万が一、申請者が倫理委員会の意見を受けいれずに指針を無視して実施した場合には、結果のいかんにかかわらず、医療上のみならず倫理上の責任も一切、実施者個人が負うべきであり、倫理委員会は申請者を倫理上でもバックアップしてあげることはできなくなる。倫理委員会の指針を無視して強引に強行した申請者の行為に対して倫理委員会は何の権限も与えられていないので、学長あるいは医学部長のような任命権者にその旨を報告して、学内的な対処を要請するだけである。


倫理委員会の倫理とは何であろうか。これは難しい問題である。倫理委員会に臨む委員の倫理性から考えなければならないと思われる。公開性について委員会の公開性を求める声が、とくに報道関係者から高い。報道関係者にとっては、公開の席上で何の制限もなく自由に取材できるのが最も好ましいのは当然なことである。しかし、それを承知で、委員会が条件付き公開や非公開にするのには、またそれなりの理由がある。委員会で何を審議するかによって、公開性の問題は変わってくるのである。よくアメリカの委員会の公開性を例に挙げて、わが国の委員会の非公開性を非難するのを聞くが、誤解に基づく発言の場合もあることに注意していただきたい。


アメリカの大統領委員会、施設内研究審査委員会(IRB)などを例にあげて、わが国の倫理委員会と公開性について比較するのは妥当ではない。アメリカの大統領委員会の役割は、個々の患者の医療について審議することではなく、たとえば、脳死者からの臓器移植のようなある特定の医療の実施について道徳的倫理的法的な規範の原則、基準を設定することにあるから、当然、患者個人のプライバシーは問題とならない。また、ヒトを対象とした個々の研究課題の申請について審議するわけでもないので、申請者のプライバシーも問題にならない。


誰でも将来病気になるであろうし、たとえば臓器移植が必要になるかも知れない。すべての人を対象として検討審議しなければならない特定の医療の実施についての道徳的倫理的法的な規範の原則、基準を設定するためには、一人でも多くの異なる価値観を持った人々に問題点を把握してもらい、各自の積極的な意見や問題点を発言してもらうことが、委員会にとってこの上もなく重要なことなのであるから、委員会の討論を公開にするのは当り前のことなのである。この観点からすれば、わが国の「脳死臨調」の委員会が公開でないのは、委員会にとってもせっかくの情報源を絶つことであり、私は大変残念なことであると思っている。


『日本国有鉄道監査報告書』(昭和六十年、および『都市交通年報』(昭和六十一年版)によれば、東海道線、横須賀線、中央線快速、京浜東北線、東北線、常磐線、高崎線、総武線などの上り、および山手線の、ラッシューアワーの混雑率は、ほぼ二五〇%から二七〇%になっている。一九八八年三月、経済同友会が行った「日本人の豊かさ」についてのアンケート調査結果によれば、豊かな生活実現に必要な事柄、時間的側面の回答の上位三つは、①週休二日制の完全実施、②長期休暇の実施、③通勤時間の短縮であった。


通勤時間の短縮が、労働時間の短縮よりも上位にあるのは、通勤時間はまったく無意味な消耗であり、さらに残業手当も支払われないからであろう。余暇開発センターの調査によれば、EC九力国の通勤労働者の七〇%以上が、自宅から仕事先まで、十キロメートル以内の距離に住んでいる、という。


日本とはちがって、通勤時間が短いうえに、労働時間も短い西ドイツでは、一九八八年のメーデーに、週三十五時間労働をかかげた。西ドイツの労働協約による協定労働時間は、週三九・四時間となっているものの、実労働時間は、年報(Jahrbuch der B. R. D. 1988/89)によると、すでに週三万三時間になっている(日本は週四三・三時間労働)。


また西ドイツの協定有給休暇は、三二日であるが、これも事実はもっと長い。しかも、日本の長い労働時間は、統計学者、横本宏氏によれば、労働時間のカウントのしかだが違うので、先進国と比較して、実態はさらに長いという。なぜならアメリカや西ドイツの労働時間は、年次有給休暇や病気欠勤であっても、有給であれば、支払い労働時間として労働時間に含めているが、日本では休憩時間および手待ち時間さえも除いた実労働時間だからである。


