2月といえば中学も高校も大学も入試戦線真っ只中であります。

第2次ベビーブーマー世代である私はこの時期になると、どの大学も何十倍という倍率のなか、本当に競争を強いられていた事を思いたします。

まさに、大学側の売り手市場。

それと比較するのはなんですが今は、下手すれば定員割れで願書を出せば入れる大学があったり、AO試験を導入して、何とか人を集めようとしたりと、大学側も必死です。

ふと、電車の広告をみると私が大学入試の際、IT系の学部を全面に押しだいた学部構成で新しくできた大学が広告を出しているのだか、学部を見てびっくり。

IT系の学部を全面に押し出していた大学なのに、数年後には薬学、スポーツメディカル系にシフトしていた時もビックリしましたが、今日見てみたら保育、人間科学といったライフサイエンス系の学部構成にさらにシフトしてるではないですか?

大学も事業を営む集団のひとつなので、環境の変化にあわせて常に変化して行くのはわかる気もするが、ここまで、学部を入れ替えているとその大学としてのブランドというものが無くなると感じる。

まして、その大学を出た人にとって自分の出た学部が跡形もなくなくなっているのは気分が悪いものじゃないだろうか?

仮に常に特出した人材を社会に送り出すとか、優良企業から大量の求人が常にきて、学生は引く手数多という様な大学であれば、時代に合わせて学部を変化させても、多くの優秀な人材が集まるけれど、そうでなければ、海外でよくある「金で学位を買う大学」と変わりがなく、ブランドとしての価値を下げかねないと思う。

まぁ、日本の大学教育や学歴偏重には、もっと根本的な課題かあるわけである意味、社会人としての価値はどの大学を出てようが変わらないというのも一つの意見であります。

いずれにしても、コロコロ学部が入れ替わる大学は変。我が子に通わせたいとは思わない。
一月も今日で終わり明日から二月ですね。
別に特別なことがあったわけではありませんが、今月は一ヶ月が非常に長かった気がします。

よく、年齢と共に一年が経つのが早く感じると言いますが、小学校の頃は中々一年が過ぎなかったのに、40歳を迎えた今では、なんだかんだてあっという間に一年が過ぎている気がするのは本当です。

この年齢と共に一年が早く感じるという考えの中には、ジャネーの法則と呼ばれるものがあるそうです。
ジャネーの法則とは、「時間の心理的長さは年齢に反比例する」という説です。
つまり、10歳の人が感じる一年の長さが30歳の人だとその三分の一程度に感じるんだそうです。

ある意味、当たらずも遠からずといった感じです。

このジャネーの法則は19世紀の哲学者、ポール・ジャネー氏により発案されたもので、当然と言うか科学的な根拠は無いそうです。
でも、思いつきにしては納得出来る法則?なので一つの指針にはなるかと思います。

他にも年齢と共に新陳代謝が遅くなってくるので、新陳代謝のリズムが遅れるのと相対して、時間の流れが早く感じるという説や経験則に応じて、見るもの聞くものがまだ新鮮な幼少期の方が時間の流れが長く感じるという説もあります。

いずれにしても、物理的な時間の長さは、年齢に関係なく一定なわけなので、その時間をどう有効に使うかにかかっている事は間違いありません。

今年こそは、何か新しい事を身につけようと考えているので一分一秒を大切に使わないといけないですね。

ふと見上げた、電車の中吊り広告に「『今年こそ』はやめよう今年こそ」と何とタイムリーなキャッチフレーズだこと。。。

でわでわ


ある企業の求人票に「メンタルタフネスである事」といった文言の条件が載っているのを目にした。

十人に一人は、精神的に何らかの痛みを抱えていると言われるほど、鬱病などの精神疾患は現代病としてインフルエンザにかかる人よりも多いんじゃないかというくらい蔓延している。

私も長いことIT業界に身をおいてきたので、精神的に弱って休職したり、会社を去っていった人を見てきた。

夢と希望に胸を膨らませ、元気ハツラツで入ってきた新入社員が激務やプレッシャーに押しつぶされて、壊れてしまったり、30代後半から40代のミドル層が何かのきっかけで何もかもやる気が失せたり、面白さを感じないなど突然、鬱病となり一線を外れて行くというのが多かったと感じる。

冒頭の企業の様にメンタル的に弱い人は初めから入社資格がないといったり酷い企業では、「精神病」を解雇の条件にしている企業すらあるのだから驚きを超えて、なぜそこまで差別するのかとさえ感じる。

