2023年5月13日(土)舞台「ロミオ&ジュリエット」(東京公演) | zaka1973の観劇ブログ

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趣味⇒鉄道、路線バス、プラネタリウム、廃墟、観劇(とくにミュージカル レ・ミゼラブルが好き)、さだまさし(最近は、団地、鉄塔、ダム、画廊巡り が追加) 
そのなかで、こちらは観劇の感想を中心としたブログとしています。

今回の劇を語る前に、まず「MONA」の説明をしないといけない。
MONA( https://mona.style/pc/ )は大阪や名古屋を中心に配布されているファッションテイクフリー雑誌であり、その雑誌に載っているモデルさんを、MONAモデルと呼ぶ。
MONAモデルさんは当然MONAに所属している。
そのMONAモデルさんの中でも、モデルのほかにアーティストとして、そして、演劇の役者として活躍をする人も居る。今回の観劇は、MONAモデルさんが演者で公演を行う劇である。
ちなみに、私がMONAと知合ったのは、ネット配信ツール、SHOWROOMで、MONAに所属しているモデルさんが配信して居てそれを見るようになってからである。



2023年5月13日(土)
3月・4月とすごく忙しい日々を送っていて、それを取り返すようにこの日は動いていた。
朝10時から「すずめの戸締まり~終演記念~」を映画館で見て、

 

 

そのあと銀座の奥野ビルで画廊めぐり。

 

 

 

そして、池袋に着き、ふと目に入った写真展を見学して、今回の目的地、池袋「BIG TREE THEATER」に開場の10分前に着く。

 


知って居る劇場なら、開演45分前に行くのが通例なのだが、初めての劇場、そして、今回は、先ほどの説明通りで、客層も普段とは違う、なので、いつもより早めの行動を行っていた。


開場して、リーフレット、MONA11号などをもらい、劇場内に入る。劇場、小劇場としては大きめの劇場であるが、座席サイズとかを見ると、やはり小劇場の部類になるのかもしれない。どの付近の座席にするか悩んでいたら、ふと、上手中段当たりに、柱の関係で、1席だけの部分があった。座ってみても影になる部分はほとんど無く、横は壁で寄りかかれるし、通路も隣、気兼ねなく見ることができる環境でなので、この席に決めて観劇をすることにする。


元々前の方より、舞台全体と、お客さんの雰囲気もなんとなくわかる、中列付近が心地いいの性格なので・・・・

 




今回見た観劇は
劇団MONA公演
原作:シェイクスピア
脚本:ケバブ大吾
監督:RYO
舞台「ロミオ&ジュリエット」(東京公演)
2023年5月13日(土)18時開演Aチーム ソワレ(夜公演) 

https://mona.style/actor/romeo_juliet//

 

 

 



大阪で活動が多い、劇団MONA、数回大阪まで見に行くことも考えたが、残念ながら、流行病の影響などで、延期などがあり、行けずじまいになっていた劇だけに、楽しみである

開演20分ぐらい前から、出演する演者から4名前説として登場する。
今回の劇は、前説、休憩中、公演後の舞台挨拶の撮影は可能とのこと、当然劇中での撮影は禁止である。

 


前説が終ると、いよいよ開演である。劇が始まると、なんだろう、普段と見る劇と違う。何というか、うまく言えないけれど、舞台上の空気感が普段と違うのである、これは決して悪い意味では無く、何かが違う。瞬時に普段と違う部分は、声の出し方が普段見に行く劇と違う感じがするのだが、演者さんの中には、学生時代から演劇経験者の方も居て、その人の声は、演劇の声の出し方だから、それが混ざったぐらいでは、空気感が違うわけでな無いが、5ヶ月ぶりの観劇のためか、劇場に来るまでにいろいろな心境をめまぐるしく変えていたので、演劇のモードになっていないのか、それはわからないが、先ず感じたのはそこであった。

ストーリーは、シェイクスピアのロミオとジュリエットに基本あわせてあるが、世界は2320年の未来の世界。AIと人間が戦争を起こして、50年後の話で、モダンキュー国(人間ロミオ側)とキャピュレット国(AIジュミレット側)は戦後、仲が悪い状態が続いていた。
ところがあるとき、キャピュレット国でのパーティでモダンキュー国の人間も呼ばれ、そこでロミオとジュリエットが出会う。
未来的空間だが、舞台セットや、雰囲気は中世に近い雰囲気でこれはこれで面白い。だが、始まっている時からの感覚がそれでも無い、では何の空気感が違うのかがわからず、それを引きずりながら、見て居ました。

