日本航空123便墜落事故について ~異常外力着力点はミサイルの着弾点? その事実は隠蔽された?~ | ザキリューのブログ

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昨今の123便墜落事故の議論で話題となっている『異常外力着力点』。この話の発端は、1987年に作成された事故調査報告書の付録(別冊)P.116に記載された以下の図です。
https://jtsb.mlit.go.jp/aircraft/download/62-2-JA8119-huroku.pdf

 

「異常外力の着力点」とは何なのか。
そして何が問題なのか。

私の見解を書かせていただきます。

 

※123便墜落事故に関する解説をなさっている醇さんの動画を参考とさせていただきました。非常にわかりやすい解説には、いつも勉強させていただいております。

 

1、123便墜落事故の原因と異論

 

1985年に発生した、乗員乗客524人のうち生存者が4名という未曽有の大惨事。
123便墜落事故の原因は、航空事故調査委員会(現在の運輸安全委員会)が公開した事故調査報告書によると「修理の不手際による想定外の金属疲労で圧力隔壁が破壊され、結果として操縦不能に陥った」とされてます。

  • 事故機は1978年に尻もち事故を起こしており、その修理に不手際があった。
  • その不手際により後部圧力隔壁の一部に強度が低い箇所が出来てしまい、尻もち事故から7年後の1985年に金属疲労による破壊が発生した。
  • 圧力隔壁に穴が開き、気圧の高い客室側から気圧の低い後部へと空気が一気に流入した。
  • 一気に吹き込んだ空気により、APU(補助動力装置)や垂直尾翼が吹き飛ぶように破損し、油圧操縦系統が損傷した。
  • 操縦システムに必要な作動油が全て流出し、エンジンと電気系統以外のコントロールが不可能になった。
  • 32分間、何とか飛行を続けるも、群馬県上野村の山中(御巣鷹の尾根)に墜落した。

しかしこの説明には多数の異論が存在し、その中でも有名なものが「123便は、無人標的機もしくは試験用ミサイルによる自衛隊の誤射で撃墜されてしまった」とする説です。
そして今回の話題である『異常外力着力点』が「無人標的機、もしくはミサイルが着弾した箇所」と見なされており、そのことを記載した報告書の付録が長年隠蔽されていた……と言われているようです。

 

2、『異常外力着力点』に関する言及

 

『異常外力着力点』に関する言及は青山透子さんの著書に詳しい記載があり、ご自身のブログでも何度も取り上げられてます。

  • 「日航123便墜落:圧力隔壁説をくつがえす」発行日:2020年7月21日(以後「圧力隔壁説をくつがえす」)
  • 「日航123便墜落事件 JAL裁判」発行日:2022年12月2日(以後「JAL裁判」)

(「圧力隔壁説をくつがえす」P.70)

実はこれも、昨年から今も続いているボイスレコーダーなどの情報開示請求の裁判準備の過程で、私が書類を精査し、三十五年間を遡ってもう一度チェックしていた際に、偶然発見したものである。今までの過程で見落としていたとも思えないが、見た記憶がないページが含まれていたのである。

 

(「圧力隔壁説をくつがえす」P.73)

この『別冊』について運輸安全委員会に直接問い合わせたところ、次のような返答を得た。
運輸安全委員会は二○○八年(平成二十年)十月に、航空・鉄道事故調査委員会と海難審判庁の事故原因究明機能を統合させ国土交通省の外局をして発足した組織だが、この時に国土交通省からこれらの報告書が移管されたという。さらに『別冊』として付録類がホームページにアップされたのは二○十三年二月とのことである。その際、追加や書き込みはないはずで、一回でアップされたという。ただ、二○○八年以前がどういう状態だったのか、なぜ二○十三年までアップされなかったのかは不明、とのことであった。

 

(「圧力隔壁説をくつがえす」P.74)

さて、この『別冊』に話を戻すと、これが最初に出された一九八七年時の報告書とともに同時に公開されていれば、事件の原因が明瞭になったはずであり、圧力隔壁破壊は、誰もがおかしいと納得できていたはずである。逆にいえば、意図的に隠された公文書となる。

 

(「JAL裁判」P.32)

異常な外力が当たって、垂直尾翼が吹き飛ばされた、一一トンもの異常な外力の着力によって、垂直尾翼が破損して吹き飛ばされた、これは付録に書かれている試験研究資料から読み解いても明らかです。

