骨(約10万5千柱)と霊も合祀して 東京都慰霊堂となりました
かつて 一度だけ 参拝したことがあるのですが
心から 被災された方の ご冥福を祈らずにはいられない場所でした
せめて これ以上災害がないことを祈り 被災され亡くなられた方のご冥福をいつまでも祈り続けたいと思わずにはいられない場所でした
「セシウムさん」の一件もそうですが
今 日本には「不幸」をあざ笑う風潮が蔓延しているように思えてならないのですが
この場所に来たら 「不幸」は実は誰にでも平等に訪れ 逃げることはできないのだということを 思い知るのかもしれません