日本航空123便墜落事故について 【慰霊登山③】 | ザキリューのブログ

ザキリューのブログ

ブログの説明を入力します。

慰霊登山の続きとなります。

■「X岩」~「スゲノ沢」

更に登山道を進んだ先にあるのは救援・捜査活動に従事した群馬県警の活動拠点となった地である「X岩」と呼ばれるポイントです。関係書籍から活動の壮絶さが感じられました。

 

X岩の比較的近くに123便の機長・高濱さん、副操縦士・佐々木さん、航空機関士・福田さんの墓標がございました。操縦がままならない123便を立て直そうと墜落の直前まで力の限りを尽くされていた様子が伝わってくるボイスレコーダーの声は、聞いているだけで胸が締め付けられます。3人には民間航空に関して英雄的行為を表彰する賞の最高位に位置するポラリス賞が贈られています。
ボイスレコーダーに残された高濱さんの「どーんといこうや」という言葉が“軽口”と批判されたことがあったそうですが、これは悪質ともいえる切り取りで、高濱さんのは混乱と緊張に包まれた副操縦士の佐々木さんを鼓舞されていました。あの極限状態で他の人を励ます言葉を発せられる高濱さん。本当に強く、素晴らしい方だと思います。

視界が開けた登山道を振り返ると広大な山稜が目に入り、そこに見える凹みは「U字溝」と呼ばれるものです。

123便が墜落時した時に機体がぶつかり、地面をえぐって樹木を倒壊させた跡になります。123便はU字溝の更に奥の方に微かに見える「一本カラ松」に接触した衝撃で第4エンジンを脱落し、更に右主翼の先端がU字溝に接触したことで第1・第2・第3エンジンや水平尾翼などを脱落して機体を大きく破損させ、その勢いのままに自分が立っている場に墜落したのです。38年が経とうとしている今もなお残る傷痕に事故の凄まじさを感じました。

 

そして事故の傷痕としてもう一つ目を引くのは、焼け焦げた樹木です。登山道のあちこちで見られる、123便の墜落によって発生した炎に焼かれた樹木。無残に折れて、黒く焦げた数々の樹木の生々しさが今もなお事故の恐ろしさを伝えてきます。

 
 

スゲノ沢付近に到達。写真だとわかりづらいですが、美しい涼やかな沢です。

 

ここも多くの方々が命を落とした場所でした。墜落の衝撃で機体前部と客室後部が分離し、客室後部が斜面を滑落した先がこのスゲノ沢となります。機体前部と違って火災は発生せず、滑落した斜面に植えられたカラ松が多少なりとも緩衝材となったのか、生存者の4名は全て客室後部の乗客でした。
登山道には色鮮やかな風車が並んでおり、ちょうど自分が伺った数日前にも飾り付けが行われていたようです。真新しい風車がカラカラと軽い音をたてながら回っておりました。


登山道口に戻ってくるとカウンターの数字は増えておりませんでしたので、尾根にはずっと自分一人だったようです。時刻は8:30。2時間10分ほどかかった計算です。一般的な所要時間は歩くだけであれば1時間半程度のようですが、可能な限り墓標に手を合わさせていただきましたので、このくらいの時間を要することになりました。
墓標には事故当時の年齢が書かれているものも多く、犠牲となった方々には今の自分よりも若い方々や小さな子供達も多かったことがわかりました。子供だけで飛行機に乗る「ちびっこVIP」という企画が当時のJALにはあったらしく、夏休み中であったことと併せて乗客に子供が多かった理由なのでしょう。


あえて申し上げるようなことはではございませんが、登山の途中で多くの墓標に手を合わせながらどうしても涙を抑えることが出来ませんでした。だからと言って亡くなられた方々やご遺族の方々のお気持ちがわかるなどとはとても申し上げられませんが、この地に眠る方々のご冥福と空の安全を祈らせて頂けてよかったと、そう思いました。

※登山道に熊よけの鐘が設置されていることからもわかるように、山には熊や鹿などの野生動物が住んでおります。今回は鹿の足跡があったくらいで実際に遭遇することなく慰霊登山を終えましたが、季節によってはスズメバチなどもいるようです。訪れる方は十分お気を付けください。実は早朝に1人で登山することを考慮して熊よけの鈴を持参していたんですけど、事故に遭われた方々が静かに眠る山をチリンチリンと鈴を鳴らしながら歩くのも気が引けてしまい、結局はあまり使いませんでした。

 
続きます。