確かに企業としては、激務や様々なストレスが日常の仕事にはつきものなので、突然休職されたりやめられたりしては、経営に支障が出るので事前にリスク回避したいというのはわかる気がする。でも、ただ単に排除するだけでなく一旦は、一線を離脱してもしっかりと戻る場所と精神疾患から回復する道だてを用意してあげられる社会になって欲しい。
大企業では、だいぶそういった動きが進んできているとはいえ、世の中の99%を占める中小企業では、差別の文化が依然として根強い。

むしろ今、メンタル的にタフであっても近い将来何が原因で弱くなってしまうかもわからないのである。

ある日突然、自分の中のバケツが一杯になり溢れ出したら鬱病発症なわけである。そういう意味では花粉症などのアレルギー症状と同じなのである。

初めに書いた様に重度軽度の差はあるが多くの人が抱えているアレルギーみたいなものなのだから、もう少し社会的な偏見をなくし、うまく支援していける社会にしたい。

きれいごとかもしれないが、自分が社会貢献を行いたいテーマのひとつが「メンタル」の分野なのである。

クラウドの向こう側にあるもの。

いつかは、じっくりと考えたいと思っていたテーマである。ただ、漠然とした思いはあるけど、言葉としてはうまくまとめられていないと言うのが現実である。

一言に「クラウド」と言うがその定義と言うか意味合いみたいなものはイマイチ納得出来る答えが世の中にはない様な気がする。
自分の理解では、世界中のあらゆる場所におかれているデータやアプリケーションや処理能力などをひっくるめて自分に必要な情報をあたかも自分の手元にあるかのごとく利用できる技術。逆に自分の手元にある情報をあかたもすぐ近くに保管している様に、実は世界中のリソースを有効的に使い、理屈的にはほぼ無限で、非常事態が起こったとしても大事な情報を失う事なく安全に保管しておける技術。と考えている。

もっと簡単にいえば、あらゆるものを「仮想化」すると言うのが近しいと考える。(その道の専門家からは違うよと言われるかもしれないがあくまで、私自身の考えの指針とするものなので勘弁して欲しい)

では、クラウドの向こう側にあるものは、仮想現実(Virtual Reality)の世界が広がる事なのか?
いや、そこは通過点の技術にすぎなく、仮想化が進んで行った先は、拡張現実(Augmented Reality)の世界が浸透して行くものと考えている。

拡張現実とは、セカイカメラや様々なスマホアプリがいまも出ているが、現実の世界に文字や映像、音声等様々な情報を付加する事で、人の思考や判断を助ける世界である。

例えば、車のフロントガラスから見える風景にカーナビゲーションやぐるなびなどの情報を融合させて表示させたり、メガネやセンサー等を通して、病気の我が子を見ながら実際に見えるだとか聞こえる、触った感触などの情報と医学的見知、又は医者そのものの見知などの情報を融合して初期診断や対処方法を速やかに知る。知るだけでなく、仮想化されたネットワークを通して病院の予約と症状の情報を速やかに送る事が出来る。

そう、ドラゴンボールで出てきたスカウターの世界にあらゆる家電、社会インフラ、様々なコンピュータシステムなどが連動して動いている様な世界。

しかも、人間は複雑な操作を覚える必要はなく、ただ知りたい情報ややりたい事を考えれば無限に情報を得る事もできるし、AI技術とネットワークを通じて周りの物が自分にとって最も快適な環境を勝手に作り出してくれる。

…と、やっぱりまだ頭の整理がついていないので思いついたままの散文的な物になってしまったが、私の考えるクラウドの向こう側にある世界観はこんな感じ。

多分、実現の為の前提や上記で書き記させなかった事、弊害などまだまだあるので、次回はその辺りを掘り下げて見たい。

でわでわ。

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今朝目覚めて一面雪で薄っすら…いやいやかなりもっさりと積もっていたのにはビックリでしたね。
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これが、都心では全く降っていない、むしろこちらで吹雪いている時間、太陽が出ていて晴れていたと言うからさらにびっくり。

積雪だけ見たら成人式の時よか降ったんじゃない?

家から15分の距離にある駅まで、2時間以上かかる始末で、朝からぐったり。

夕方には、あれだけ積もってた雪も日の当たった部分はすっかり溶けて何もなかった様な景色に戻ってたりして、朝の混乱は何だったの?って感じです。

日に日に日差しが伸びてきてあっという間に春になってしまうのだろうなと思いながら今日はのんびり過ごそうかな。



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