日本滞在中の父と弟とオクラホマへの引っ越し後 | オクラホマ州より テキサス〜アリゾナ〜オクラホマ

オクラホマ州より テキサス〜アリゾナ〜オクラホマ

テキサス州からまさかの他州、アリゾナ州ヘ引っ越し、からのオクラホマ州ヘ引っ越し。
もうどうでもいいよ‎(´△`)

前回のブログから3ヶ月近く経ってしまいましたねアセアセ



まずは、アリゾナからオクラホマへの引っ越した現在と引っ越す時の心境。


アリゾナの住んでいた街を離れる時に泣けてきた、、、


何故か?、と次回のブログでと書いたのにこんなに間が空いてしまい汗


その理由ですが、


これはまたしても知り合った日本人の方達とお別れしなければならなかったから。


せっかく知り合えて、1人の日本人の方は本当に私のことを心配してくれて、


「何かあったら何時でも此処に来ていいから。」


と、病気を患って酸素吸入しながらなのに外まで見送って、いつまでも手を振ってくれてえーん


テキサス在住時も同じで、せっかく知り合えた日本人の方達と1年も経たないうちに引っ越すことになりお別れ。


もうこんなことが何度も続くのか?、と思うとホントに悲しくなってきて。


此処、オクラホマの街はまぁまぁ。


ただ、この家が気に入らないのです。


引っ越して来てすぐ家がかなり傾いているというのが分かり。


私達の寝室内にあるバスルームのドア上の壁両側に大きな亀裂。


トイレがあるのにドアが閉まりきらないという笑い泣き
(数週間後に床下から調整してもらいました)


台所のシンクと壁のグルー?が割れて隙間が出来てるしチーン


他にも数ヶ所壁に亀裂があり、これは流石に多過ぎやんプンプンってなりますよね。


引っ越して来てから、


「この家がとても気に入った!此処を最後の住処にする!!


と言っていた夫。


それがここ最近、私がこの家傾いてるしあんまり良くないよねと言えば、


「あのままアリゾナに住むべきだったか…」


とか、


「テキサスの大きな家に居るべきだったな…」


なんて言い出す始末。


本当にテキサスの家が一番良かったえーん


で、今日夫が発した言葉。


「2年経ったらこの家売って別の家を買う!」


ですって。


もうどうでも好きにして笑い泣き





そして昨年11月中頃から今年2月初旬にかけての日本への帰省。


そう、あれは昨年のクリスマス2週間くらい前だったでしょうか。


弟が、「すみれの湯」に行こうか!


と言ってきて。


さぁ、何時頃に家を出る?なんて話してたんです。


そしてこの日に行こうか、と言ってた数日前、父が腰が痛くてたまらん!と言ってきたのです。


その日を境に、父は歩くことが困難になりました。


私達がかかりつけの病院に行こうか?、それとも近くの整形外科に行こうか?と言っても首を立てに振らない父。


どうも内科的な病気で年末年始に入院とかになるのが嫌だったらしく。


これは後に分かった理由なのです。


父はちょっと様子見てからとか言って、結局そのまま年を越すことに。


でも年が明けても痛みが全く引かず、痛みでほぼ動けなくなり。


30数年前に母が股関節脱臼で歩けなくなった時に買った車椅子があったので、ここでやっと父を乗せて整形外科に行きました。


問診にレントゲンを撮ってもらって、先生から症状を聞くと、


骨粗鬆症で腰の骨が潰れてますね、と。


診断してもらったけど医療用のコルセットは貰わず。


薬局で買えるような簡単なコルセットを処方してもらい。


あ、先生が医療用のコルセットはまぁ必要ないだろうと。


それを着けるとかなりキツくて苦しいよと。


整形外科では痛み止めと湿布を処方されました。


でも結局圧迫骨折なのでどうしようもないんですよね。


ただ無理な動きや変な動きはしないでねと言って、掃除等は私がしました。


そして何度目かの診察の時、骨を作る為の注射を勧められました。


勧められたのですが、父は『注射』を恐がっていてなかなか踏み切れず、ぶつぶつぶつぶつ何か言ってて笑い泣き


骨粗鬆症の状態が少しでも良くなるなら、と私達で説得(ちょっと大袈裟?)して処方してもらいました。


初めての注射の時は私が側にいてあげて、打ち方などを伝えながら終えました。


初めての注射後の父は、針の痛みなど全く感じなかったそうで、ケロッとしてました。


年が明けて1月は、痛み止めと湿布、コルセットで多少動けるようになったので、父を乗せて車椅子を押して出掛けました。


私がアメリカに戻る少し前に介護保険の手続きをして、介護保険が受けれるようになりました。


あ、でも等級が重くないのであまり受けられませんが。


結局のところ、寝たきりとかにならないと色々なことは受けられないんですねショボーン


でも私が日本に居る間に話しが聞けたので、それは良かったなと思いました。




そして弟は毎週金曜日に心療内科にかかり、父の腰が痛くなるまでは私と2人で弟に付いて心療内科まで行っていました。


父が長距離を歩けなくなってからは、私が弟に付いて心療内科まで行きました。


弟は膵臓も悪くしていて、一度痛みが酷くて救急車で掛かりつけの病院まで搬送されると言うこともありました。


母と2人救急車で同行して長時間待ちました。


今弟は仕事復帰(自宅にて)していますが、膵臓の調子があまり良くないようで心配です。




アメリカに戻る1週間くらい前の事。


私は両親とリビングにいました。


父が、「もう直ぐアメリカに戻るんやな…。」


とポツリと言って。


そして父が泣いたんです。


父はコロナ前に前立腺がんの検査を受け始め、今はがんの注射を受けています。


そして心臓も不整脈があり、時々動悸がおかしいと心臓用の薬も何かあった時の為に常備しています。


そして昨年から何度か意識を失い倒れています。
(これは原因不明です)


幸いな事にドン!と倒れるのではなく、崩れ落ちるように倒れたので頭を打つことがなく。


幾つも体に不調を感じている父、


とても不安なのだと思います。


弟は心療内科にかかり、母は両脚に股関節脱臼の手術を受けているので無理が出来ません。


私はそんな父を見て泣きそうになりました。


でも、グッと涙を堪えて「また来年来るしな!」


と言うしかなくて…


夫との人生がありますが、私には日本の家族も大切なのです。


日本とアメリカ、間に挟まれてとても辛いです。