坂田は1冊の本をBCに渡した。分厚い数学書だった。
「本の1ページ目を広げてみてください」
坂田に言われるままにBCは本を広げ、1ページ目を開いて坂田の顔を見る。
「私の事前情報が正しければ、チーちゃんには文字の所々に色が付いているのが見えるはずです」
「え?・・・あ、はい」“事前情報”という言葉が耳に付いたがとりあえず、本に目を向けると文字の所々に黄緑色の箇所があった。
「それは、特殊な塗料で、通常の人には見えません。つまり貴方にしか見えません」
「え?」BCは驚いた。
「時間がないので質問は後で」坂田はそう言って話を続けた。
「色の付いた文字を頭から拾っていくと文章になっています」
「こ・ん・に・ち・は・。・わ・た・し・は・さ・か・た・で・す・・・・。 あぁ・・・」BCは素直にうなずいた。
「今日はこの部屋の監視システムの音声が動作しないのでこうして話が出来ますが、今後は不可能です。そこで、私たちのやり取りは、この形で行います」
「え?一方通行ですか?」
「いえ、私の予想が正しければ・・・耳たぶを指で軽くこすって、その指で文字をさわってください」
BCは言われるままに耳たぶを触り、文字の上で人差し指をこすりつけた。すると、他の色の付いた文字と同じように黄緑色がついた。
「あっ」BCは思わず声を出して自分の指と本を見比べる。
「1行に1文字」
「え?」
「1行に1文字が原則です。間違えて色をつけた場合は隣の文字も色を付けてください。2文字に色が付いている場合はそこは省いて読んでいく。これがルールです」
BCは質問したかったが、坂田の話が終わるのを待った。
「私が勉強時間の終りに本を貸し出し、チーちゃんは部屋に帰ってからその本を読む。そしてチーちゃんはその本の続き、3ページを開けてから書く。それを翌日持ってきてもらい、私が持って帰って読む。この流れで私たちの会話を成立させます」
「3ページ・・・。わかりました」
「それから、髪の毛をとかすふりをして一本抜いてその本に挟んでもらえますか?」
「え?」
「DNAを調べます」
BCは返す言葉がなかった。何か一気に色々なことがどんどん明確になっていく気がして少し怖かった。
「3年計画です」
「え?」
「ここを出る計画です。3年後、貴方が自由の身を手に入れるよう、私は動きます」
「なぜですか?なぜ私の目や、皮膚の事を知っているのですか?私でさえ知らなかったことです。先ほど貴方は自分が知っている情報は少ないと・・・・」BCは何故か不安だった。先ほどまで彼を信じようと思っていた心が変化していくのを感じた。
「この仕事を受ける時に得た情報は少ないし、私の予測はあくまで予測です、それが今回ヒットしたにすぎない」
「なぜ? 良くわからない、貴方は一体・・・・?」
「・・・・なんと言えばいいのでしょうね。私は、イギリスのある研究所にいました。そこで色々とありまして。貴方に辛い思いをさせたくない」
「言っていることが良くわかりませんが・・・色々って?」BCは坂田の顔を覗き込んだ。
「今はそれを話している時間がありません、今日の勉強時間はもうすぐ終わります。もちろん、チーちゃんが私の手を拒むというのなら、今日の話はなかったことにしましょう」
「それは、どういう・・・」
「言葉通りの意味です。そして私が貴方に会う事はもうないと」
「え?」
「残念ながら今、貴方と私の置かれている状況にグレーはないのです。白か黒かのどちらかしかないのです」
「白か黒?」
「YesかNoかです。どうしますか?」
BCはふりだしに戻ったような気がしてしばらく黙っていた。そして返事をする代わりに髪をとかしながら数本の髪の毛を抜いて開いてある本の上に落としてみせた。そして本を閉じて坂田に渡す。
「3年は長くありませんか?」BCは頬杖をついて聞く。
「逃げるのではないんです。追われる身になっては意味がない。その為に、まずはここでの私の信用を築き上げることが大切です」
「その為に、待てと?」
「ただ待つのではありません、その間に色々なことが出来ます。例えばこの髪の毛でDNAを調べるように」
「わかりました」
「ただし、待つといっても私達は非常に危険な状態にあることを理解してください。細心の注意を払うことを忘れずに」
「はい」BCは大きくうなずいた。
坂田が自分の腕時計に目をやり、席を立った。BCも立ち上がる。そしていつものように白い扉が開いた。坂田はBCを彼女の部屋の前まで送り届けると
「では、また明日」坂田はそういって頭を下げた。
「はい」BCは片手を挙げて微笑んだ。