墓地の書(松籟社):サムコ・ターレ | 夜の旅と朝の夢

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墓地の書 (東欧の想像力)/サムコ ターレ

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今回は、松籟社から刊行されている叢書「東欧の想像力」の8巻目『墓地の書』を紹介します。「東欧の想像力」は名前の通り東欧の小説を集めたものですが、傑作が多く注目の叢書だと思います。ちなみにこちらこちらに「東欧の想像力」の別の本の記事を書いています。

さて、本書の舞台は、民主化前後のスロヴァキア。ハンガリーとの国境に面した地方都市コマールノです。本書の作者にして主人公のサムコ・ターレはスロヴァキア人、コマールノでダンボール回収を生業としている男です。

サムコ・ターレは、ダンボール運搬用の荷車に付けられたバックミラーが折れ、雨が降り、ダンボール回収ができなくなったとき、呑んだくれの占い師グスト・ルーに告げられた「『墓地の書』を書きあげる(P9)」という予言を実行に移します。『墓地の書』に何を書いたらいいのかわからないままに・・・。そして完成したものが本書『墓地の書』なのです。

完成した『墓地の書』は、言わばサムコ・ターレの回想録なのですが、サムコ・ターレが知的障碍を抱えていて、ストーリーは真っ直ぐには進みません。

知っている人は知っていると思いますが、知的障碍を抱えた人が一人称で語るというスタイルには先例があります。アメリカの小説家ウィリアム・フォークナーの長編小説『響きと怒り』の第1章です。

『響きと怒り』では、ベンジーという知的障碍者が語ります。しかし、その語りには首尾一貫としたものがなくて、目の前にあるイメージや回想の中でのイメージから、それに関連する別のイメージに説明のないまま突然跳び移るという形式で書かれていまして、内容を理解するには、かなりの努力が強いられます。というか、一度読んで理解できる人なんて、いるわけないと思うぐらい混沌としています。

本書でも、『響きと怒り』と同じように、あるエピソードから別のエピソードに頻繁に変わるのですが、『響きと怒り』に比べると、サムコ・ターレの知的障碍の度合いは軽く、ストーリーも容易に理解できます。

それでも、本書の魅力は、このサムコ・ターレの知的障碍という事情と彼のキャラクターに依存しています。

というのも、サムコ・ターレは物事をあまり深く考えられない人間なんです。もっと具体的にいうと、サムコ・ターレは、幼少のときに受けた教育と自分の思い込みで形成された自分独自の不文律によって物事を判断するので、社会状況や人間の行動の意図などを把握できないんです。というか、把握しようとする気すらなくて、不文律による判断が全てです。一方で、自分自身のことは賢いと思っていて、様々な人間や出来事に対して意見を述べるのですが、それがずれていたり、幼稚だったりするんです。例えば、「ぼくは民主主義なんてほしくなかった(P85)」とか。

そのずれから風刺とか、ユーモアとか、人間の本質や実存が浮かび上がってくる、そういう小説です。

好みが分かれそうですが、個人的には、読む価値のある本だと思います。だって、「ぼくは民主主義なんてほしくなかった」とかいうセリフをなんのためらいもなく言える主人公なんてそうそういませんよ。こんな主人公を創造するサムコ・ターレの中の人は凄いと思いますね。ん?中の人?