また日本では、原則として従業員三十人以上の事業所の労働時間を、ILOなどの国際機関に報告し、それを一般化しているのに対して、アメリカ、イギリスは、すべての規模の事業所の労働時間を、西ドイツやフランスは、十人以上の規模の事業所の労働時間を対象にしている。日本では、すべての企業に長時間労働があるものの、なかでも長いのは、中小企業であるから、それらを除外した労働時間の平均は、実態を反映していない。



もちろん、光には影もつきまとう。バルトは、「ナショナリズムの最高の形態」としての人種主義を生んだ土地柄でもあった。ナチズムの「理論家」で、その聖典である「ニ一世紀の神話」を書いたアルフレードローゼンベルクはタリンの生まれである。インド哲学、美学を学んだうえ、リガとモスクワで建築を学んだという。ナチの機関紙「フェルキッシヤー・ベオバハター」の編集長なども務めている。


かれはユダヤ的なものに対して、「アーリア的」な伝統を対置、「金髪・碧眼・純血」のゲルマン民族の優位を説いた。そうした人種理論の上に、ヴェルサイユ体制を「ヴェルサイユの恥辱平和」と、またヴァイマル体制を「十一月革命体制」と呼ぶ、反西欧・反民主制の「理論」を打ち立てた。混血のバルドードイツ人の多いところで、「純粋な」ゲルマン民族の優位を説くあたりが、なんとも奇妙だが、ローゼンベルクに限らず、中心部から遠いところに極端なナショナリズムが芽をだすことはしばしばある。ヒトラーも、オーストリアの片田舎の出である。


そのヒトラーは『我が闘争』で、第三帝国は「かつてのドイツ騎士団の道に沿って……」生存圏獲得に赴かなくてはならぬ、と主張する。騎士団が侵略主義の手本にされてしまっている。バルトの海が、そんな侵略の道だと信じているドイツ人は今はいないだろう。そこの歴史をいささか詳しく書いたのは、バルト沿岸に限らず。シュレージェンにしてもボヘミアにしてもそうだが、ドイツ人との長くて深い関係のある土地がドイツの東に展開していることを示すためである。統一ドイツは一九九一年、ドイツ騎士団の発足八〇〇年を記念する一〇マルク硬貨を発行した。回顧趣味だけではないだろう。侵略、伝道、文明の伝達などなど、さまざまな要素をはらんだ八〇〇年を思い出させたのだった。


ケーニヒスベルクはドイツ人が造った街だが、同じドイツ語風の名でもサンクトーペテルブルグを造ったのはロシアの皇帝ピョートル一世大帝だった。ロシア語のピョートルは、ドイツ語では「ペーター」、そのあとに砦を意味する「ブルク」をつけ、ロシア語風に発音するとペテルブルグ。これに「聖」を意味するサンクト(ドイツ語ではザンクトと濁るが)を冠して「聖ペーターの山」、立派にドイツ語である。


ペーターはラテン語ではヘテロだから、サンクト・ペテルブルグは「聖ヘテロの山」、キリストの十二使徒の人の砦ということにもなる。ちなみにヴァチカンの中心はイタリア語で「サンーピエトロ」、これも「聖ヘテロ」である。ピョートル大帝は自分の名前を意識、聖ヘテロにあやかろうとして、こんな街の名にしたのだろうか。


大帝は変名で西ヨーロッパ各地を歴訪したさい、海面より低い土地にできているオランダの首都アムステルダムに強い印象を受け、これをネヴア河河口の沼地に再現しようとしたのだという。だから初めはオランダ語風の名前だった。のちにドイツ語風になっだのだが、こんなところにドイツ人やオランダ人などの力をかりてロシアの近代化を目指していた、「啓蒙」専制君主としてのピョートル大帝の「西ヨーロッパ化」政策が反映している。後進性の象徴としてのモスクワに代わる新首都は、バルト海の北端、まさしく「西ヨーロッパにむけて開いた窓」だった。