http://www.akibablog.net/archives/2008/03/sexy-idol-080324.html

またやっている。

全く反吐がでる。
気持ちが悪くなる映像だ。


路上で股間をおっぴろげるおね~ちゃんはどうでも良い。
やりたきゃやればいい。

見るに耐えないのは、それを囲んでいる奴らだ。


ローアングラーか何かしらないけど、この行動を学校のクラスメイトか親の前でもやってみろ。


挙句の果ては、おっぴろげじゃない純粋にコスプレを楽しんでいる子のスカートの中まで、有り得ない体勢で撮影してる。
コスプレしてほこ天にいる事自体、目で犯される事を喜ぶ、露出狂の男にとって都合よし子ちゃんだから、股間を撮影される事も快感なのかもしれないけど、こう言う事はキッチンジローの裏でやれ

自制心を無くした人間には、自分がやっている事を犯罪を認識する事は出来ない。


近いうち、一般の人のスカートの中を盗撮するようになり、アキバは迷惑条例違反多発地帯となるような気がする。
僕はどもる

相手に伝えたい事は山ほどあるのに、それをいかに伝えようかと考えるとどもってしまう。

言葉のメリハリや間を考えると、話すのが億劫になってしまう。


乗ってくると話す。
饒舌に話す。

でも、そう言う時って、伝えたい事が溢れてしまっていて、同じ事を何度も言っていると思う。



ブログも一緒だ。

伝えたい事を書こうとすると、タイプする手が止まる。

言葉のメリハリや間なんて物を行間に盛り込もうとすると手が止まる。

でも、会話と違って、何度でも、何度でもやり直しが利くから、まだましだ。


タイプが乗ってくるとどうしても説明が多くなる。

見ている人に、何かを伝えようとすればするほど、不必要な説明が多くなる。


実にくどい


伝えたい事のコアは、ほんの1行で良いのに、、、、、、

削っても削っても、装飾が多すぎて、言いたい事が埋もれてしまう。


短い文書で、確実に人に思いを伝える事、、、、、、、

ブログって難しい。



まあ、こんな俺のブログなんて、見てる人居ないだろうけど、、、、

だから表より裏のここの方が自由なんだよな~。

匿名だから、書きたいこと書ける。

決して無責任にと言う事ではなくて、何に対しても素直に出せる。

毎日のように飽きずに書いていられるのは、はけ口になってるからだと思う。

この住んでいる世界でなんて、何1つ本音なんて言えない。

だれでもそうなのかな?


でも、伝えようとしているって事は、見てもらいたいって言う気持ちで書いてるのかな?

結局、本音を誰かに聞いてもらいたいのかな?


これを見てくれている幾人かの人

ありがとう。

そう言う人がいるって思うだけで、きっと救われているんだと思う。





物を作り出すアーティスト。

表現の源は人それぞれあると思う。

その源が劣等感だったりコンプレックスだったり、真実を追い求めた場合、アーティストの寿命は短命だ。



この場合の寿命とは2つの意味を持つ。

1つはアーティストとしての寿命、もう1つは人としての寿命


僕が学生の頃、天才的に上手いギタリストとバンドを組んでいた。
その音色、作曲センス、技術、どれをとっても比の打ち所の無いギタリストだった。
インギーを耳コピで完璧(ぽっく)いとも簡単に弾く事ができ、アレンジまで即興で加えていたと言えば解ってもらえるだろうか?

でも、そいつは彼女ができてギターをあっけなく止めてしまった。
元々努力無しに弾けるようになった彼、
もてないコンプレックスを音楽への力に転化していた彼、
そんな彼にとっては彼女ができれば音楽はどうでも良かったんだろう。

僕は学生の頃、大学も行かずに音楽ばかりをやっていた。
音楽がなければ生きて行けないと思っていた。
それも、今思うとコンプレックスとか憤りを力にして音楽に転化していたように思う。

結婚した今、音楽は全く聞かなくなってしまった。
音楽に生きる力を求めなくなったからだと思う。
そう言った匂いのする音楽を避けるようになっている。
曲もいつしか書けなくなっていた。
音楽に乗せる言葉を失ったからだ。

尾崎豊は若くしてこの世を去った。
hide・西岡恭蔵・芥川龍之介、、、、、、

数えだしたらきりが無い。

物を作り出す力が、人間の深い感情から沸き起こっている人、若しくは自分の中にしかない真実を世の中に見出そうとしてストイックに突き詰めて行く事で作品を搾り出してゆく。

その結果、生きて行く事ができなくなり、自殺に自らを追い詰めてゆくのではないだろうか?


そこまで突き詰めて行かなければ、商業製品の量産者でない、真のアーティストにはなれないのかもしれない。

それに気づき、僕には無理だと音楽を捨てたのは22歳の頃だった。


1人で生きて行くには、
    
    一生は余りにもはかなく
        
        余りにも無様だから、、、、、

俺は年を取らない。

昨日久しぶりに鏡を見てそう思った。

どの位久しぶりかと言うと、ほぼ3年ぶりだろうか、、、、、、
バイク用の皮シャツを購入した時、店で姿見を見たのが3年前だから、、、、、

鬚に3本の白髪が生えているのを見て、ちょっとショックだったけど、僕が思う限りこの10年、年をとった感は無く、むしろ若返っている。

話は変わるがヒゲと言う漢字は3つある。その生える場所によって漢字が違うのだ。
僕のは髪の毛から顎にかけて1周しているから鬚
僕が昔生やしていた鼻の下に生えて、納豆を食うと臭くなるのは髭
ほほに生えてぶしょうに見えるのは髯


年をとると言うのは気の問題だと思っている。
一生懸命生きていて、目標がある。
向上心が旺盛で、何にでもチャレンジできる。
趣味があり、楽しみがある。

こう言う人は年を取らない。
実際、バイク仲間の多くは年齢不詳で、70歳になっても子供のような目を持った先輩は、非常にアグレッシブでパワフルだ。

それと加齢を実感しないと言うのも年を取らない秘訣だと思う。

鏡を見て、日々衰えて行く自分を見てあせったり、がっくりしたりすれば、その人の年齢はその人が感じた年齢に固定されてしまう。

だから僕は鏡を見ない。
そして、1瞬1瞬を生きる事に全てを掛けて生きて行きたいと思っている。

いつかは誰でも死ぬ。

後悔しながら老いを待って死ぬくらいなら、どうせ死ぬのなら、常に1瞬1瞬生まれ変わりながら、好奇心の目を持って生きて行きたい。

僕は常にそう思って生きて行きたいと思っている。
だから、鏡は見ない、見なくても生きてきた道が僕の顔形を作って行く物だと思っているから、、、、、


昼下がりの公園を見てると、日常と違った風景を見ることができる。

歩みのおぼつかない子供

後ろから追いかける母親

小さな子どもを持つ女性は神々しい光を放っている。
清らかなやさしさに称えられたその笑みには、近寄りがたいオーラがある。



砂場で山を作っている。

泥だらけになる子ども

それを払う母親。

しゃがんだその背中からピンクのパンツ、、、、、、、


事情が変わった(鬚男爵風に)

その時、言葉に出来ないような妄想が、女神を鬼畜に変える。