少し体力気力がついてきたので、書きたかった術後のエピソードを書き留めることに。
今回の手術はベッド移動だった。
大病院のオペ室はたくさん部屋が並んでいて、大きな駅のコンコースのように慌ただしく人の往来があったけど、
ここは小さな総合病院。
オペ室はおそらく一部屋のみ。
ベッドからオペ台には自分で移り、まぶしいライトの下に横たわる。
麻酔科医2人からの挨拶。
ちなみに今回体重は量ってなくて、自己申告だったけどこれでいいのと思いながら。
前は身体に麻酔が入っていく感覚があったけど、
今回はそんなの感じる前に落ち、気付けば翌日。
「自発呼吸の確認するので、口の挿管したまま一度起こしますが、首にも管が入ってるしパニックになって抜かないよう、拘束してます。ご了承ください」
と、大げさな話だったが、
全くそんな記憶はない。
だいたいみんなそんならしい(笑)
意識が戻ったときはナースステーションの前の相部屋(ドクターはそこを「集中治療室」と言ったが、ナースは「そんな部屋はない」と言った)。
目が離せない人を入れておく部屋なのだろう。
しかし、相部屋で同室だったのは認知症らしきおばあさん。
ずっとなにやら話していて、よく覚えてないがとにかく賑やかだった。
間もなく、さらに奥の個室に移された。
静かで少しホッとしたのを覚えている。
そしてその直後から食事が始まった。
目覚めたのが9時過ぎ。
もうろうの中12時に昼食、しかも固形食!
軟飯ではあったが、せめてお粥にしてー!
首と喉が痛くて、ひどい痰で唾液も飲めないのに、水もたくさん飲めという。
食事介助で三口ほど食べて下げてもらったあと。一人きりになった。
ウトウトしたりもしたが、
身動き取れない体勢がツラくなり、
寝返りを手伝ってもらおうとナースコールしようとすると、見当たらない。
頭が上がらないから見渡せないし、手の動く範囲を目いっぱい動かして探すけど見つからない。
携帯はかろうじて見えたけど、まず普通の人間なら関節の曲がらない角度にある。
術後すぐだし、またすぐに誰か来てくれるだろうと待ってみたが、
ドアの前までは来ても一向に入ってくる気配がない。
首腰背中頭がしんどくて、限界を感じ始め、ベッドの柵を叩き始めた。
でもドアの向こうにナースの気配を感じても、前室のおばあちゃんが賑やかで気付いてくれない。
何度叩いても気付いてもらえず、
強く殴り始め、声にならない声を出し続けた。
ナースの声は聞こえるのに、こっちの声は届かない。
術後になんでこんな目に合うんだと悲しくて涙が出てきた。
ただでさえしんどいのに、殴り疲れと手が痛みが限界に来たとき、
ドアの前にいたナースがどこかに行きそうな気配に恐怖を覚え、足をバタつかせた。
「なんか聞こえる?」
「この部屋!?」
慌てて駆けつけた2人のナース。
「ずっと前室の人の音かと思ってました」
でしょうね!!
私もパニックに陥り、
「これって拘束ですか! 拷問ですか!」
と涙ながらに叫びまくってしまった。
私の手を握ってひたすらなだめ、謝っていたナース。
「ベッドを離れるときは、必ずナースコールの場所確認をするのですが、怠ってしまったようで……心細かったですよね、どうもすみません」
私も取り乱してしまったことを反省。
でもあまりにも気付いてくれない緊張感のなさの怒りはなかなか鎮まらなかった。
あとで、上のナース?が謝罪に来た。
悪いのはこの人じゃない。
本来なら当時の食事介助の担当が来るべきと思ったが、顔もよく覚えてないし、
翌日にはその部屋を出ることになったし
もういいと気持ちを切り替えた。
ちなみに その部屋に入るときにスマートウオッチを着けていたので、あとから見てみると300回を軽く越えていた。
術後に鉄パイプ300回殴るってなかなかないよねー。
おかげでジンジン赤く腫れたよ。
術直後っていうもうろうとした中でのアクシデント、痛くてツラくて怖かった。
早く書きたかったこの記事。
長文書くのも大変だったけど、
読む方も大変だったと思います。
最後までお読みいただきありがとうございます。