夫婦関係の修復を阻害するASDのサガ | アスペルガー夫とカサンドラ妻についてとことん語るブログ

アスペルガー夫とカサンドラ妻についてとことん語るブログ

アスペルガー夫、カサンドラ妻について私が思うことをいろいろと記述していきたいと思います。

夫婦関係が破綻しつつある・・

 

このようなときに夫から「どうすればよいか?」という問いに、

 

「夫は定型発達寄りになればよい」

 

という答えは、

 

確かに「口で言うのは簡単」だと言えます。

 

一つの例えを出します。

 

駅まで歩いて15分かかる。

 

「それを短縮するにはどうすればよいか?」

 

という問いに

 

「自転車に乗ればよい」

 

と答えたとします。

 

しかし、この答えは自転車に乗れない人にとっては答えになっていません。

 

「自転車に乗れないから困っているのだ」

 

と言われれば次の手を考えるしかありません。

 

 

これと同じことがアスペルガー夫とカサンドラ妻との関係にも当てはまるのだと思います。

 

「ASD特性は治せないからASD特性なのだ」

 

「ASD特性そのままで妻と良好な関係を築く方法はないか」

 

このようなことを(一部の)アスペルガー夫は考えているのかもしれませんが、たしかに「それはアスペルガー夫のジレンマだ」と同情したくなる面もありますし、そんな心の広い妻はこの世にいないのではないかと私は真っ先に思ってしまいます。

 

また、前回の私の記事に対して、

 

アスペルガーは相手を思いやる心は決して薄くない

 

というご指摘を頂き、そのご指摘の内容には「なるほど」と思い、反省しています。

 

アスペルガーが「思いやりの心が薄い」と私が述べたことに対しては確かにそうではない、定型発達と変わらないほどの思いやりがあるのだと理解しました。

 

しかし、妻にとっては夫の思いやりが伝わる部分もありますし、伝わらない部分もあるでしょう。

 

定型発達、その中でも特に女性は、男性からなにかを口にしてもらうことではじめてそこに「愛」を感じます。

 

それが嘘っぽい言葉だったとしても女性は、その言葉に愛を感じるものです。

 

アスペルガー等の、一部の男性が持ちやすい「言わなくてもわかるだろう」は、多くの女性には伝わりません。

 

「俺はアスペルガーで嘘をつけないのが特性だ。嘘っぽい言葉はぜったい言うことはできない」

 

と一部のアスペルガー者は思うでしょう。

 

それに関しては確かに「アスペルガー夫のジレンマだ」と同情したくなる面もありますし、やはり、「そんな心の広い妻はこの世に存在するのだろうか」と私は真っ先に考えてしまいます。

 

ジレンマで苦悩している

 

ということであれば、そこには確かに同情はします。

 

ただ、現実は厳しいということだけははっきり言えます。

 

ただ、今回のテーマにつきましては、アスペルガー者の気持ち(ジレンマ)が垣間見えたという点においては私も大いに学ぶべきところがあったと思いました。