愛猫の旅立ち | 大ざっぱなO型キャンプ

大ざっぱなO型キャンプ

2023年の夏、2拠点生活の長野でキャンプ再デビューしました。

いつかは来ると思っていたのですが、22歳と半年になる愛猫。金曜日の夜にとうとう歩けなくなり今秋からは食事もとらなくなり弱り切っていました。

 

金曜日の朝、いつものように「おそるおそる」寝床に手を入れると「にゃー」といつも通りの返事があり安心して仕事に向かいました。新年会が終り23時ころに帰宅すると嫁が「もしかしたら今晩が最後かもしれない」とのこと。膝の上に載せていつものように前足の詰めを持って伸ばしましたが、力が入らない状態でした。何度か呼びかけると一度だけ「にゃぁ」と言いましたが声にならず。

 

大好物の餌を口元まで運ぶと何度かぺろぺろとなめていました。そのまま30分くらいいつもより軽く小さく感じる愛猫を撫でていました。

 

その後、嫁が深夜までさすってくれて湯たんぽを入れた寝床に戻して朝を迎えました。

年末に一時的に元気になっていたので「もしかしたら」というかすかな望みはありましたが、それはあっけなく土曜日の朝に崩れました。

 

眠っているように見えましたが、体温は無くすべてが硬くなってしまっていました。

「まだ生きているかもしれない」と嫁と息子が言うので半日は待ってみようという事にして火葬場の予約は最終に近い17時ころを予約して待ちました。

 

15時ころになり、カゴに安置して花を添えて線香をあげることにしました。バタバタと火葬が終りました。遺影とお骨だけになった愛猫がまだどこかからすり寄ってくるような気がする自宅にもどり、年越しにこたつに這い上がってきておねだりをした寿司のことを思い出し、夕飯は寿司にしました。

 

昨年秋から足が悪くなり、引きずるように歩いていた姿を思い出すとけなげで涙がとまりませんでしたが、腎臓が悪くよく吐いたりしていたことを思うと眠ったまま亡くなったのはせめてもの救いで、楽になってくれたと信じたいです。

22年以上も一緒にいた存在が急にいなくなる経験は、我が家にとっては初めての経験で、しばらくは立ち直れないかもしれませんが、いつかは来ることに対する心構え、生きているうちにしてやらなくては意味がないということを愛猫が教えてくれたような気がします。

 

地元の施設にいる母にできるだけでいいから会いに行けと、私はいいから…と、愛猫が言っているような気がしています。