会話はキャッチボール
とよく言われます。
相手との会話が成り立たないのは、投げたボールが跳ね返ってこないからです。
カーテンにボールを投げるとボールはカーテンに吸収され跳ね返ってきません。
ASD者との会話が成り立たないのは、ASD者が、相手から投げられたボールを相手に返さないからです。
● 一応、ボールは受け取るけれど投げ返さない(保持したまま)
● ボールを受け取ることすらしない(スルー)
● ボールを受け取り、それをあさっての方向へ投げる(方向性の違い)
などによって会話が成り立たないのです。
では、なぜASD者は投げ返さないのか?
● その話に興味がないから
● 会話に慣れていないASD者の場合は、相手にどう返していいのかわからない
● その場に合った(スチュエーションに合った)会話ができないから
● 相手の意図を汲み取れないから
● ADHDの場合は気が散るから
● 自分の中だけで納得し(完結し)、それでいいと思うから
などが考えられます。
ASD者は、自分に興味がある事柄については多弁になりますが、興味がないことに対しては、急に無口になります。
また、相手から、「ここは、とても美しい景色だね」と言われたり、「この料理どう?」と聞かれても会話に慣れていないと、すぐにうまく答えることができません。すると、相手は「この人は私に興味がないんだ」と思ってしまいます。
また、「どの場にいるのか」で会話の内容は変わってきますが、「その場面ごとに会話は微妙に違ってくる」というのを理解するのはASD者は難しいでしょう。
また、直接的な会話でない場合、意味を汲み取るのが難しいので、間違った解釈をしたりします。
ADHDの場合は、一つのワードに気を取られたり、時間のことが気になったりして、相手の話が上の空になることもあるでしょう。
あと、よく聞く話で、ASD者は、自分の中で理解し、自己完結すると、相手に(会話の)ボールを返さないという特性があるようです。
ASD者に感情はない
とはよく言われることですが、これについては謎の部分が多いです。
もちろん、ないわけではないのですが、定型よりも弱いか、もしくは、でこぼこ的性質を持つため、ある部分では感情があり、ある部分ではないとも考えられます。
定型と違って、
相手の気持をそのまま自分自身に投影するのは難しい
ということは言えると思います。
ASD的性質から
相手が怒ってもなんとも思わないし、悲しんでいてもなんとも思わない
というのはあると思います。
じゃあ、定型はそういうのを持ち合わせているのか
と言われると、そうでもありません。
たとえばアフリカで3食まともに食べられない人がいると言われてもほとんどの人はなんとも思わないでしょう。
それは距離感が影響しているからだと思うのですが、ASD者やADHD者は、定型が持ち得る「微妙な距離感」がわからないとよく言われます。
女性ASD者の場合、その距離感がわからず、男性から変な誤解を受けることもあるでしょう。
ASD者と会話をする場合、スムーズなキャッチボールは難しいですが、ASD者を定型の世界に強引に連れこもうとするのではなく、ASD特性を理解したうえで会話をすれば、ぎこちないながらもキャッチボールは可能だと思います。
感情に訴えても、その感情がASD者に伝わるのはかなり厳しいので、事実だけをたんたんと述べるような言い方に努めるのも大事だと思います。