アメリカのトランプ大統領がイランを攻撃したと言う。
もう驚きはしないが、アメリカと言う国はよくよくの餓鬼国だなと言う気がする。と言っても、明治維新以降の日本もそうでは無いとは言えないけれど。
ただ、そのような事をして、一体、誰が、どれだけの人々が喜び、幸せに成るのであろうか、ホントに!と思う。 アメリカの国民だってそれを褒める人は多くはあるまいに。
勿論、トランプ大統領にはそれなりの理由があっのことではあろうが、その真相は分かり様が無いので軽々にトランプ大統領を批判することは出来まい。しかしほゞ、はっきりしていることはある。
それはトランプ大統領が自分の名利権のための政治に執念を燃やしていると言うことである。それは「アメリカ第一主義」に如実に表れている。即ち欧米人の得意とする「自我中心的我執煩悩主義」である。
大統領と言う名誉職を続けたい、歴史に残る大統領として名を残したいと言う一心であろう。私と違って、財布と相談しながら買い物をするようなことはないはずだからである。(笑)
つまり、アメリカ国民向けの、見栄えのある政治をパフォーマンスとしてやっているだけと言うことは明白であろう。勿論、どこの国の政治家も全くのそれではあろうが。
そして大事な点は、国土・軍事力・経済力で世界の覇権を狙える超大国に成れば必然的にその政治的指導者は「餓鬼化する」と言うことである。それが我執煩悩の「貪欲」の特質である。
ただ、トランプ大統領は何事につけてもそうだが、例えば関税の掛け方等と見てみ分かるように、極めて「無明偏狭・軽薄短小」で、独善的、一方的で思慮に欠けると言う印象を受ける。それほど喫緊のことでもないのに他国の指導者を殺害すなど、これは第三次世界大戦と成って当然と言った事案であり、他人・他国のことを思いやる心があれば到底、是認されることではあるまい。
そんな大統領を選ぶところは実にアメリカらしいともいえるが、今日でもまだアメリカと言う国はホントにそんなトランプを褒め称えるようなお国柄なのであろうか。そして、それでドルの覇権、トランプへの権威・威信を保てるのであろうか。
そんなトランプがノーベル平和賞を望んでいると言うのもトランプらしい。まさか「俺は敬虔なクリスチャンだぞ!」とか? それがキリスト教圏での一般的常識的な感覚なのかもしれないが。
いずれにしてもトランプと言う人は、よくよくの名利権好きな「我執煩悩一筋」の人物のようで、私にはひっちゃかめっちゃかなボンボンのような感がするのだが。
それに、核の保有が戦争の抑止に成るのであれば、どこの国も核を用意するのが一番いいに決まっている。「俺は正義と平和のために武力を行使するが他の政治家は信用成らない」と言うのがトランプ大統領の自我中心的我執煩悩振りであろう。
だが、「生き物人間か餓鬼か」の人類世界での「核抑止論」はアメリカの「銃社会」の実態を見れば明白であろう。
ただ、そんな無明・無知・愚痴ぶりは、彼あるいはアメリカ人のみならず、程度の差はあれ人類世界のすがたであることは否定仕様が無い。
何らかの人生苦や問題を抱えている者は大なり小なり、みなそうなのである。戦争も一人の指導者、あるいは一国でやれるものでは無いからである。必ず遠近・大小の利害・好悪の伏線が絡み合ってのことであり、つまるところトランプ大統領に限らず、人類世界は全くの「無明・無知・愚痴な生物人間か餓鬼か」のすがただと言うことである。
みんなみんな触覚を持たないゴキブリのような無明・無知・愚痴な存在で右往左往し、あっちへ行っては突き当たり、こっちへ行っては溝に落ちって具合なのである。
勿論、私も無明・無知・愚痴であることに変わりは無いが、ただ私は、釈尊によってこの世・世界・人生と言うものの「何でも無さ」(老少不定の死)に気づかせていただいたので、(比較的にではあろうが)何事も「何でも無い。すべてよし」で済ませることが出来、他と争うと言うことは無く、これまで安穏・快適に過ごせて来たと言っていいであろう。
そんなことから夢想が生じた。
