カーマルーパ~マハーラッタ | 『パーシュパタスートラ(獣主派経典)』を読む
東インド(プラーチナ)
 
 
【迦摩縷波(カーマルーパ)】(大×小×灰×外○)Ⅲp211
 
仏法を信じず、これまで伽藍が建ったことはない。天祠は数百、異道の人々は数万人。王は婆羅門種。字はバースカラヴァルマン(婆塞羯羅伐摩)という。クマーラ(拘摩羅)と号す。玄奘が招請されて会見した。
 
 
【サマタタ(三摩呾吒)】(大×小○灰×外○)Ⅲp217
 
伽藍は三十余ヶ所。僧徒は二千余人。みな上座部を学んでいる。天祠は百ヶ所。露形・ニルグランの仲間が多い。城の近くにアショーカのストゥーパがある。四仏の遺跡もある。近くの伽藍には青玉の仏像がある。
 
この国から東方には、シリークシャトラ(室利差タン羅、現在のミャンマー)、東南の大海の際涯にはカーマランカ(迦摩浪迦)がある。その東にドヴァーラパティ(堕羅鉢底、現在のタイ)、その東にイーシャーナプラ(伊賞那補羅、現在のカンボジア)、その東にマハーチャンパー(摩訶贍波)がある。西南にはヤマナ(閻摩那洲)がある。
 
 
【タームラリプティー(躭摩栗底)】(大?小?灰×外○)Ⅲp220
 
伽藍は十余ヶ所、僧徒は千余人。天祠は五十余ヶ所。異道の人々が雑居している。城の側のストゥーパがアショーカが建てた。過去四仏の遺跡がある。現在のフーグリー川の河口のタムルーク
 
 
【カルナスヴァルナ(羯羅拏蘇伐刺那)】(大×小○灰×外○)Ⅲp222
 
伽藍は十余ヶ所、僧徒は二千余人。小乗の正量部の教えを学習している。別に三伽藍があり、デーヴァダッタの教えを学び、乳酪を口にしない。天祠は五十余ヶ所。異道の人々は非常に多い。現在のラーンガーマーティー。大城の側にラクタマッティー(絡多末知)僧伽藍がある。側にストゥーパがある。アショーカの建てたものである。如来が七日間説法したところである。過去四仏の遺跡がある。
 
 
【ウドラ(烏荼)】(大○小×灰×外○)Ⅲp226
 
多くの者は仏法を信じている。伽藍は百余ヶ所、僧徒は一万余人。◎みな大乗の教えを学習している。天祠は五十ヶ所。異道の人々が雑居している。ストゥーパは十余ヶ所。どれも如来が説法されたところでアショーカが建てた。ウドラ=アウディシャー。国の西南境に大きな山の中にプシパギリ(波祇釐)僧伽藍がある。そこにストゥーパがある。この僧伽藍は現在のブヴァネーシュワルのカマダギリに比定される。またこの西北に山(ウダヤギリ)の伽藍の中にもストゥーパがある。ここの二つのストゥーパは、鬼神が建てたもので霊験奇跡が多い。国の東南の大きな海岸に臨んで、チャリトラ(折利呾羅)城がある。五つの伽藍がある。

(アウディシャーの海  筆者撮影)
  
 
【コーンゴーダ(恭御陀)】(大×小×灰×外○)Ⅲp230
 
仏法は信じられていない。天祠は百余ヶ所。異道の人々は一万余人。今のガンジャーム県に比定される。チリカ湖がある。この国の南にパラシュラーマの住むと言われるマヘーンドラギリ山がある。
 

(マヘードラギリ山の西側のグヌプルにて  筆者撮影)
 
 
南インド(ダクシナー)
 
 
 
【カリンガ(羯稜伽)】(大△小△灰×外○)Ⅲp232
 
 
仏法を信じるものは少ない。伽藍は十余ヶ所、僧徒は五百余人。◎大乗上座部を学ぶ。天祠は百余ヶ所。多くのものは、ニルグランタである。現在のアーンドラ・プラーデシュ州のカリンガパトナムに比定される。城の南にアショーカの建てたストゥーパがある。
 
 
【コーサラ(憍薩羅)】(大○小×灰×外○)Ⅲp235
 
南コーサラ国。王はクシャトリアである。伽藍は百余ヶ所。僧徒は一万足らず、みな大乗の教えを学ぶ。天祠は七十余ヶ所。城の南に古い伽藍がある。側にアショーカのストゥーパがある。如来が外道を説伏させたところである。後にナーガールジュナ(竜猛)菩薩が止住したところである。当時の王サータヴァーハナ(婆多婆訶)王が菩薩を尊崇して廬の門を警護させていた。アーリヤデーヴァ(提婆)菩薩がその頃、シンガラ国よりやって来て、ナーガールジュナに師事した。ナーガールジュナは薬学に詳しく、その年寿は数百であったが、王子に乞われて、その首を献じた。国の西南へ三百余里でブラーマラギリ(跋邏末羅耆釐)がある。王はナーガールジュナの為に、ここに伽藍を建立した。閣は五層で各層に四院がある。第一層は仏像と諸経論、最下の第五層は在俗の浄人や資産、汁物を入れた。
 
