怒りについて(岩波文庫):ルキウス・アンナエウス・セネカ | 夜の旅と朝の夢

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怒りについて 他二篇 (岩波文庫)/岩波書店

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ラテン文学は、一般的にアウグストゥス帝の時代が黄金期、それ以降から五賢帝時代くらいまでが白銀期と呼ばれています。キケロやカエサルを紹介したので、順番からすれば黄金期なのですが、積読本の中には黄金期の本がなかったので、えいやっと飛ばして白銀期に行きます。

ということで今回は、白銀期の代表格セネカ(紀元前4年頃-65年頃)の『怒りについて』です。

セネカは政治家、悲劇作家、詩人、哲学者、弁論家といった顔を持つ多才な人物。当初はカリギュラ帝に引き立てられていたものの、途中で失脚してしまします。しかし、カリギュラ帝の死後、クラウディウス帝の妻アグリッピナにネロの家庭教師に起用され、その後、ネロが皇帝の位につくと、そのままネロに参謀役として仕えます。ネロ帝の最初期の善政を支えたといわれていますが、結局はネロとの仲も悪くなり、政治の世界から引退。最終的には陰謀に加担したとしてネロに自殺を命じられ、それに従い自死を遂げます。

本書『怒りについて』は、セネカの哲学者としての著作のうち「摂理について」「賢者の恒心について」「怒りについて」の3篇を集めたものですが、これらには共通した主題があると思います。それは、不正(神による不正=不運を含む)を被ったときの対応です。

【摂理について】
30頁弱の小品ですが、本書全体に亘る根本的な問題が提起されます。つまり、「なぜ多くの逆境が善き人に生じるのか」という問題です。何も悪いことをしていないのに、何故こんな目に合うのかと思ったことがある人も多いはず。

そんな疑問に対するセネカの答えは、ある意味では非常に簡単。つまり、逆境は神が与えた試練、乗り越えることでより強い者となるために与えられた試練であると説きます。

もちろん言わんとしていることは分かりますが、少し単純過ぎますよね。自分に言い聞かせる分には、いいかもしれませんが、他人に当てはめると、危険ですらあると思います。つまり、逆境に耐えられなかった人に対して、努力不足とか愚かな奴と決めつけてしまうことにも繋がる恐れがあります。しかし、人生はそんな単純なものではないはずです。

【賢者の恒心について】
こちらも40頁ほどの小品。セネカに言わせれば、賢者とは『苦労に屈せぬもの、快楽を蔑(なみ)するもの、あらゆる恐怖に対する勝者の謂(P45)』。恒心とは、何事にも揺らがない心。賢者は不正を受けても心が揺るがないということです。というか、心が揺るがない人間が賢者なのです。

心が揺るがないといっても忍耐強いというわけではありません。忍耐する必要がないくらいに達観していて、『運命が何の力ももたない(P83)』 そんな人間になりましょうと言うわけです。

【怒りについて】
本書の主要作品。「摂理について」や「賢者の恒心について」の具体的な実践編ともいうべき作品です。賢者でもない普通の人が不正や侮辱を受けたときにどうしたらよいのか、という疑問に答えます。

通常、不正や侮辱を受けたら怒るのが当然ですが、それは良くない。怒りは感情だが、不正や侮辱に対しては感情でなく理性で対応すべきだからです。それは分かっていても、難しい。ではどうすればよいか。

セネカは言います、「怒りに対する最良の対処法は、遅延である。怒りに最初にこのことを、許すためではなく判断するために求めたまえ(P174)」と。

怒りは去るまで待てというわけです。まあ、確かにそれくらいなら出来そうです。

他にも色々といっていますが、こんなところで今回はお終い。セネカの意見に納得できるか否かに関わらず、一度は読んでみても損はない本だと思います。

同じことの繰り返しもあってやや疲れてしまうところもありますが、論理的というよりも、様々な例え話や比喩などを駆使して説明するスタイルで読み物としても面白いと思いますので、ぜひ読んでみてください。