この劇の演者さんは、モデルや本職をこなしながら劇をやっている人も居る、だから、劇を見るまでは、どこまで演技が出来きるのか?と言う気持ちがあったのも事実。だが、演技は普通であった。
いろいろな劇を見ていると、帝国劇場から、学生が作った劇まで見ている、だから、演技の評価というのは同じ定規で定めるものでは無いとは思っている。だから、先ほど普通とは書いたが、それは人それぞれの感じ方で、曖昧ではあるが、言いたいことは、演技の良し悪しでの空気感ではないと言うことだ。
敵対国を題材にすれば、争い毎も起きる。なので、殺陣の演技も出てくる、動きは迫力があり、いろいろな工夫もみえて、面白い。

さて、前半と後半の間には、15分の休憩があった。そのとき普段はトイレなどに行くのだが、これも初めての経験で、舞台に上がって、セットなどを撮影が許されたのである。先ず舞台上で舞台セットを撮影して良いというのは、初めての経験である。箱の関係で、(物販が舞台上になるのは、何回も経験しているが)
このサービスは、主催者側さんが、どこまでお客さんを信頼してくれているかの表れかもしれない。舞台セットは、劇の命的な部分でもあるわけだから。

 

 



後半は、流れが変る。前半は笑える部分も多かったが、後半は両国の関係は悪くなり、戦いのシーンも増えてくる。
後半の真ん中付近までは、実はそこまで感情移入しないで、普通に見る事が出来ていた。それはたぶん、シェイクスピアのロミオとジュリエットの物語はおおかた知っていから、視野を広く、落着いて見られたのかもしれない。
 だが、国外追放となっていたロミオと別の人と結婚を強制的にさせられるジュリエット・二人を幸せにさせるためにローレンス博士が考える付近から、気がつくと舞台にのめり込んでいた。
ロミオとロミオの父との対立しながらも、ロミオを最後まで応援して居た父の心。
二人をなんとか幸せにしようとするローレンス博士
策士で、キャピュレット国の国王を狙おうとして居たのに、最後は、ジュリエットのために動くAIの執事。
その矛盾と切なさが、すごく伝わってきて、自然と涙が出てくる。

 そして、いよいよクライマックス。 ジュリエットが死んだと勘違いしたロミオ、原作では、ジュリエットを見て自殺したロミオ、そのロミオを見たジュリエットが自殺する流れだった気がしたが、この劇の演出では、ロミオが毒を飲んだところで、ジュリエットが目覚める(AIなので、休止タイマーが切れる)。で、ロミオとジュリエットは最後に話をして、ロミオが亡くなり、そのあとジュリエットがあとを追う演出は、個人的にはよかったと思いました。

二人が亡くなり、最後は、もう争ってどうする、これからは両国はお互い良い方向にしようと最後は、モダンキュー国とキャピュレット国の国王が、手をつなぐ瞬間、一気に震えが来たのと。
前半、感情移入出来ていなかった部分がすべて思いかいされ、それが一斉に流れて、この劇が伝えたいこと、冷静に見て居た部分の感動がすべて目の前に映る感覚、すべての感情が一瞬に心に突き刺さる。こんな不思議な経験は初めてである。

そして、カーテンコールの部分になると、もう普段見る劇場での劇の空気感になっているから驚きである。では最初に感じていた、今までに無い空気感は何だったのだろう。帰宅中に冷静に考えてみてあることに気がついたことがあった。
この演者さんは、モデルをしながら役者もやる。ランウェイを歩く舞台、演技をする舞台、それぞれ違う部分はあるが、舞台上で表現するのは一緒だが、そのときに出すオーラは当然変ってくる。前半部分の空気感が普通の劇と違う感覚だったのは、たぶん、演者さんも気がついていない、モデルとしてのオーラと役者としてのオーラが混ざり合っている空間だから、普段と違う感覚だったのだと、自分で勝手に納得をしました。

カーテンコールののあと、Aチームは千穐楽と言うこともあり、演者さんの挨拶も涙がみられる。ただ、挨拶時も撮影がOKだったので、シャッター音が気になる点は、ちょっとだけ残念な気がしました。このサービスは悪くは無いのだが、シャッター音で挨拶がかき消される部分も多少あったので、カーテンコールの撮影は、NGにして、その代わり、挨拶のあとに1分ぐらいの撮影時間をつくって、そのあと礼をしてはける感じでも良いのかなぁ?と個人的に感じました。

 

 

 



全体的な総称としては、素晴らしい劇で、演者さんが伝えたいことも伝わってくる素敵な劇でした。ただ、今まで感じたことが無い劇でもあり、それに戸惑いながらもみるのも楽しい劇でした。

言い忘れていたが、後ろに教会の窓が現れるのだが、シーンによって、あかりの強弱をつけて、その窓がぼやけて見えたり、くっきり見えたりするのはよかったと思います。

21時すぎに劇場をあとにして、土休日ダイヤだったので、最終バスを気にしながらも、余韻にしたりながら、帰宅しました。

(余韻に浸りたいので、奮発して特急で帰りました。)

 


やはり、演劇はいいねぇ。


演者の皆様、スタッフの皆様。素敵な劇をありがとうございました。

(観劇の感想、感じ方には、個人差があります)