もし、「美しい日本」「親切で、礼儀正しく、秩序ある日本」「本物の技術を作り出せる有能な日本人」と言うような誇りが日本人にあるのなら(それは何かの団体による教宣活動なのかもしれないが)、今こそ、その力を世界人類のために発揮し、世界に貢献してはどうであろうか、そしてそれこそが日本の生きる本当の道なのではあるまいかと言う妄想が。
即ち、国の存亡をかけて日本国憲法第九条を堅持し、アメリカとも中国とも、どこの国とも、日本人としての精神を貫いた是々非々の外交・交易を実践すると言うことである。
それは勿論、この世・世界・人生の「何でも無さ」を正見・自覚の上で、「それでどこかの国から攻撃を受けて潰されたとしてもやむを得まい」と言う覚悟、精神であってのことである。
日本が、アメリカやロシア中国のように、広大な大地や資源がまるで自分たちの手柄でもあるかのような感覚で「生き物人間か餓鬼国か」の在り方をして虚勢を張り、諸外国を翻弄させる「餓鬼の大国」に成っても、日本国の先祖は悲しみはしても喜んだり褒めたりはしてくれまい。
勿論、それは「生き物人間か餓鬼か」が現実の人類世界では夢想・妄見であることは承知している。だが、だからこそ私は、その常識的人間から見ての夢想・妄見である「普遍的真実・真理・自然の道を行く仏教徒」に成るより他は無かったのである。
がしかし、仏教徒と言うもの、自分が救われるとその喜びのあまりの大きさに圧倒されてそれを自分独りでは受けとめきれず、必然的にその喜びを他の人々にも一緒に受け止めて欲しくなってしまうのである。それがいわゆる「慈悲の心」と言われるものなのでもあろう。
その対象は当然なこととして迷妄・苦悩・地獄に喘いでいる人々・人類なのであるが、私の心においてその真っ先と成るのは言うまでも無く、あまりにも残酷で愚か過ぎる戦争の忌避・防止を念願している人々であった。
個人的争いや犯罪、あるいは貧・老・病・死等の苦悩は、これは個々人の因縁によるものであり、それへの対処の仕方は「その心ある方」と言うことより他は無いが、しかし戦争は、その国の政治体制の如何を問わず、多くの場合「国の指導者」の人格・見識・器量によってどうにでも成ることが多く、かつそのような人は国民の生死を担う立場の人であり、それなりの人物であってしかるべきだからである。
個々人の心・人格を変えるのは困難であるが、一国の指導者を取り換えるのは、特に民主政治ではそれほど難しくはあるまい。現に、幸か不幸か、日本は戦後、怪我の功名として素晴らしい平和憲法を制定することが出来、曲がりなりにもこれまでそれを実践してきた。それによって戦後、「平和ボケ」と言われる「昭和の楽園」が実現したのである。そして戦争を懐かしがる?いわゆる無明・無知な「ガキ(餓鬼)」が国家を支えるように成ってご覧の通りであるが…。
ただ、そのように思う時、戦争の無い人類世界への元興しを誰がやるか、それをやれる国があるかと成ると、「生き物人間か餓鬼かの人類世界では無く、真人間としての人類世界に向かおうでは無いか」と言う声を上げ、自国からそれを実践できる国があるとするならば、やはりそれは日本より他には無いのではあるまいかと言う気がするのである。
それは、G7の中にもG20の中にもそんな気心の在りそうな国は見当たらないし、弱小国の中にはその声を上げることの出来る国はあっても力不足で他の国は耳を貸すまいし。だとすれば、唯一の原爆被爆国であり、そして一旦は「一億総玉砕」をも覚悟した経験のある日本こそはその胆力もあり適任ではあるまいか、と。
そして何より、世界の中で最も「真人間らしき文化を築き育んできた歴史を持ち、経済力もそこそこにはあり、世界の国々から比較的好ましい国として見られている日本しかないのではあるまいか、と言った妄想が沸き起こって来たのである。
そんな本物の政治家としての立候補者が一人でも居たら私も選挙に行く気になるかもしれないけれどとも。
日本が、また縄文時代からやり直す覚悟で世界人類のために一肌脱いではどうであろうか、きっと面白い仕事・人生に成るだろうと思うのだが。
