思い出す。



懐かしく思う。



振り返る。






いい。ソレはいい。


だけど依存すること。


依存するなと思う。


依存することにプラスになる事は一つも無い。



依存することに利があるのは唯一つ、死ぬときに“アナタ”に依存して生きていたよ。と言えるときだけだ。


生きるなら依存はするな。




風は感じることができる。

ならば、臆病風はどのように吹くのか。


多分、臆病風は触れるか触れないかの距離をクルクルと回り続けるのだ。

だから、気付かないし、気付いてもなかなか逃げられない。

振り切ったと思ってもいつの間にかまた近くをクルクルと・・・。


・・・っという、余り何の役にも立たない事を考えながら、今日もぬるい空気の中をジョギングです。

血液の循環がよくなり多少頭が軽くなったところで、ゲームの世界のTVをみた。

TNCの「プロゲーマーをめざす若者たち」だ。


オタク文化が根強い日本だが、パソコンゲームの世界じゃまだまだ発展途上中のヒヨッコな国でした・・・。

さぞ日本のゲーマーは強いんだろうと勝手に思い込んでいたので日本のパソコンゲーマーたちの実力にちょっとがっかり。


『果たして今後、日本でもパソコンゲームのブームは来るのだろうか?』と問うナレーション。



そこで思ったのはゲームという素材そのものは素晴らしいデザインや技術力を使い創られているのに、「なんかオタクっぽい」とか「とっつきにくい」という感じが強すぎる。 僕も未だにそういうイメージで見ている。


各地で行っているイベントも、会場は華やかな雰囲気をかもし出しているが、やはり参加している人間がオタクっぽい。いくら頑張って身なりをオシャレに着飾っても中身が垢抜けていないとチグハグになる。

ブランド物を着けていれば大人だとカンチガイしている女性だったり、ダボダボの服&ジャラジャラを着ければヒップホッパーになれるとカンチガイしている男と同じ。


ヤッパリ中身をどうにかしないといけないですよ。


思い切って、ゲーマーにもオシャレをしてくるように!」という服装規制を設けてゲームイベントを行ってみてはどうだろう。そして、メガネ&野球帽&リュックサック禁止!とかおまけに付けて。そういう視点でイベントを考えると面白い案が出てくるかも・・・と思いました。


一日が終わり、今日を振り返るときによく思うことがある。

それは考えなくなったな~ということ。


昔は“考える”ということに一番力を使い、真剣に時間を費やしていた。

考える時間を何よりも優先して作り、考える為の準備をして、静かに自分の内側と対話していた。

椅子にじっと座り空間を見つめ考える。その時間は大体毎日2時間ぐらい。

眼を開けていても日が落ちて暗くなったことにすら気付かないくらい集中していた。

あるときは息をしている行為すら頭の中で飛び交う言葉の邪魔になるような気がして、薄く薄く息をしていたら気を失いそうになった事もある。


今、何もせずに2時間も座っていられるかと言ったら多分無理だろう。アレコレとやるべき用事や明日の事などを考えてしまい、集中できなくなると思う。


しかし、あの考えるということを大事にしていたときに僕は人間的深さを学び、精神的に、心理的に、哲学的に大きく成長した。僕という人間の人格形成はほぼその時に作られたものだ。


際限無く続く問いを繰り返し考え悩むということで人間の精神は強くなる。悔しいとか悲しいとか苦しいとかの痛みに打たれ強くなり、ひらめきやワクワクや喜びで感性が豊かになり、自分と言う存在を少しだけ知る事ができる。


諸々落ち着いたら、現代に生きる術を試行錯誤する合間に、また少し『自分探し』の思考をする時間を設けようかと思っているこの寝苦しい夜であります。


医学的に言えば、バランス不全症候群ですか・・・。


椅子に座った姿勢などで一点を集中して見ていると三半規管がおかしくなるのか、体のバランスが取れなくなる。

「アァ・・・」と思っている内に体が回転している気がして椅子から落ちてしまう。頭の中で曲げられる視界の先で回転しているイメージを我慢して堪えると気分が悪くなり吐き気がするのだ。


この感覚は本当に気持ちが悪い。集中しはじめると「アワワワァァ!」となるのでやっかいだ。

だから、あまりグッと集中できない。【気分が悪い+眩暈+バランス不全=二日酔い】みたいな感じになるのだ!



お酒を飲んでいないのに二日酔い。

コレは、明らかにバランス不全症候群でしょう。   










しかし、

しかし、実は、そんな名前の病気はなかったりして。。。