マガダ~プンナヴァッダナ | 『パーシュパタスートラ(獣主派経典)』を読む
【マガダ(摩掲陀)】(大○小○灰×外○)Ⅲp19
 
 
伽藍は五十余ヶ所。僧徒は万余人。多くは大乗である。天祠は数十で、異道の人は非常に多い。旧名はクスマプラ(拘蘇摩補羅)、パータリプトラ(波釐子)を名を改めた。

(パトナのガンガー  筆者撮影)

故王宮の北に石柱がある。アショーカが冥土になぞらえて地獄を作ったところである。その南にアショーカのストゥーパがある。近くに精舎があり、仏足跡が残る。近くに過去四仏を記念したストゥーパがある。近くにアショーカの大石柱がある。故宮の北にアショーカの弟のマヘーンドラ(摩因陀羅)の為に建てた石室がある。故宮の北、地獄の南に大きな石の桶があるアショーカが鬼神に作らせたもので、僧に食を給する時に使われている。西南には小さな石山があり、数十の石室がある。アショーカが付法蔵の第四世ないし第五世のウパグプタ(近護)などの阿羅漢の為に鬼神を使役して作らせたものである。山の西南には、八万二千のストゥーパをアショーガが作った時に、残った舎利を納めた五つのストゥーパがある。故城の東南にクルクタ・アーラーマ(鷄園)僧伽藍の跡がある。その側にアーマラカ(阿摩落迦)という名のストゥーパがある。最晩年のアショーカが半分のアーマラカの果実の半分を施したのを記念したストゥーパである。その西北のアーリヤデーヴァ(提婆)が外道を論破して、ガンター(建稚)を打たせるようにしたのを記念したストゥーパがある。その近くに脇尊者の弟子のアシュヴァゴーシャ(阿湿婆沙、馬鳴)が鬼弁婆羅門を論破した旧跡である。城の西南二百余里に伽藍跡と、ストゥーパと過去四仏の遺跡がある。そこより西南百余里でテーラーダカ(鞮羅択迦)伽藍がある。ビンビサーラ(頻毘娑羅)王の末孫が建てたものである。僧徒は千人、大乗を学習している。三つの精舎がある。仏の立像は高さ三丈、左はターラー(多羅)菩薩、右は観自在菩薩である。そこより西南九十余里にストゥーパがある。如来が瞑想した所である。その山の東にストゥーパがある。如来がマガダ国を眺めたところである。その西北三十余里に伽藍がある。唯識十大論師のグナマティ(瞿那末底、徳慧)がサーンキヤのマーダヴァ(摩沓婆)を論破した場所である。グナマティの伽藍より西南へ二十余里に山があり、サマタタ国(現バーングラーデーシュ)の王族で、ダルマグプタの弟子であるシーラバドラ(尸羅跋陀羅)が外道を論破して与えられた村を喜捨して建てた寺がある。そこから西南四、五十里、ガヤー(伽耶)城がある。

ガヤー  筆者撮影)

その六里のところにガヤー山があり、頂上にアショーカのストゥーパがある。如来がここで『宝雲経』を説いた。その東南にストゥーパがある。カーシャパの生まれた村である。そこから東に行き、ニーラージャナー(尼連禅)川を渡り、プラーグボーディ(鉢羅笈菩提、前正覚)山に至る。アショーカのストゥーパがある。そこから西南十四、五里で菩提樹に至る。そこに金剛座がある。

(金剛座と菩提樹  筆者撮影)

菩提樹の東に精舎(ブッダガヤー大塔)がある。左には観自在菩薩、右に弥勒菩薩の像がある。中に仏像がある。成道後経行の所、観樹の所の伽藍と仏像、七宝堂と七宝座に由来する大精舎と仏像、アショーカのストゥーパ、青雀、群鹿の云われのあるストゥーパ、魔王、魔女の誘惑のストゥーパ、カーシャパ(迦葉波)仏像のある精舎、二地神を祀った房室。欝金香のストゥーパ、梵天勧請のストゥーパ、菩提樹四隅の大ストゥーパ、牧女の奉糜のストゥーパ、南門外の二大池、ムチリンダ(目支鄰陀)竜王池、苦行林の精舎、アージュニャーターコーンディニヤら五人の住所、ニーラージャナー川の沐浴地、二商主のストゥーパ、四天王献鉢のストゥーパ、マーヤー夫人教化のストゥーパ、三カーシャパの帰仏のストゥーパ、火竜調伏のストゥーパ、起雲踏水のストゥーパ、盲竜の開眼地の住室、魔王脅迫のストゥーパなどが散在している。菩提樹の北門の外に、マハーボーディ(摩訶菩提)寺がある。西暦360年頃シンガラ国王メーガヴァルナがグプタ朝のサムドラグプタとの交渉の結果建てたものである。僧徒は千人足らずで、大乗上座部の教えを学ぶ。