高市首相の政治思想は私にはまだよくわからないが、しかし、仕事ぶりに覇気があることは好ましく思える。それが「生き物人間か餓鬼か」への道での覇気では無く、真人間としての覇気を発揮できると素晴らしいと思うのだがどうであろう。安倍元首相に追随するようなことではそれはとても無理であろうが。
日本を大事に思う高市首相がもし聖徳太子の思想・見識に同調することができるならば、推古天皇が聖徳太子を摂政につけたように、真人間としての日本と人類世界を築くための足掛かりとして有能なブレインを採用して世界史に残る政治をやるのは面白いのではあるまいかと思うがそれは無理であろうか。
しかし、もし高市首相がそんな演説をしたら即、支持率が20㌫に成るようなのがこんにちの日本なのかもしれない。「いや、戻るべきは明治維新だ!」とか。
ただ、数として「寺・僧侶・信者数が多い」と言うだけの形骸化した今日の「日本仏教」であるが、しかしここまで人類世界が荒んでくると、「こんな生き方、在り方が人間としての本当の生き方なのであろうか」と言う素朴な、しかし人間としての根元的な疑念を抱く若者が日本にも、そして外国にもポツポツと生じて来るのではあるまいかと思うのだがどうであろう。
そう思う時、もし日本に、「よし!」と思う若い真の仏教徒が一人でも生じたら、その方には是非、当選するまで政治家として立候補してみて欲しいと思うのだが。そのような若者には、真面な仏教教団は徹底して支援すべきであろう。
そうである。比叡山や高野山等に籠っての修行暮らしが釈尊以来の仏教徒としての伝統的なすがたなのではあるが、それを敢えて変革して民衆の中で……と。
いやいや、これは妄想もいいとこと言うことに成ろうか。仮に数人の真の仏教徒が国会議員と成れたとしても、その声が政治に反映されることは「生き物人間か餓鬼か」の現在の日本では不可能であろう。 で、妄想はこの辺で止めておこう。
ただこのように見て来ると、人類はやはり、無明・無知・愚痴な「生き物人間か餓鬼か」の存在として自滅して行くのが一番幸せな「救われ方」なのかもしれない。
ロシア、ウクライナ、アメリカ、イスラエル、イラン、ナイゼリア、中国、北朝鮮等々の指導者の、「俺たちは強いのだ。負けてたまるか! 道は一つだ、 争い、戦い、殺し合って幸せに成るのだ!」と言う彼らの生き方は、ホントに人間なのであろうかと疑いたくなってしまい、遠慮せずに「生き物人間か餓鬼だ」と言いたくなるが、それが現実なのである。そして国は入れ替っても、時代は代わっても永遠に覇権争いは続く。
私はこの世をどう生きたらいいのかもわからない無知・無明・愚痴な人間であったからでもあるが、他と争い戦って生きる道など思いもよらなかった。それは世に言う「意気地なし」だったと言うことなのでもあろうが、そのために、「生き物人間か餓鬼か」と言った世間の迷妄・苦悩・地獄道を捨て超えてこれまで世間の脇道を細々と、しかし明朗な心で歩んで来れたのである。
それはつまり、「無分別・無執着の智慧・信心」によって、生死を捨て超えた「無心」の心こそは「真人間としての道なのだ」と言う大事なことを釈尊から学べたお陰で、私の人生は無条件絶対の安穏・快適・常楽な人生と成ったのである。
古今東西を通じての人類世界の常識としての道が、ご覧のような「幸せを求めて地獄道を生きること」だとすれば、次なる「第三次世界核大戦」は人類の幸せの求め方としては絶好の機会なのだと言えよう。それもなるべく早い方がいい。
即ち、「人類の救われ方は、人類の滅亡の他は無い」と言うことである。個々の人間が有無を言わさず必ず死ぬのも人生苦をいたずらに長く味合わせないようにと言うこの世の普遍的自然の法の計らいなのかもしれないが、今日の世界的指導者たちの在り方はもしかしたらその道に励んでいるのかもしれない。人間の寿命がもし千年に成ったら、誰もうんざりするのではあるまいか。