 

(青山透子公式サイト 日航123便墜落の真相
  2023-01-15「裁判の原告をターゲットとした妨害行為 JALが仕掛けたのか?」

日航123便の垂直尾翼の「異常外力着力点」(事故調査報告書付録の116ページに記載)に、オレンジ色の物体を着弾させた軍関係者は、自衛隊だろうが、米軍だろうが、いまこそ懺悔をすべきです。そこから、初めて信頼し合える平和が生まれます。

 

(青山透子公式サイト 日航123便墜落の真相
  2023-07-31「38年目の真実-異常外力着力点」

話を戻すと、2013年に公表された事故調査報告書の研究資料・別冊によれば、その着力と同時に11トンの力が垂直尾翼に前向外力(95ページ)で加わり、同時に爆発音、とある。その記録もフライトレーダーに記されており、すべてが合致する。(該当記述掲載95ページ、101ページ・事故調査報告書(本体)にも79ページに書いてある)

 

『異常外力の着力点』に関する主張を要約すると、以下のようになります。

  • 123便墜落事故は「異常外力」であるオレンジ色の飛翔体(自衛隊の演習用ミサイル、もしくは訓練用の無人標的機)が123便に衝突したことが原因である。
  • 『異常外力の着力点=飛翔体の着弾点』が記載された報告書の付録は、2013年に運輸安全委員会のホームページで公開されるまで隠蔽されていた。

本当だとしたら大変なことです。123便事故の“真の原因”が隠されていたというのですから。

 

3、報告書付録の記載は隠蔽されていたのか?

 

123便の事故調査報告書は事故から2年後の1987年に作成されました。当時は紙媒体でしたが、現在はPDFの形式でネット公開されてます。

※2011年には事故報告書をわかりやすく説明するために、解説書が作成されてます。
https://www.mlit.go.jp/jtsb/kaisetsu/nikkou123.html

 

そして「付録は『異常外力着力点』に関する記載を隠蔽するために、付録は2013年まで非公開となっていた」とされてます。
そこで確認のためにネットのタイムマシンであるウェイバックマシンで時代をさかのぼってみました。
(ウェイバックマシンはインターネットのウェブページを保存しておいてくれるサービスです)

 

現在の「運輸安全委員会」の前身の前身である「航空事故調査委員会」のホームページに関する一番古いアーカイブが2000年8月でした。トップページには「試験運用中」とあるので、この頃に開設されたのでしょう。
https://web.archive.org/web/20000823210006/http://www.motnet.go.jp/aaic/index.html

この時点で事故調査報告書がPDFで公開されておりますが、公開されていたのは本編の報告書のみ
https://web.archive.org/web/20000823074546/http://www.motnet.go.jp/AAIC/download/index.html

 

2001年に「航空事故調査委員会」は「航空・鉄道事故調査委員会」となりました。ホームページも刷新されましたが、付録は公開されてません。2008年までこの状態が続きます。
https://web.archive.org/web/20041224090808/http://araic.assistmicro.co.jp/aircraft/download/bunkatsu.html

 

2008年に「航空・鉄道事故調査委員会」は現在の「運輸安全委員会」となりました。確認可能な一番古いアーカイブの2009年7月時点で、付録が公開されていたことが確認できます
https://web.archive.org/web/20090711143527/http://araic.assistmicro.co.jp/aircraft/download/bunkatsu.html

 

時系列からすると、運輸安全委員会の発足のタイミングで付録もネットにアップされたものと推測されます。

 

以上のことから付録は遅くとも2009年にはネットで公開されており、「付録は2013年に公開されて、それまでは隠蔽されていた」は明らかに誤りと考えます。

青山さんの質問に対する運輸安全委員会の回答「『別冊』として付録類がホームページにアップされたのは二○十三年二月」が間違っていたのか、青山さんの何らかの勘違いなのかはわかりません。

ただ、この「付録は2013年に公開された」は青山さん達が起こした裁判の資料にも記載されており(「JAL裁判」より)、主張の根拠にこんな簡単に確認できる間違いがあっては、他の資料の信用性も著しく低下してしまうのは否めません。

 

とは言うものの、これ結果からすると「『異常外力着力点』の記載が隠蔽されていたのは2013年までではなく2009年までだっただけで、隠蔽そのものはあった」となるかもしれません。