(マハーボーディ寺院  筆者撮影)
 ニーラーンジャナー川を渡り林の中にストゥーパがある。香像本生譚の舞台である。側に石柱がありカーシャパ仏が座禅したところであり、過去四仏の座所と散策された遺跡がある。そこから東にマハー(莫訶)川を渡り、外道のウドラカラーマプトラ(欝頭藍子)が悪願をなしたところである。そこから東にいき、百余里でクックタパダ(屈屈吒播陀)山に至る。マハーカシャパが寂滅した所である。山上にストゥーパがある。そこより東北に行くと、百余里でブッダヴァナ(仏陀伐那)山に至る。そこから三十余里でイヤシティ(洩瑟知)林に至る。アショーカのストゥーパがある。その林にウパーサカ(波索迦)のジャヤセーナ(闍耶犀那)が住む。西インドのクシャトリヤの人で、仏道・外道問わず尊敬されている。賢愛に因明を、戒賢に『瑜伽論』を、安慧に声明と大小乗論を学び、その他に、四吠陀、天文地理、医方術数に詳しかった。玄奘はこの人に二年間に渡り学び、『唯識決択論』、『意義理論』『成無畏論』『不住涅槃』『十二因縁論』『荘厳経論』を学んだ。西南十余里に温泉二カ所と如来が散策されたのを記念したストゥーパがある。また如来が説法された離れ山がある。アスラ(阿素洛)宮と呼ばれる洞窟がある。東に六十余里でクシャーグラプラ(矩奢掲羅補羅)城に至る。宮城の北門の外に酔象調伏のストゥーパがある。その東北のストゥーパは、シャーリプトラがアシュヴァジト(阿湿婆恃)比丘の説法を聞いて聖果を開いた所である。その北にストゥーパがある。シュリーグプタ(室利毬多)が仏を害しようとしたところである。その東北の山城の山峡にストゥーパとがある。ジーヴァカ(時縛迦)大医ここに仏の為に説法堂を建てたところである。

(筆者撮影)

宮城より東北十四、五里にグリドラクータ(姑栗陀羅矩咤)山がある。ビンビサーラ王が山麓から山頂まで階段を作った。道の途中に二つのストゥーパがある。山の頂きの岸の西辺に煉瓦作りの精舎がある。

(筆者撮影)
南に大きな石室がある。

(筆者撮影)

その他仏弟子の石室などがある。山城の北門の西にヴィプラ(毗布羅)山がある。温泉がある。西にヴィッパラ石室がある。山上にストゥーパがある。今はジャイナ教の修業者が多く修業している。山城の北門より左の南崖の北側を東へ行くこと二、三里に石室がある。デーヴァダッタが入定したところである。傍らにストゥーパがあり、比丘が自害して聖果を証したところである。山城の北門より一里余でカランダカ(迦蘭陀)竹園に至る。如来の像のある精舎がある。近くにアジャータシャトル(阿闍多設咄路)が建てたストゥーパがある。近くにはアーナンダ尊者の半身舎利のストゥーパがある。西南に行くこと五、六里で石室がある。マハーカシャパを中心に第一結集がなされたところである。その西北にアーナンダが羅漢果を証した記念のストゥーパがある。竹林精舎の近くにカランダカ池がある。ここから二、三里にアショーカのストゥーパがある。上に象の形が彫られた石柱がある。その近くにラージャグリヒー(曷羅闍)城がある。基礎のみが残る。西南の隅に二つの小伽藍がある。西北にストゥーパがある。ジョーティシカ(殊底色迦)長者の故里である。城の南門の左側にストゥーパがある。ラーフラを出家させた所である。
 そこから北へ行くこと三十余里で、ナーランダ(那爛陀)僧伽藍に至る。ここは昔アームラ園であった。五百人の商人が十億の金銭で仏に布施した。シャクラーディテティヤ(迦羅阿逸多=クマーラグプタ、415~455)が一乗を篤く信じこの伽藍を建てた。その息子のブッダグプタ(仏陀毬多、477~496)がその南にさらに伽藍を建てた。タターガタグプタ(呾他掲多毬多)はその東にさらに伽藍を建てた。その東北にはパーラーディティヤ(婆羅阿)が東北にさらに伽藍を建てた。ヴァジュラ(伐闍羅)は西に伽藍を建てた。中印度王(戒日王)が北に大きな伽藍を建てた。僧徒は数千人。みな才能高く、徳も名声も高い人々が数百人以上いる。これまでも唯識十大論師のダルマパーラ(護法、~560)、チャンドラグプタ(護月)、唯識十大論師のグナマティ(徳慧、五世紀後半~六世紀前半)、スティラマティ(堅慧、『究竟一乗法性論』『法界無差別論』)、プラバーミトラ(光友)、唯識十大論師のヴィシェーシャミトラ(勝友)、唯識十大論師のジュニャーナチャンドラ(智月)、シーラバドラ(戒賢、玄奘の師、529~645)などが有名である。



