1/2→
彼女がシェリー酒のグラスを傾けると、ブラウンの液体が真っ赤な唇に吸い込まれる。
魅入っていると、見透かしたようににこりと笑う。
「あなたも飲む?」
「お酒には興味ないわ、飲んだこともないし。
…どんな味?」
「そうねぇ…。甘い甘い、裏切りの味」
赤い唇はベルモットを思い起こさせるが、薬を作らせたい女と抹殺したい女、目的が真逆だ。
「…私、裏切りは嫌い」
「あなたが言う?」
言い返さない。
否定すれば彼らを裏切ることになる。肯定すれば彼らを裏切ることになる。
私は狡い。ずっとそうやって、グレーゾーンに逃げてきた。
そんなことは分かってる。でもどうしたら良い?
「考え過ぎよ。利用出来るものは利用すれば良いのよ。
それも自分の力にしちゃえば良いの」
「…利用するのもされるのも嫌い」
「困った子ねぇ、じゃあどうしたいの?」
「…」
目覚める度思う。
今日も何も起こりませんように。平穏無事に過ぎますように。
そんな些細な願いは、この世界的怪盗にも、正体不明の騎士にも叶えようがない。
彼女が伝票を手に席を立ったので、慌てて続く。
外はすっかり夕陽に染まっていた。
「送りましょうか?あなたの好きなハーレーで」
「遠慮するわ。自分で運転出来ないのは詰まらないし」
飲酒運転を窘めるべきかと一瞬思ったが、結局別のことを口にした。
「ねぇ…、…また会えるかしら?」
「会ってくれるの?」
「悔しいけど、こんな風に話せるのって、あなたくらいだから」
「嬉しいこと言ってくれるじゃない。じゃあ薬の秘密を」
「ダーメ」
「…こっちで仕事があったら、勧誘ついでに寄ってあげるわ」
「私が生きてる保証はないけどね」
「大丈夫じゃない?あなたの騎士、相当優秀だし」
「…だから、私のじゃないってば」
彼女にこうまで言わしめるとは…。
「向こうが勝手に尽くしてくれるなら、使ってやれば良いのよ。
それが良い女ってものよ」
走り去る彼女が見えなくなるまで見送った。
狙った獲物は逃がさない女だ。
きっとまた会えるだろう、私が生きてさえいれば。
「ただいま」
「お帰りなさい」
何故か隣人がキッチンに立ち、エプロン姿で料理をしていた。
「…何してるの?」
「夕飯の手伝いを。遅かったですね、寄り道ですか?」
「…」
やはり見張っていたか、盗聴でもしていたのか。
自分が調べられたことも、分かっているのでは?
「…古い知り合いに会って、少し話をしただけだから、余計な詮索は無用よ」
「良いんじゃないですか?君が相手を信頼しているなら」
『怪盗には興味ない』と言っていた。
彼女はこの男のことを、何処まで調べたのだろう。
惜しいことをしただろうか…。
彼が帰ったキッチンで、夕飯の準備をする。
と言っても粗方彼がやってしまったので、米を研ぎながら考える。
彼女との取引は、FBIの証人保護プログラムよりも強力だろう。
でもどちらにしろ行き先は海外だろう、簡単には皆に会えなくなる。
大体相手は、骨の髄まで立派な怪盗。
組織から抜けて、怪盗の一味になるのか?
そもそもあの薬だって、若返りとか永遠の美貌とか、そんなことの為に作った訳じゃない。
…それに。
あの男の正体は、本人の口から明かしてもらう。
その日まで、私はここにいる。
別に彼が、私専属の騎士でなくても良い。
今はまだ、何かと首を突っ込んでくる、怪しい隣人で良い。
…もう少し貸していてね、お姉ちゃん?
「気が変わったり、ガールズトークがしたくなったら電話して♪」と手渡されたメモに火を着ける。
勿論頭に叩き入れて。
「またね、峰不二子」
私の憧れの、自由で強く、美しき女性。