 
【アンドラ(案達羅)】(大?小?灰×外○)Ⅲp249
 
伽藍は二十余ヶ所、僧徒は三千余人。天祠は三十余ヶ所、異道の人々は非常に多い。城はヴェーンギー(瓶耆羅)と号する。その側に大きな伽藍がある。彫刻の妙を極め、前に石のストゥーパがある。共にアーチャラ(阿折羅)阿羅漢が建てたものである。その近くにアショーカのストゥーパがある。そこから二十余里で離れ山がある。石のストゥーパがあり、ここでディグナーガ(陳那)菩薩がここで因明論を書いた。無学の聖果(阿羅漢果)を得ようとしている時に文殊菩薩はディグナーガの気持ちを知り、弥勒菩薩の説いた『ヨーガーチャーラ・ブーミ(喩伽師地論)』を世に弘めるよう説き、それ以後、ディグナーガはそれを大いに弘めた。
 
 
【ダーニヤカタカ(駄那羯磔迦)】(大○小○灰×外○)Ⅲp254
 
伽藍は二十余ヶ所、僧徒は千余人。多くのものは大衆部である。天祠は百余ヶ所、異道の人々は非常に多い。城の東には山に拠ってプールヴァシャイラ(弗婆勢羅)僧伽藍がある。城の西の山に拠り、アヴァラシャイラ(阿伐羅勢羅)僧伽藍がある。仏の入滅より千年の間は、凡夫僧(大衆部)が安居に入り、羅漢果を證した。千年の後は、凡僧と上座部の聖僧が同居してた。この百年は荒れ果ててしまっている。城の南にバーヴィヴェーカ(婆毗吠迦、清辯)論師が、アスラ宮(洞窟)で弥勒菩薩の成仏を待ち望んでいる所がある。外見はサーンキヤ派の法服をまとっていたが、内心ではナーガールジュナの学問を受けて弘めていた。彼が入窟するに至るダルマパーラやダーラニーを唱えるように言われた観自在菩薩、執金剛神との密教的な逸話が述べられている。
 
 
【チョーダ(珠利耶)】(大?小?灰×外○)Ⅲp262
 
伽藍は損壊しているが、やや僧徒がいる。天祠は数十ヶ所。多くは露形外道である。城の東南にアショーカのストゥーパがある。城の西に古い伽藍がある。アーリヤデーヴァとウッタラ(呾羅)阿羅漢が論議された所である。
 
 
【ドラヴィダ(達羅毗荼)】(大×小○灰×外○)Ⅲp265
 
伽藍は百余ヶ所、僧徒は一万余人。みな上座部の教えを学ぶ。天祠は八十余ヶ所、露形外道が多い。カーンチープラ(建志補羅)城はダラマパーラ菩薩の生まれた所である。彼はこの国の大臣の息子であった。城の南に大きな伽藍があり、アショーカのストゥーパがある。過去四仏の遺跡がある。

(筆者撮影)
 
 
【マライコッタ(秣羅矩吒)】(大小灰外)Ⅲp269
 
伽藍は今に残るものは少なく、僧徒は僅かである。天祠は数百、露形に属する人が多い。城の東に伽藍がある。アショーカの弟が建てたものである。その東のストゥーパはアショーカの建てたものである。南方、海に面してマラヤ(秣刺耶)山がある。この山の中に白檀香樹や栴檀ネイ婆樹がある。その東にポータラカ(布呾落迦)山がある。観自在菩薩が泊まられた所である。
 
 
【シンガラ(僧迦羅)】(大○小○灰×外×)Ⅲp276
 
ジャータカ物語の雲生本生譚の舞台である。アショーカ王の弟マヘーンドラ(摩醯因陀羅)が仏教を弘めた。伽藍は数百ヶ所で、僧徒は二万余人。大乗及び上座の教えを学んでいる。仏教伝来二百年で大乗を排斥したマハーヴィハーラ(摩訶毗訶羅)住部と大乗と小乗兼学のアバヤギリ(阿伐耶祇釐)住部に分かれる。王宮の側に仏牙精舎がある。側に小さな精舎があり、金の仏像がある。王宮の近くに大きな調理場があり、日ごとに一万八千僧の食事を給している。国の東南端にランカー()山がある。海の彼方のナーリケーラ洲た離れ島の石仏の伝聞の記載あり。

【コーンカナプラ(恭建那補羅)】(大○小○灰×外○)Ⅲp297
 
 
伽藍は百余ヶ所、僧徒は一万余人、大小二乗を兼学。天祠は数百ヶ所、異道の人々が雑居している。コーンカン地方である。王宮の側に大伽藍がある。僧徒は三百余人、中に一切義成太子の宝冠がある。城側の大伽藍の中の精舎にはマイトレーヤ菩薩の像がある。聞二百億羅漢が造ったものである。城の北にターラ(多羅)樹の林がある。ストゥーパがあり、過去四仏の遺跡がある。城の東に仏の舎利をおさめた崩れかけたストゥーパがある。城の西にアショーカのストゥーパがある。傍らに伽藍の基礎が残っている、聞二百億羅漢が建てたものである。
 
 
【マハラッタ(摩訶剌佗)】(大○小○灰×外○)Ⅲp
 
王はクシャトリアの出で、名前はプラケーシン(補羅稽舎)。伽藍は百余ヶ所、僧徒は五千余人。大小二乗を兼学。天祠は百数ヶ所、異道の人々は甚だ多い。大城の内外に五つのストゥーパがあり、アショーカの建てたものである。城の南に古い伽藍がある。中に観自在菩薩の石像がある。国の東境に大きな山かあり、深い谷に基礎を置く伽藍がある。※アジャンター石窟寺院である。西インドの人であるアーチャーラ阿羅漢の建てたものである。ここは昔、ディグナーガ菩薩がしばしば止まったところである。