(ナーランダー僧院跡  筆者撮影)

伽藍の西に精舎がある。如来が説法した所である。その近くに小ストゥーパがある。遠来の比丘が如来を見た場所である。その南に観自在菩薩の立像がある。その南のストゥーパは如来の髪と爪を納めている。その近くのストゥーパは、外道が雀を掴んで如来の死生を問い質した所である。その近くに樹木があり、如来が楊枝を使い地に棄てられた所である。その東に精舎があり、如来が四ヶ月妙法を説いた所である。その近くの精舎は観自在菩薩の像がある。その北の精舎は、パーラーディティヤ王が建てたものである。その東のストゥーパは如来が七日間説法した所である。その西北に過去四仏の座所の遺跡がある。その南にシーラーディティヤが伽藍を建立し、建設中である。その東にプールナヴァルマン王が建てた立仏像がある。その北の精舎にはターラー菩薩の像がある。
 ナーランダから西南、八、九里でコーリカ(拘理迦)邑に至る。ストゥーパがある。マーウドガリヤーヤナの生まれ故郷であり、その無余涅槃に入った所にもストゥーパがある。彼はシャーリプトラと親友であった。その東三、四里にストゥーパがある。ビンビサーラ王が如来を迎えた所である。そこから東南二十余里で、カーラピナーカ(迦羅臂拏迦)邑に至る。シャーリープトラの故郷の邑であり、アショーカの建てたストゥーパがある。その東南四、五里にシャーリプトラの弟子ないし、カーシャパ仏の弟子が涅槃に入ったのを記念したストゥーパがある。そこから東へ三十里でインドラシャイラグハー(因陀羅勢羅窶訶)山に至る。シャクラが昔、如来に質問をした所である。山の頂上に過去四仏の遺跡がある。東峰に伽藍がある。その前にストゥーパがある。昔この伽藍では小乗を学習していた。雁塔と呼ばれ、小乗から大乗に乗り代わった経緯譚が残る。そこから東北百五、六十里でカポータカ(迦布徳迦)伽藍に至る。僧徒は二百余人。サルヴァースタヴァーディン(説一切有部)を学んでいる。その東にアショーカの建てたストゥーパがある。鴿に如来が変じた逸話を記念したものである。そこより南へ二、三里で山があり、精舎や霊廟がある。中に観自在菩薩の像がある。シンガラ国王が鏡でその菩薩像の姿を見たことから代々崇敬が国王によって続けられている。そこから東南四十余里で伽藍がある。小乗を学び僧徒は五十余人。ストゥーパがあり、昔如来が梵天の為に説いたところであり、近くに過去四仏の遺跡がある。そこから東南七十余里でガンジスの南に聚落がある。幾つかの天祀がある。近くに大きなストゥーパがあり、如来が説法をした所である。東に行くこと百余里で落般膩羅聚落に至る。アショーカのストゥーパがある。

【イラーニヤパルヴァタ(伊爛拏鉢伐多)】(大×小○灰×外○)Ⅲp194
 
伽藍は十余ヶ所。僧徒は四千余人。多くは小乗正量部。天祠は二十余ヶ所。異道の人々が雑居している。二つの伽藍があり、小乗の説一切有部を学んでいる。イラニーヤ山には天祠がある。大城の南にストゥーパがある。如来がここで説法をした。過去三仏の遺跡がある。近くにストゥーパがある。シロートラヴァイシャテゥコーティー(室縷多頻設底拘胝)ビクシュの生まれた所である。西境のガンジス川の南に小さな山がある。世尊がバックラヤクシャ(薄句羅薬叉)を降伏された所である。ストゥーパがある。
 
 
【チャンパー(贍波)】(大×小○灰×外○)Ⅲp202
 
伽藍は数十ヶ所、僧徒は二百余人、小乗である。天祠は二十余ヶ所。訳者の註ではインドシナ半島のチャンパはこの国の人々が移住したものである。城の東方百四、五十里のガンジス川の南に島があり、山の上に天祠がある。
 
 
 
【カジャンガラ(羯朱嗢祇羅)】(大×小○灰×外○)Ⅲp
 
伽藍は六、七ヶ所。僧徒は三百余人。天祠は十ヶ所。北境に高台があり、仏と天人を区別した姿の像が刻まれている。
 
 
【プールナヴァルダナ(奔那伐弾那)】(大○小○灰×外○)Ⅲp207
 
伽藍は二十余ヶ所、僧徒は三千余人、大小兼学である。天祠は百余ヶ所。露形・ニルグランタ(尼乾)の人々が多い。ヴァーシバー(跋始婆)僧伽藍がある。僧徒は七百余人。みな大乗である。アショーカのストゥーパがある。過去四仏の遺跡がある。近くに精舎があり、観自在菩薩の像が作ってある。