そうである。世界核戦争は不幸なことでは無く、人類が救われる最も手っ取り早い道なのかも知れないと言うことである。であれば、それは成るべく早い方がいいのではあるまいか。それが早ければ、それだけ「生き物人間か餓鬼か」と言った暴君たちの名利権闘争に巻き込まれて迷妄・苦悩・地獄を強いられる善良な一般国民・人類の要らざる人生苦も少なくて済む。これは全くの妄想だとばかりは言えないような気がするのだが。
何故なら、人間がいくら長生きしたいと思っても必ず絶対に、迷妄・苦悩・地獄を味わいつつ100年前後で死んでしまうのであり、それは、その子も・孫も・ひ孫も、即ち人類があと何千年続いたとしても、その人類はみな悉く今と同じかそれ以上の迷妄・苦悩・地獄を生きることに成るだけであろうことは明白だと言っていいであろう。人類の少なくとも60㌫前後が健全な仏教徒に成れば話は別だが、それはまず絶対に不可能であろうから。
日本の人口減に伴う諸問題が論じられているが、絶対普遍の真理による個々の人間の「老少不定の死」を正見・自覚出来る眼の見える者(無明では無い者)においては、諸々の戦争や疫病、あるいはAIやロボット社会による「人間性の喪失社会」は人間の「老・病・死」と同じ普遍的真理による必然の「人類の滅亡への道」と見て、心ある者はそのような「生き物人間か餓鬼か」の世界はなるべく早くポイと捨て超えて安穏に生きるべきであろう。
要は、庶民であれ大統領であれ首相であれ、世間向けの立派な賢い生き方や政治をやろうと思えば、そりゃ虚仮・虚妄・嘘・欺瞞なひっちゃかめっちゃかの人生や国家社会あるいは人類世界より他にはなり様が無いと言うことである。まして無明・無知・愚痴なる庶民を主権者とする自由民主主義の政治では、主権者たる国民は常に小賢しい政治家等の餌食にされるだけであることは絶対・必然なのだ。
自分の不幸感、心の迷い、不満、苦悩、怒り、地獄等は、絶対のこととして自分自身の心のすがた(自分の心によって作り出されたもの)であることは、これはどうにもこうにも否定の仕様が無い。つまり、この世の事象(あいつやこいつの言動等)の「何でも無さ」を知らない無知・無明・愚痴から生じているのである。
「あいつ(あの政党は、今の政治は、あの国は等々)は、おかしい!」と言った思いを抱いている人は、もし、自分の心のどこかにほんの少しでも真心があるならば、その心を働かせて、おかしいのは、無知・無明・愚痴なのはあいつでも、こいつでも無く、自分自身の心の方だと言うことをじっくり見つめてみてはどうだろうかと思うのだが、でも「それが出来れば苦労はしないよ」と言うことでもあろう。
でもその他には人間が救われると言う道理は絶対に成り立たないのである。そのことを説き教えられているのが外でもない、釈尊の教え・仏教なのである。
然るに、政治家とは、そのひとかけらの真心も無いからこそ、「我こそは」の自我中心的我執煩悩で政治家に成ったのだと言うのが真相なのである。
だから「票を買い集めるためには金がかかるのだ」と歳費を盛り上げ、その上こそこそとネコババを…。
日本の政治家はトランプ大統領ほど乱暴では無いかもしれないが、そんなトランプ大統領にへこへこしているようでは…の感がするが、心ある方はそんな政治・世間はスルーするのがいいですよ、と言うこといつもの通り。
みんなみんな無明・無知・愚痴のために、空行く雲のような「何でも無い」事象を追い求めて争い、戦い、殺し合って自分(たち)だけは幸せに成ろうと言う、とんでもないことを権利としてやっていると言う救い難いすがたが人類世界の実情である。
世間・世界が次々とブログの好材料を提供してくれるため、それにかこつけてまた繰り言を書いた。
要はやはり、この世の何がどうであれ、「真人間として生き、存在したいものだと言う心ある有縁の者は仏法を能く聞き学んで、この世・世界・人生と言うものの『何でも無さ』を正見・自覚した智慧・信心の心で、あるがまま、成り行くままですべてよしと捨て超え、無分別・無執着の中道を犀の角のように独り歩め」との釈尊の教えこそは、虚仮成る人生・世間から解放される(救われる)「唯一無二」の真実・真理・自然の法の教えだと言うことである。