蔵のスキンヘッドおじさんのブログ -2746ページ目

お年玉 ①

正月に欧州旅行に行っていて会えなかった叔父さんに呼ばれてわざわざ名古屋まで行ったのは2月2日、生まれてずっとお年玉を貰っている(何故?この年になるまで呉れるの?)ので、楽しみにして行ったら、案の定帰りにお年玉呉れました、


AJS16(350cc)の新品のシリンダーバーレルとSTDサイズの新品ピストンです、欲しかったんだ

さすが叔父さんなかなか本場イギリスでも簡単に見つかる代物じゃないから


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CBX

並列6(インライン6)エンジンと言えばホンダの第一次全盛期(1960年代後半)のレーサー(RC166)がまず思い出されます、しかしそんなバイクを個人所有している人は???

次に思い出されるのがホンダCBX1000、カワサキKZ1300、べネリ750and900セイです

もう効率が悪いインライン6は出てこないと思います

6気筒の要求が高まれば、ストリート系ならばV6、ツーリング&アメリカンならばフラット6になる筈です

CBX1000にしてもKZ1300にしても魅力は中から高速で信じられないなめらかな吹き上がりをみせることです

ただ並列6というクランク幅だけはどうしようもありません
最高の動力性能を持ちながら峠走りで生きなかったマシンです

もっぱら長距離ツーリングの友です



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バスケットケース 2

アリエルのハントマスター650です 1963です

バラけていたけれど比較的程度がよく、さして問題の無いバイクでした

ただひとつトランスミッションがAssyでなくてBSAを流用して付けましたが、プライマリーとブラケットの手作りだけは面倒でした


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Myビンテージハーレーコレクション #3

1969のスポーツスター900のXLCHです

スリムタンクです


この後900から1000→1100そして1200ccになりますが、この頃までのスポーツスターが一番好きです


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カスタムハーレー 街角編 6

昨年末のアメリカ旅行、ロスの南で見かけたカスタムハーレーです

ブルーのメタルフレーク塗装が抜群によい仕上げのバイクでした



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ビックツイン 3

好みに因る(depend on parson :人に因る)が前提の話です

ハーレーのOHVビックツインの歴史を見てみると
ナックルヘッド more better than パンヘッド more better than ショベルヘッド more better than エボ
という評価はどう詭弁を使っても動かしようがありません
しかし
それは動力性能(総合的機械に対する評価)であって、人間には見た目(モード)が大切なのも動かしようの無い事実です

アメリカ人に評価が高く、最もノスタルジックな対象がパンヘッドらしいです
(別に統計を取ったわけではありませんが経験上もっとも人気が安定しています)

私もパンヘッド好きのひとりです

1958 FLHです

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ボクサー 4

ダグラスの350です 1959です

この時代の英国車でたぶん唯一のフラットツインです

わりと売れたバイクらしく部品もありました
純正マフラーだけがどうしても見つからない、やっとここまで来たのに

誰かー!! 持ってたら売っておくれよ


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カフェレーサーの話 4

モト・マーチンです
カワサキGPZ1100のエンジンを積んでいます
1970年代末から1980年代に全盛があったメーカーです
1980年代以降はビモータのひとり勝ちの感が強く
日本に入った数も多くないと思います





最初のバイク ( カワサキ トリプル① )

初めて乗せてもらったバイクは姉のCB160です(姉ちゃんのおっぱいに摑まりながらのタンデム好きでした)

その前(小さすぎて記憶に無い)に父親のメグロZ5におんぶして乗ってる写真があります

初めて自分で乗ったのは前に書きました(小1の時父のラビットのスクーターです)

免許を取って自分のバイクとして乗ったのは兄のお下がりのCB450K0でした

初めての新車を自分のバイクとして乗ったのは高校通学用のホンダSL125(学校の上限が125ccまでだったので)

そして初めて自分で買ったのがカワサキ750SSでした 
勿論中古です 2年落ちの






ベイビーツイン 6

1942WLAです 

ほぼ新車です

戦時物資無償貸与でオーストラリアがアメリカから大量のWLAを受け取りました

アメリカはオーストラリアに借りがありましたので
(マッカーサー元帥はフィリピンから逃げて司令部をオーストラリア・ブリズベンに置いていました)

オーストラリア陸軍はパプアニューギニア島までは軍を進めていますがそれ以降はノータッチ

道の整備されていないパプアニューギニアではバイクの出番なし

そこで無償貸与された大量のWLAは過酷な使い方されることもなくオーストラリア内に残りました
このWLAのように箱入り未使用のまま払い下げされたバイクも相当数あったと記録に残っています


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エアクリーナーがWLCの物がついていますが、これも当時のままです、まあアメリカ人のすることですし、戦時即席大量生産の結果です、白人と付き合う場合いい加減は目くじらを立ててはいけません