日本航空123便墜落事故について 【慰霊登山④】 | ザキリューのブログ

ザキリューのブログ

ブログの説明を入力します。

慰霊登山の続きとなります。

■みかえり峠に立ち寄る

登山道口から少し下ったところに、ちょっとわかりづらいですが旧登山道から続く細い脇道に「みかえり峠」の石碑とお地蔵様がございました。ここは旧登山道が使用されていた頃、下山されるご遺族の方々が最後に振り返って御巣鷹の尾根を拝むことになった場所だったとのこと。身につまされるような名前です。

 

今は樹木が大きくなったためかこの場所から御巣鷹の尾根を望むことは出来ず、旧登山道は閉鎖されておりますので、石碑とお地蔵様のある場所のみ足を踏み入れられるようです。

 


■慰霊の園へ

車で来た道を戻っていると全部で10台程度の車とすれ違いました。その時は皆さん慰霊登山をされる方々かと思いましたが、ちょうどこの日に有志の警察官の方々による登山道の整備が行われたそうで、作業は午前中から行われたようでしたから、もしかしたらすれ違った中にはこの方々もいらっしゃったかもしれません。結果論になりますが、作業の邪魔になるわけにはいきませんので慰霊登山を早めの時間にしたのは正解でした。

そのまま上野村の中心地まで戻り「慰霊の園」へ。

 

この慰霊の園は御巣鷹の尾根にある「昇魂之碑」と同日の1986年8月1日に完成した追悼施設であり、慰霊塔や身元不明の遺骨が納められた納骨堂、そして遺品や事故の写真が展示されている展示棟があります。こちらを運営をされている財団法人は御巣鷹の尾根の管理も行われているようです。

 

慰霊塔は合掌された手のイメージで、その手は事故現場に向けられておりますが、10km先にある御巣鷹の尾根は間に山々を挟んでいることもあって直接見えるわけではございません。でも慰霊塔に手を合わせることで、私達も改めて御巣鷹の尾根に手を合わせられることになるわけですね。


慰霊塔でロウソクに火を灯してから展示棟へ。当時の新聞や写真、身元の分からない遺品などが展示されておりました。資料としては羽田にある安全啓発センターの方が揃っておりますが、映像室で観ることが出来る事故当時を振り返る村民の方々のインタビューは非常に興味深い内容で、上野村だからこその展示かと思います。


上野村の消防団や婦人会の方々の献身的なご協力があったからこそ、事故への対応が可能になったことがよくわかりました。そもそもこの慰霊の園も上野村の村民の皆さんが供出してくださった土地に建設されたものです。当時の黒澤丈夫村長が「人としての道」と仰っていたのはこう言ったことなのだと思います。

■慰霊登山を終えて

御巣鷹の尾根にて初めての慰霊登山を終えました。今まで知識としては知っていた日本航空123便墜落事故について、実際の現場を訪れたことで520人が犠牲となった未曾有の大惨事の恐ろしさを感じることが出来たように思います。


決して観光気分で訪れていい場所ではありませんが、事故を風化させないためにも事故当時を知らない若い方も含めて、多くの方々に慰霊登山を経験して頂きたいという思いから、今回このような文章を書かせて頂きました。

次回から事故原因などについて自分の考えを記したいと思います。
(いつになるかわかりませんが)