本当に『異常外力着力点』の記載は隠蔽されていたのか。報告書と付録について、もう少し掘り下げてみます。

 


報告書と付録はどのように公開されたのか。

ネットで報告書が公開されたのは遅くとも2000年で、付録については遅くとも2009年。でも元々はネットなんて無かった時代に紙媒体で作成されて頒布されてます。それが事故の2年後である1987年の6月19日です。その翌日の6月20日、新聞各紙は報告書の話題で持ちきりでした。

一面トップは当たり前。数ページに渡って報告書の内容についての詳細や解説を記載し、専門家のコメントなども多数掲載。このことからも報告書がメディアや関係者など多方面に頒布されたことがわかります。

 

そして各新聞の記事には、付録の存在も記載されてました

  • 日本経済新聞
    「報告書は本文(三百四十三ページ)と試験研究結果を盛った付録(二百十三ページ)の二分冊。」
  • 読売新聞
    「こうしてまとめられた報告書は実験データなどを主とした付録と合わせて二冊で合計五百五十六ページ。」

このページ数は現在ネットで公開されている報告書と付録と完全に合致します。1987年時点で報告書と付録がセットで公開されたことは疑いようがございません。

それに報告書には付録を参照している記述があり、そもそも報告書そのものにも『異常外力』に関する記載がございます。このことから報告書と付録は2冊で1つの“報告書”であること、および『異常外力』を隠蔽する意図は全くないことがわかります。

 

1987年に作成された報告書と付録は、現在でも千代田区にある防災専門図書館へ行けば閲覧可能です。
https://city-net.or.jp/products/library/

そこで足を運んで実際に実物を確認してまいりました。

紙媒体の報告書および付録には『異常外力着力点』について、記載がありました。現在公開されているPDFの記載そのままです。報告書と付録共に、頒布された3日後の1987年(昭和62年)6月23日に受贈された印も確認できました。

こちらに所蔵されている報告書と付録も含め、多方面に頒布された報告書と付録に関して「『異常外力着力点』を記載しないバージョンの冊子を頒布して、その後こっそり全ての冊子を『異常外力着力点』の記載があるバージョンにすり替えた」なんてことはありえないので、間違いなく報告書と付録には最初から『異常外力着力点』が記載されていたと言えます。

 

以上を踏まえ、「異常外力の着力点」の情報公開に関する私の見解は以下となります。

  • 『異常外力着力点』は1987年の報告書作成時点から、報告書および付録に記載されていて、報告書と付録は同時に多方面に頒布された。
  • ネットで付録が公開されたのは2013年ではなく、遅くとも2009年。
  • 紙媒体とウェブ公開版PDFに差異(改竄)は無い。
  • 付録および『異常外力着力点』の記載について、隠蔽は行われていない。

付録のネットでの公開は報告書より遅かったけど、『異常外力着力点』を隠そうとはされていません。後になってから『異常外力着力点』に関する記述に気付いた、と言うのは単に見落とされていただけかと思われます。

 

4、『異常外力着力点』とは?

 

では付録のP.116の図に記載された『異常外力の着力点』とはそもそも何だったのか。

 

自衛隊の演習用ミサイル、もしくは訓練用の無人標的機が123便に衝突した箇所であると主張されていますが、前述の通り『異常外力着力点』の記載は全く隠されておりません。本当にそんな意味なのでしょうか。

 

結論から申し上げるとそんな意味はございません

 

青山さんは著書の中で以下のように述べてます。

(「圧力隔壁説をくつがえす」P.73)

異常―正常のフライトでは考えられない突発的異常事態の力
外力―外部から加わる力。外部とは大気。つまり空を飛行中に加わった力
着力―その場所にやってきて着いた力、その着地点

 

これは「123便に何らかの飛翔体が衝突してきた」ということを前提とした、強引な解釈のように感じます。

なぜなら「外力」や「着力点」に上記のような意味はなく、これらは物理学・力学の用語だからです。

 

この辺についてザックリとご説明します。

私が高校時代に使っていた物理の教科書には以下の記載がございました。

(新興出版社啓林館「高等学校物理」)

物体のグループ(物体系)の中で、互いに及ぼしあっている力を内力といい、物体系の外の物体から及ぼされる力を外力という。

 

