老年について(岩波文庫):マルクス・トゥッリウス・キケロ | 夜の旅と朝の夢

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老年について (岩波文庫)/岩波書店

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今回紹介する本は『老年について』です。前回の『友情について』に引き続きキケロの著作から選びました。

本作も『友情について』と同様に、複数の登場人物による対話篇ですが、基本的には大カトーが老いについて滔々と語る展開となります。

大カトーによれば、老いは世間で思われているような厭わしいものでも、惨めなものでもありません。大カトーはこのことを説明するために、一般的に老いがもたらすとされている4つの欠点を挙げ、それらについて正当か否かを検討していくというスタイルで議論を進めます。

第1の欠点は、「老年は公の活動から遠ざける」というもの。

早々と隠居して高等遊民のように生きたいと望んでいる私からすれば、そもそも欠点には思えないのですが、当時は欠点とされていたのでしょう。これについては、大カトーは以下のように述べています。

『確かに若者のするようなことはしていない。しかしはるかに大きくて重要なことをしているのだ。肉体の力とか速さ、機敏さではなく、思慮・権威・見識で大事業はなしとげられる。老年はそれらを奪い取られないばかりか、いっそう増進するものなのである(P24)』

要するに、若者とは別のもっと素晴らしいことができるということでしょう

第2の欠点は、「老年は肉体を弱くする」というもの。

これについては、体力よりも知力の方がよいのであって、体力は『有る間は使えばよいが、無い時には求めない(P37)』 まあ、その程度のものであると考えているようです。そして『日常生活の義務も果たせないほど弱い老人も多いが、しかしそれは何も老人に特有の欠点ではなく、病弱に共通のものだ(P38)』とし、老年の問題からは外されます。

第3の欠点は、「老年はほとんど全ての快楽を奪い去る」というもの。

これについては、快楽がなくなることはむしろ良いことであると捉え直すことで、超克していきます。

『味わえる限りの肉体の快楽に衝き動かされている人間を想像してみるがよい。そんな喜びにひたっている限り、何ひとつ精神を働かせることはできぬし、何ひとつ理性や思索で達成することはできぬ(P42)』

『理性と知恵で快楽を斥けることができぬ以上、してはならぬことが好きにならぬようにしてくれる老年というものに大いに感謝しなければならぬ(P44)』

やせ我慢が含まれている気がしなくもないですね(笑)

最後は、「老年は死から遠く離れていない」というもの。

これについては、『青年の方が病気に罹りやすく、やめば重りやすく、治るのも悲壮なのだ。だからこそ老年に至る者は少ない(P64)』と例を挙げ、『死は老年と青年とに共通のもの』であると諭します。

魂の永続性からの議論もありますが(というか、こっちの方がメインかな)、これについては触れないこととしましょう。

概ねもっともなことが書かれているような気がしますが、少し気になるところは、2番目の欠点などと共に語られる「良い老年期を送るためには良い青年期を送らなければならない」という主張。

『体力の衰えは、老年期のというより、青年期の悪習の結果であることの方が多い。放蕩無頼の節度なき青年期は弱りきった肉体を老年期へと送り渡すものだから(P34)』

『喜劇に出てくる愚かな年よりとあるのは、騙されやすく忘れっぽいだらしない連中のことをいうのだが、それらの欠点は老年のものではなく、怠惰で物ぐさで寝ぎたない老年のもの(P39)』

『この談話全体をとおして褒めているのは、青年期の基礎の上に建てられた老年だということだ(P60)』

確かに若い頃から節制などをしていれば、心身共に健康な老年を送れる可能性は高くなると思います。しかし、必ずしも健康な老年を送れるとは限りません。

キケロは、病気がちな老人や不幸な老人は自業自得であると主張しているようにも思えます。しかし、それは人生の複雑さを鑑みれば明らかに間違いでしょう。

まあ、良い青年期が良い老年期を形成するという単純さが古代ローマらしいといえばらしいのですけどね。