「外の物体から及ぼされる力……これこそ外部(大気)から加わった力なのでは!?」 と思うのは早計です。 “物体系の外の物体から” とありますよね。この物体系(または系)とは 複数の物体を1つのグループ としてみなす考え方です。

 

例えば机に箱が置いてあり、箱の上にボールが乗っているとします。

 

この時、ボールは重力によって箱を押してます。

※実際には同じ大きさで箱がボールを押し返す力もあるのですが、説明を簡略化するためにボールが箱を押す力のみを記載してます。

 

この力が働いてる箇所が「着力点」です。一般的には「作用点」の名前の方が知られているかと思います。

 

この「ボールが箱を押している力」について考えます。

 

【机・箱・ボール】を1つのグループ(物体系)とみなすと、「ボールが箱を押す力」はグループの中にいるボールから働く力で、これは「内力」となります。

 

【机・箱】を1つのグループとみなすと、「ボールが箱を押す力」はグループの外にいるボールから働く力なので「外力」となります。

 

これが「外力」「着力点」です。

 

では報告書と付録の記載を改めて確認します。

報告書によると、異常が発生したタイミングで前方への加速度について、約0.047Gの増加が計測されたとのこと。その時、前向きの外力が発生したと推測されました。

(報告書 P.77)

当時の重量を考慮すると、約11トンの前向き外力が作用したものと推定され、胴体後端部の破壊がこの時刻付近で生じたものと推定される。

※力の単位は「トン重」なので、正確に言えば「約11トン重の前向き外力」。

 

そしてこの前向きの外力は、胴体後端の分離によって発生したものとされてます。

(報告書 P.95)

18時24分35.70秒において、その前後に比べて約0.047Gの突出が記録されている。機体重量約520キロ・ポンドを用いれば、約24キロ・ポンド(約11トン)の前向き外力が作用したことになる。
BS2658における胴体断面積を5,800平方インチとすれば、約4.2psiの圧力差がBS2658以後の胴体部分を分離させ、前向き外力を発生させたと考えられる。

※「BS2658」はAPU防火壁の取付部の座標で、要するにここから後ろが分離したということ。

 

つまり以下のように推定されたワケです。

  • 胴体後端部(斜線部分)が破壊されて分離した。
  • それにより、残った機体の大部分に対して、前向きに約11トン重の外力が発生した。

 

「胴体後端の分離によって、前向きの外力が発生した」というのは、自転車の二人乗りをイメージするとわかりやすいかと思います。

二人乗りをしている状態から後ろの人間が後方に飛び降りると、自転車は一瞬加速しますよね。それと同じ現象が123便にも起こった、と事故調査委員会は推定したわけです。

 

この推定の解析を報告書P.79で行っています。「胴体後端部以外の機体」を1つのグループ(物理系)とみなし、斜線部分の胴体後端部が分離したことにより前方向に約11トン重の外力が発生したとして、その外力が発生した箇所(作用点=着力点)を垂直尾翼の中心に設定している図が、付録P.116の図です。

 

『異常外力着力点』の字面にとらわれて「着力点!? これは着弾点に違いない!」となってしまうと、報告書と付録の記載を読み解くことは出来ません。

また、「着力点=着弾点」派の方々は「異常外力の着力が事故原因であるとの検証は全くなされていません(「JAL裁判」P.33)」と主張なされてます。しかし、上記の通り「着力点」に関する記載は、外力が発生したことの検証のために設定されたものなので、「検証されてない」の主張には違和感がございます。

 

『着力点』という言葉がよくなかったのでしょう。作用点よりも聞き慣れない単語で、かつ「いかにも何かが着弾したかのような語感」ですので。

報告書は『異常外力の着力点』ではなく『異常外力の作用点』としておけばよかったのに、と思わずにはいられません。

 


長くなりましたが、以上が私の見解です。要約すると以下となります。

  • 『異常外力着力点』は飛翔体が着弾した箇所ではなく、検証に使用している単なる物理学・力学の用語。
     
  • 『異常外力着力点』の記載は全く隠蔽されていない。
    (検証時の図や用語なのだから、当然と言えば当然)

 


123便事故の真実を求めるのであれば『異常外力着力点=飛翔体の着弾点』にこだわることは全くの無意味かと存じます。